学園長のひとり言

平成13年06月04日

うちの子に、そんなの無理ですよね!

最近、各地からフリースクールの先生やフリースクールを経営したいという方々が訪ねて下さる。
その方々から伺う各地のフリースクールには色々なタイプのフリースクールがあり、また行政側のフリースクールに対する対応が都道府県により、まちまちであることに驚かされる。 そんな中、ただ一点共通していることがある。それは子供同士、本音で話をしない。表面的な付き合いしかしない。そして親は、とくに女親は世間に対する不満、ご主人や子供に対する不満、そしてフリースクールに対する要求のみ。しかし月謝の問題になると「そんなお金出せません!」といいながら、海外で買ったからこのハンドバックは安かったとか、新しい携帯電話のデザインが気に入ったので買い換えたいとか。親が一番大きい問題だというのだ。親の教育をしなければ、子供の問題は絶対解決出来ないのでは、と言うのだ。

「それはそうでしょうね、何しろ子供は親の鏡ですから」と言いながら、思わず「あ〜あ、公園デビューとか言って、公園で子供を遊ばせるだけなのに、他のお母さん達から何か言われないようにと、服装に気をつけたり、気をつかいながら他のお母さん、特にリーダー的なお母さんに話を合わせたり。その上『ママが困るからいい子でいてね!』と子供にお願いしたり。そんな母親の“素敵”といえない行動を、小さい時から見せ付けられる子供は可愛そう。そんな親の行動が子供同士の人間関係を作るときのサンプルになっていることに、どうして気が付かないのか不思議?」と呟いてしまった。

“子供を可愛がらなければいけない”という法律、虐待防止法が出来るほど、親が、子供をしつけることと、虐待することの違いが分からない今の親。それは、自分達が本当の意味で自分達の親から可愛がられた体験がないからだろう。可愛いから、厳しく叱る。本当に大切な子供だから、厳しく注意する。そういう体験がないから、しつけと、虐待の違いが分からないのだろう。

こんな親は別にフリースクールの親だけではない。普通の学校にも山ほどいると思う。

上田学園にも色々な親御さんからの問い合わせがある。その問い合わせでいつも感じるのは、「うちの子に、そんなの無理ですよね」という言葉だ。

上田学園は学校法人でもないし、そうかといって“塾”かといわれると、“塾”でもない。
上田学園を分類するとやっぱりフリースクールなのだろう。しかし、フリースクールといいながら、大学検定試験や通信高校のサポートをしているサポート校的なフリースクールもあるし、フリースクールといってもフリースペース的なところもある。上田学園はそのどこにも属さないので、上田学園を説明するのが難しい。あえて説明すると、高校のように時間割がはっきりしており、授業内容は大学と専門学校の中間的で、90%以上の先生がご自分の職業を持っている。そして学生には、上田学園を選択する自由はあるが、選択したことについての義務もあるということを明確にしている。

現在、中学生だろうが高校生だろうが大学生だろうが社会人だろうが退職者だろうが、上田学園で勉強する自由はある。例え、内容が大学や専門学校で習うようなことでも、有難いことに先生方が幅広い知識と実践で裏付けされた実績があるため、どんな状況の生徒達にも指導が出来るからだ。

年齢や知識に関係なく、知りたいことや気が付かなかったことに目が開かれることが分かり、「上田学園で勉強したい!」と子供が決めても、親御さんの方で「上田学園で勉強するのは、うちの子には無理ですよね」と言う。そして必ず、「それに資格もとれないし・・・」と言う。その結果、2年経っても、3年経っても、2年前、3年前と同じ「未だにブラブラして不登校なんです」と言う。

本当に親の教育が必要だ。

親だって人間だ。神様ではない。だから親の言っていることと、行動が矛盾していることがあっても仕方がない。しかし、親の言うことと行動の全てが矛盾だらけで、子供がスクスク育つとは思えない。まして、子供にとって一番の味方の親が「うちの子に、そんなことが出来るわけないですよね。」と断定する。それが子供にいい影響を与えるとは思えない。「うちの子に、そんなの無理ですよね」と言う前に、親の知らない子供の可能性を信じて欲しい。無理だと考えているのは、何もしないで“今”に不満を持っている“あなた”であって、子供達ではないことに気づいて欲しい。

昔の人は、「子供は授かり者。天からお預かりした子供達、立派に育てて世の中にお返しすることが親の義務」と言っていた。

立派という意味は決して有名になることでも、社会的な地位を得ることを言っているのでもないと思う。自分で自分らしく、自分でこの世の中に“自分の派”が立てられる人間になれということだと思う。“自分の派が立てられる”ということは、自分の意見がもてるということであり、意見があれば、しっかり人とディスカッションが出来、そこから学ぶこと、発展することがたくさんあり、それが社会を動かしていく原動力になるからだろう。そんな子供が育てられるように、子供達を取り巻く大人達は、親達もふくめて、子供を信じ、子供を本当の意味で大切に大切に育てていきたいものだと思う。