学園長のひとり言


平成13年5月14日

 

自分探し?それとも、自分づくり?

「まあ、上田先生はお元気ですね。いつもニコニコしていて、パワーがありますね。」と言われる"元気印"の私も、毎日毎日が悩みの連続だ。 眠れない日は、母の口癖の「死んだらゆっくり眠れるから、眠れなくても何んていう事はないわよ!」ということを心の中で繰返しながら、本を読んだり、しっかり悩んだりする。そうすると、テレビで拝聴した瀬戸内寂聴さんの言葉が聞こえてくる「悩むことなかれ!」と。

「悩みのないのが、悩みなのよ!」と公言していた頃が嘘のようだ。「ああ、彼のよさが一番輝くような先生に育てるのには、どんな指導がいいかな?」とか。どうでもいいプライドで、本当の自分が正視出来ずに問題から逃げ回っている学生に「彼の長所を生かしながら、無視していい問題と、解決していかなければならない問題をどう理解させようか?」とか、「経営者として、もう少し厳しくしないといけないかな?」とか。でも、そんな悩みの中、色々なことを気付かせてくれるのが日本語の先生達であったり、上田学園の先生達であり、外人や学園の生徒達である。

私は子ども達に自分らしく、自分にあった人生を歩んで欲しいと願っている。人生を終わるときに「俺は一生懸命生きたぜ。満足だったぜ!」と言える納得した人生を送って欲しいと願っている。その為に自分らしく生きるのはどうしたらいいかの"自分探しをしよう!"と言っていた。しかし、先日上田学園の田村先生と話していて気付かされた。自分探しをすることも大切だけれども、今は自分作りをさせたいと。

私はずっと「自分探しをしましょう!」と連呼していた。しかし、"自分探し"という言葉には二つの意味がある事に気が付いた。

自分がどんな人間で、どう生きていくべきかを考えるということを"自分探し"というのであれば、自分とじっくり対話しなければならないだろう。しかし自分とじっくり対話して、自分を探すのは大変なことだ。それをするのに、対話する内容のたくさんつまった自分が無ければ、対話出来ないと思うし、自分の中に何も無い人が"自分探し"をしなければならないほど、迷うことがあるとは思えないからだ。

また"自分探し"とは、人としてこの世に生かされている意味、自分のこの世での役目を見つけること。即ち田村先生の言う"居るべき自分のポジション探し"という意味であるならば、頭の中だけで探すのではなく、行動することで探せるのではないだろうか。特に、バーチャル世界だけで生きる傾向のある現代っ子達。間違えることを"恥"と考えがちな現代っ子達には、頭の中だけで考えて「出来ない、駄目だ!」と結論を出してしまう。

現代っ子は、 人間の生きている世界には、頭の中のシュミレーションでは計算できない計算外の出来事が、現実にはたくさん起こることが理解出来ないようである。「自分探し!」という快い言葉に酔って、考えている振りをして逃げている。逃げながら、口だけはしっかり開けて自分が「美味しい!」と思うものだけを食べようとする。「楽しい!」と思うものだけをやりたがる。でも、自分の手で自分の責任で"自分作り"をしようとはしない。自分作りをしながら、「これでいいのかな?、あれでいいのかな?」と自分に合ったもの、自分の一番生き生き出来る"自分のポジション"をみつけて欲しいと思う。

この4月。私は新学期に向けての上田学園のテーマとして、自分の夢を自分の手で実現する“道具の使い方を学ぶ場所”として上田学園を位置づけ、「夢の手作り工房」として上田学園が機能 することを考えた。 そして、今は夢を実現するために自分の人生を自分の手で作っていくことに努力して欲しいと願っている。

手作りの自分の人生は、きっと納得のいく人生になるだろう。しっかり自分の手で自分を作る努力をしているうちに、夢を持っている人、いない人に関係なく"夢"に出会うのではと思う。

時々、私は学生に対して"鬼"になる。独り善がりにならないように、色々な考えを持っている先生達に囲まれながら、社会が思っていることを、学生達に代弁するのだ。「自分探しをしています!」と怠けようとしたり、自分自身を煙にまいて、問題の先送りをしようとすると、私は"鬼"になる。"今"という時期を逃がすと本当に駄目になると思うから。

私は常に、子ども達には自分の納得した人生を送って欲しいと願っている。誰と比較することも、誰かの思惑通りにならなくても良い。自分としっかり対話して、自分探しをするのではなく、自分作りをして欲しいと思う。

私は子供達に言いたい。自分の人生を自分の手で作るために、もう一度見慣れた風景を自分の二つの目と、心の目でしっかり見て欲しい。何気なく生活している人たちの中にも、上田学園の先生達にも、自分らしく素敵に生きている人達が貴方達のモデルとして、周りにたくさんいることを。