学園長のひとり言

平成13年2月26日

貴方の夢、なんですか?。

父:「早苗ちゃんは大きくなったら、何になりたいの?」
私:「ターザン!」

5歳年上の兄が友達と一緒に「あーあーあー!」と叫びながら、有栖川公園の木々の間をおサルさんのように跳びまわって遊んでいるのを見て、羨ましくて仕方が無かった私は、大きくなったら絶対ターザンになりたいと、真剣に考えていた。3・4歳ころの私の夢である。

「止めといたほうがいいよ。舞台に穴ぼこがあいたら、舞台がかわいそうじゃないか!」と、すでにチョット太めの小学校3年生の私に、あのふわふわした天使のような衣装と、爪先で立って踊ることを諦めさせた、兄の真剣な言葉。そう、小学校3年生の私の夢はバレリーナー。

家は楽しいのが当たり前。私は可愛がってもらうのが当たり前、と信じて疑わなかった私に、「世の中、楽しくない家が存在するんだ!」と教えてくれた学級文庫の中の本。そして、クラスの友達に知られないように、涙を拭き拭き読んだ学級文庫の本の影響で、「大人になったら孤児院の先生になりたいんです」。これは小学校卒業のときの文集に書いた私の夢。

「上田学園」を軌道にのせ、授業の後、学生や先生達がゆっくり暖炉か囲炉裏で火を見ながら、のんびり色々な話しが出来るような場所、またはせめてゆっくり放課後を過ごせる大きな場所に引っ越したい。 目をキラキラ輝かせた小さな子供達の「先生、これなあに?」「どうしてなの?」と好奇心いっぱいの質問が飛び交うような「上田学園ジュニア」をつくり、 去年末に特許申請したアイディアの教材で、語学教育を世界中に普及させ、利益が出たらそれで、孤児院から養老院までの楽しい施設をつくる。
庭つきの家に住めたら、庭の角にバーベキューが出来るような設備をそろえ、皆でゆっくり食事をしながら、ブランチ(朝食と昼食が一緒)をして楽しむ。とくに、庭の角に穴を掘って、そこにバナナの皮で包んだ肉を蒸し焼きにして、皆で食べられるようにしたい。できたら、庭に小川が流れていて、小川のそばに椅子を出して、ゆっくり小川の音を聞きながら、本を読んだり、アフタヌーンティーを楽しんだりしたい。「先生、泊まっていっていい?」ときかれたら、「好きなだけ、ゆっくりしていって!」といえるような余裕が持ちたい。
これが、50歳をすぎた現在の私の夢である。

現代の子供達には夢がないという。夢のない子供達に大人達は愕然とし、子供達は夢の無いことに、生きる目標がないと悲しむ。

「夢ってなんだろうか?、夢がどうして持てないのだろうか?“夢を持つ”って必要なことなのだろうか?」と、ずっと考えてきた。そして、フッと気がついた。夢って、満たされ過ぎていると、持てないのかも知れない、と。

人間として生まれてきて、絶対誰にでも公平に与えられていると信じていることが私にはある。それは、人間は『終わり』に向かって生きていくことと、一生のうちでしなければいけない苦労の数は同じだということ。違うのは苦労が小出しに来るのか、大出しに来るのか、平均して来るのかの違いと、苦労を苦労と感じるか、苦労を楽しいことの前兆と考えるのかの考え方、捉え方の違いだけだと。そして、長い人生を飽きることなく、最後まで全う出来るように、神様が下さった調味料が楽しみ(楽し味)や苦しみ(苦し味)で、それを上手に使うための目標が“夢”ではないのかと。その夢は、足りないものがあるから、こうしたい、ああしたい。ああなりたい、こうなりたい。と考え出すことから、自然に湧き出てくるのではないのだろうかと。

夢が、「不足しているものを補いたい!」という欲求から湧き出てくるものであるなら、親が自分の人生の不足を補おうとして湧き出てきた欲求を、子供に押し付けても、隣の井戸に水が湧いても、自分の井戸に水が湧くかは保証がないように、保証のないものにヤキモキするより、保証が持てる自分、即ち親自身で自分の夢の実現に努力するべきではないのか。そして、親が親の夢の実現に向けて努力している姿を子供達に見せることは、どんなに有名な学校に行くことより、どんなにいい本を読むことより、子供達の人生にとって大きな意義のあるものになるのではないのか。それと同時に、子供が夢を持てるように、夢を持つ第一歩のトレーニングとして、何でも子供が欲しがる前に与えたり、考える前に考えてあげるようなことをしないようにしたらいいのではないのか。実際、何の苦労もせず手に入れた物を大切にしている子供をみたことがないし、本当に欲しくて、何とか手に入れようと、アルバイトしたわけでも、親を説得したわけでもないので、手に入れたことへの感謝も全くない。上田学園の子供達でも、「こんな高価なものをどうして大切にしないの?」と聞きたくなるほど、高いギターでも何でも、そこら辺にほっぽりだしてある。

夢がないことはつらいと思う。生きる楽しみがないのだから。あるのは、人生の『終わり』に向かって歩いているという事実だけだ。そうなったら、生きることも大切にしないし、人も大切にしない。親から頂いた大切な自分の人生も簡単に捨てるだろう。捨てた命は絶対もどってこない。そんな悲しい選択を子供達がしないよう、夢がたくさんある子供に育てるために、何でも与えることをやめよう!。“出来るから与える”という考え方を捨て、与える選択権を親は行使しよう!。足りないものを、不足しているものを工夫して補ったりする知恵を授けよう!そして、どんな小さな夢でもいい、子供達が持った夢を大切に大切に育ててあげたいと思う。例え、親の目からみたら、「くだらない!」と思っても、長い人生、夢は変化をしていくのだから。