学園長のひとり言

平成13年3月26日

大きな失敗、小さな失敗

毎日が失敗の連続だ。大きな失敗から小さな失敗まで、それを考えると本当に嫌になる。もう少し利口に生まれていたら、と思う。しかし、こればっかりはなかなか思うようにならない。本当にこれと美貌はなかなか思うようにならない。

気持ちが落ち込んでいるときはチョット製造責任者に文句を言いたくなる。普段、頭の線が外れているような現在93歳と89歳の製造責任者は、娘の文句にだけはしっかり答える。「あら、ごめんなさいね。あまり美しく生まれて他の方から恨まれたら可愛そうだし、頭の回転が少々な分、問題が起きても自分のせいだと気が付くでしょう?、だからチョット手加減したのよ!」と。そして止めを刺すように「よかったわね。私達のおかげで人様から恨まれなくて」と。そして最後にもう一つオマケがつく。「自分の至らなさが分かれば、謙虚に問題を解決しようとするでしょう?貴女は幸せよ、こんなに至らない貴女を支えて下さるお仲間がいるんだから。感謝しないと罰が当たるわよ!」と。

本当に私は幸せだと思うし、感謝もしている。「やっぱり水戸様ね。葵のご紋が出てくれば安心ですものね」とテレビの再放送を見ながら、まるで水戸様がご親戚のような会話を交わしている93歳と89歳の製造責任者の横顔を眺めて「でももうチョット利口だったら」と、ない物ねだりがしたくなる。

「もう少し利口だったら何なのか?」

勿論、もう少し利口だったら「もう少し上手に世渡りが出来る?かな!?」

「上田先生はそれでいいんですよ。何かあったら私達がサポートしますから、自由にやってください!」と先生達が励ましてくださる。友人達も「サナエはそれでいいのよ!。誤解されたって、失敗したって、貴方のガッガッガと大声で笑っている声と顔を見たら普通の神経(?)のある人なら“善人だ”って誰でもが分かるから。」と慰めてくれる。「そうよね・・・、『私達の娘ですもの、それ位で丁度いいのよ』と親だって保証してるものな・・・」と。

皆に応援されると、とたんに嬉しくなり頑張りたくなる。失敗や誤解にメゲズにいこうとファイトが燃えてくる。

ずっと昔、米軍の新聞社に勤めていたことがある。

「何かご希望がありますか?給料はいくら欲しいですか?」等と人事課の方からの質問に「給料のことは、どの位が相場か分かりませんので、お任せします。でも、一番忙しい課で働きたいのですが・・・」と答えたのが気に入られ、私の最初のボスの名前が“サージャン、ライトフット”だか“フットライト”だか今だに分からないほど英語が出来ず、電話がかかってくる度に「サージャン・フットライト、テレホン!」と言ったり「サージャン・ライトフット、テレホン!」と叫んだりして、皆に笑われるほどの英語音痴が4年間も無事に勤めあげることが出来た。そして、仕事も面白く、10歳年上の兄より給料も休暇も多かった程、条件のいい仕事を辞めたのは、“失敗してもいい、間違ってもいい。いつかお金のために仕事をしなければいけなくなるまで、もう少し勉強をしよう。もっと人から叱られよう。顔にしわが出来てもいい。もっと人間らしく生きたい。”そう思ったからである。

当時20代でまだ若かった私は、仕事でお金が沢山もらえることより、先輩達のような優雅な生活をすることより、「世の中動いているのに、私だけが何もせずにいていいのだろうか?」という思いにあせっていた。そして、「それは上田さんのミスです」と先輩が、上司に私の失敗の報告するのを聞いて、「ここに居たら、お金は沢山もらえるかも知れないが、心が貧しくなる!」と勝手に判断して、退職することを心の中で決めた。

それから1年間一生懸命働き、2年間のイギリス遊学費用を貯金。そして、退職した1週間後に英国のブライトンという街に居た。まさか、この2年間の遊学中、ホームステイ先の家族や先生達、友人達、イギリス人の暖かい心に助けられた極上の英国生活をし、その心に感謝して参加したボランティア。そこで私の一生の仕事になる日本語教育に出会うことも知らずに。

そう、今もあの頃のように毎日、大きい失敗、小さい失敗をしている。でもあの頃と違うのは、今の私にはレッツ日本語教育センターと上田学園があり、そこにはスタッフがおり、借金もあり、まだかなっていない夢もある。大きな、大きな責任と、一つ一つは小さくて、細かくて見えない程であるが、沢山の喜びと楽しみがある。そして、その一番が、自分達のテンポで成長していく子供達であり、日本語が上手になっていく外人の生徒達である。

もう少し頭の回転がよかったら、もう少し美人だったらとは、今でも思う。でも、頭の回転が悪い分、誤解されたり、上手に立ち回れなくて損をするかもしれないが、それが私なのだから、それに逆らわずにいこう。自分の心に正直に生きよう。今考えられる最善の行動をしよう。いつかきっと絡んだ糸が解れていくことを信じて。

誰かに責任転化したくても、食べることと、興味のあること意外全く焦点の合わない93歳の製造責任者はニコニコしながら「若いときはお母さんはもっと頭もよく、品もよく、美人でしたよ!」と、言われれば返す言葉がない。

30年前に歌舞伎の坂東三津五郎さん(現三津五郎さんの祖父様に当たる方だと思う)から聞いた話を思い出す。

彼は先代の三津五郎から、舞台ではお客に向かって演じてはダメだと言われたそうだ。目の前のお客に向かって演じると表面的な演技になる。しかし、ご先祖様に対して演じると、手抜きは出来ない。頭の上から全部見られているし、心の中のこともお見通し、手抜きもお見通し。だからご先祖に向かって一生懸命演じることが、目の前のお客様に対する礼儀でもあると。

利口に立ち回れない私は、表面的な仕事はせず、不器用でも一生懸命私のテンポで仕事をさせて頂こうと思っている。坂東三津五郎さんの話のように。そして、大きな失敗、小さな失敗をしながら私らしく前進していこうと思っている。それが、ハラハラドキドキしながら私を応援して下さる方達へ、今私が出来る精一杯のお礼だから。

隣で93歳の製造責任者がお墨付きをくれた。「どんなことがあっても頑張れるでしょう。貴女は心臓に毛が生えているところだけは、お母さんに似ていますから」と。