学園長のひとり言

平成12年11月18日

『親の認識、時代とズレ』という見出しが目の中に飛び込んできた。

読売新聞朝刊『目を輝かす子供を』というタイトルで識者4氏の座談会が載っていた。その中で日本IBM会長の北城氏が<企業が求める人>という中で、“国際競争の中で、企業はこの5〜10年、大きく変わった。かつては潜在的能力を持った人を採って後は企業で育てるという意識でいたが、今は学生が受けた教育の中身に、以前より関心を持つようになった。基礎的学力と同時に創造性も求められる。今、大卒の採用基準で企業が一番大事にしているのは、出身校でも成績でもない。意欲があるか、新しい問題を考えだせるのかということだ。だが、親が、まだこの社会の変化を十分認識していない。”と話している。

私も年に一回日本研修ということで、英国ロンドン市内の大学院MBAコースの学生達(ロンドン市内企業の幹部候補生の社員達が、企業から派遣されて夜、MBAの勉強をしている)30名ばかりを、日本のトップ企業経営者や担当者、評論家、政治家等に会わせ、お話を聞いたりディスカッションをさせるためのプログラムを作成、交渉、引率もしている。その中で、4・5年前から「随分日本企業も変わって来たな」と思うことが多くなっていた。

変わった大きなところは、まさにIBM会長の北城様と同じように「こんな人を社員として採用したい」という中に出身校や成績よりも、「自分で問題を見つけ考え、対処することが出来る人」ということに重きがおかれていることであった。それを直接企業の方々の口から聞くたびに内心“上田学園の生徒達の時代が来る”とホクホクしていた。

確かに、上田学園の母体であるレッツ日本語教育センターの『日本語教師養成コース』を終了し、大学の授業の合間を縫って外国人に日本語を教えていた学生の先生方は、就職が遅くても8月までには決まっていた。

養成コースを受講している間は、本当に典型的な“今の若者”であった先生の“たまご達”も日本語を教え始めると、社会人である外国人の生徒達に対する責任感や、社会人の生徒達から信頼されるためか、言動や行動に責任が出、自分で問題を見つけ解決しようとするようになる。そういう態度が入社試験の面接でも出るのか、本当に就職率がいい。しかし、上田学園に入りたいと言って来る生徒の親や、その生徒を取り巻いている大人達には、往々にして旧態依然の“高学歴=有名企業に就職=幸福”という図式から外れる事が出来ない方が多い。

この9月、高校1年の6月で退学して、その後2年間何もしないでいたという学生が入学したいと希望してきた。何もしなかったこの2年間、本だけはたくさん読んだという。そして、出来たらこの学校で、ここの先生方とじっくり勉強をしたいという。しかし「大学さえ出てくれれば何も望まない。」と言って、資格のとれない上田学園に行かせるのには親として抵抗があると、親が訪ねて来た。

どんな理由であれ“学校に行かなくなった、不登校になった。”という事実を、メリットにするのかデメリットにするのかは、個人の自由だ。上田学園ではそれをメリットとし「どうせ行かないなら、思いきって人生にとって役立つことを学ぼう。自分の人生が終わるとき「俺は一生懸命生きて、死んだぜ!俺の人生は素晴らしかったぜ!」と言えるように。そのために資格は求めない。資格を求めると、色々な制約が出て、やりたいことが学べなくなるから。

資格は求めないけれど、教育を単なる道具と考えて、それを使って自分で問題を見つけ、考え、判断する力を養えるようなカリキュラムにしよう。そのため、例え資格はなくても、資格以上の力を持てばいい。相手から認めてもらうことばかり考えるより、認めてもらえるようになることも、これからの人生では大切なことになるのだから。誰も認めてくれなかったら、自分で仕事を作ればいい、と。

しかし現実、親の気持ちと、子の気持ち。親の考えと、流れている社会の間に大きなズレがある。

確かに50歳の親の目から見たら、高校1年で中退し、18歳までブラブラしていた子供の言い分など、社会に通用しないと思うのかも知れない。でも一番の当事者が、今一生懸命考え、それが一番と思ってやることを応援することも大切なのではないかと思う。「昔から、自分だけが一番正しいことを考えていると信じて疑わない親でしたから。」と言いながら、親のいう通り大検予備校に行ったという彼は、もうその予備校も行かなくなったという。またこれで、次に彼が何かをしたいと言い出すのはいつのことになるのか。

上田学園に入学しないと決まってからも、2度ばかり遊びに来た。そんな彼を思い出しながら、「18歳は今しかないのだから、どこに属さなくてもいいから自分の納得のいくような人生を送って!」とエールを送りたくなった。そして、「親の認識、時代のズレ!」と叫びたくなった。