平成13年7月17日
大切にしたい、生きることを。 来週の土曜日は私の親友の「追悼ミサ」が教会で行われる。彼女と知り合って27年間、どの場面を思い出しても本当に楽しい思い出ばかりだ。 7歳年下の彼女は、まるで母親か姉のように私のことを心配し、励ましてくれていた。そして、そんな彼女に対し、当然のようにずっと甘えてきた。 彼女が居なくなることも、ましてや「死」という別れで、彼女が私の前から居なくなるということ等、一度も考えたことが無かった。だから、お見舞に行っても、二人でベチャベチャとおしゃべりし、お腹を抱えて大笑いし、私の愚痴を聞いてもらって「サナエ、がんばりなさいよ!」と励まされ、「お見舞いに来て良かった!」等と暢気な会話をしていた。 彼女の生き様の素晴らしさと、彼女が私たちに見せた彼女の終焉。 「サナエさん!目標がないって、つらいものですよ。1年我慢すれば、彼女が元気で帰って来るとかいう目標があれば、どんな辛いことでも我慢出来るんだけど。今は全く目標がなくなって、この生活が一生続くと思うと、本当に辛いんですよ。『おい、約束違反だぞ!どうしてくれるんだ?』と言っても夢にも出てこないんですよ。」と言いながら「本当にまいっちゃうな!」と嘆くご主人の悲しそうな顔を見ると、「ごめんなさいね!早く元気になって下さいね。」と親友の代わりに謝罪したくなる。 上田学園には色々な理由で、色々な子供達が入学してくる。そんな中に「小説家しか自分の生きる道はない」と言い切って、小説家をめざしている学生がいる。彼は、どうしようもない程意味をなさなくなった今の学校教育の中で、一番磨かなければいけない"感性"が壊されて行く気がすることに耐えられず親を説得して、中学3年の2学期で学校を中退したという。 彼は素敵な男の子だ。素敵な感性も持っている。誰も真似出来ない持ち味もある。でも、自分の手に余ること、自分の考えと違う現象が出てくると、なんだかんだと理屈をこねまわして逃げ出す。そして逃げ出した自分に嫌悪する。弱い自分が正視出来なくなると、周りを攻撃するか、「吉本興業」モドキの"おふざけ"で自分を誤魔化す。 彼と話をしていると、自分がすごく"おばさん臭くい"のではなく、"おばさん"になったことを実感する。 おばさん=オバタリアン!のイメージがある私は、まさにあの漫画のオバタリアンそっくりな雰囲気を鏡の中に見つけると、一応"ショック"を受ける。「明日から絶対ダイエットする」と何万回目かの"誓い"も立てる。「しわがのびますよ」等と説明される化粧品にも 先日も、「楽しめないことは、何もしたくないんだよ」と、楽しむ努力もしないで、他の生徒と約束したことも、自分で言ったことにも、責任をとりたがらない小説家希望の彼に、オバタリアンではなく、一見"物分りのいい大人"になりたい私は、この「肝に銘じてやらない!」と誓った空しい誓いを破り、大議論ならぬ、大小言を言った。 「場所が変われば、自分の苦手なことも出来るって言うの? 確かにそういうこともあるけれど、君の場合は、いつでも苦手なことこら逃げてばかりいるから、今回も同じだと思うけど、私の見方が間違っていると思う?本当に苦手なものから逃げないようになろうと思うなら、今から実践してみたらどうなの。自分で提案したことは、実践してみたら? やりもしないで、どうして自分の思った通りにならないという結論を、そう簡単に出すの?確かに結論も大切だけど、結論を出す過程がとても大切なのよ。その過程の中で、何を感じ、どんな工夫をし、どんなことを考えたかが」と。 そんな中で、答えに窮したように彼が「どうして死んでいくしかない人間が、生きなければいけないのか、僕には分からない」と言った。 彼にとっては「生きることはどうでもいい」と言う。「長く生きることに興味はない」とも言う。「明日死んでもいい」とも言う。苦手なものから逃げているのではなく、「やる理由がみつからないから、やらないだけだ」とも言う。そんな彼の言葉を「昔、学生時代、皆が壊れたテープレコーダのように呟いていたフレーズだなー」「角泡を飛ばしてそれについて議論していたなー」と懐かしく思いながら聞いていた。 死に向かって歩いていかなければならない人間が、どうして生きなければいけないのか、私も本当の意味は未だに分からない。でも、今の私が考え実践していることは、絶対一つの意見として言いたい。どの時代に生きた人間であっても、若者であったときに絶対言った言葉「大人はすぐそう言うけど・・・」という彼の抗議の言葉。昔から言われつくしている旧い言葉が花を添える"オバタリアンの意見"であっても、意見は意見だ。オバタリアンもこの世界を形成している一人だから、絶対言いたい。 「死」は怖い。死後の世界が分からないから、分からないことは「怖い」。でも、怖いことがあるから、怖くないことにホットする。ホットするために、「死」を怖くないものにしたい。それをする方法として私は、一生懸命生きることを選択したい。「十分生きた」と思えたら、死ぬことは怖くないようだ。それは伯父・伯母・「スイス人のお母さん」と呼んで慕っていた"エラ"やその他、知っている方達や知らない人生の先輩達の、その時代時代をを一所懸命、十分生きた人達からそう感じる。 だから、どんな生き方をしようとも、どんな職業につこうとも、上田学園の子供達にも「俺は俺の人生を一生懸命生きたぜ、満足だったぜ!」と、自分の人生の終わりに言えることの出来る人生を選択して欲しいと思うし、私もそう言って死ねたらいいと願っている。 人間として生まれた者が、平等に受けとれる贈り物が「死」であるならば、"生きた"ことに対する"義務"として「死」が用意されているなのであるならば、「満足」して「義務」を遂行したいと考えている。そのために、毎日を大切に生きたいと願っている。 「死」という現実が「時間」として私達にせまってくる。でも、その時間の中で何が出来るかの目標が夢であり、夢があるから生きていけるのだと思う。だから、今という自分の時間も他人の時間も無駄にしないで欲しいと思う。 親友の「死」は、子供達に「俺は俺の人生を一生懸命生きたぜ、満足だったぜ」と言える人生を選択して欲しいと願う気持ちを、前以上に強くした。 本当に短い人生の時間。自分の時間であっても、他の人の時間であっても、大切にしたいと考えている。その一番基礎になるものが約束だと思う。例え、それが小さな約束でも、それを守ることが生きることを大切にしていることだと思う。 小さな約束の底には、貴重な他人の時間が入っていることに気がついてくれることも願って、小説家希望の学生にも言いたい。問題から目をそらさず、前進して欲しい。いつかきっと、「人間が何故死ななければいけないのに、どうして生きて行かなければならないか」の答えが見つかるときがあると信じられるから。
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