(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません
平成13年7月23日
「失敗」の勧め!
どうしてこんなに「心の病気」が蔓延しているのだろうか。必要以上に「心の病気」が多いように思うのだが。それはまるで精神科の先生が、病名をたくさん作って一人一人に当てはめているように思いたくなるほどだ。 先日も現在国立大学4年生だという学生が訪ねて来た。 自分がどうしてこんな風になったのか、原因がつかめないという。心療内科に通って薬を 彼は、今風のちょっと細身のなかかな礼儀正しい、素敵な男の子だ。 コーヒーより玄米茶がいいと言う彼と、玄米茶を飲みながら学校のこと、就職のこと、将来のことなど、色々な話をした。 就職はまだ決まっていないと彼は言う。 彼は就職するか、それとも大学院に進すもうか迷っているとも話していた。また、混沌とした今の社会でどんな仕事が今後、どの位の確率で大きく延びるのか、どんな企業を選択して就職したらいいのか分からないとも言う。大学に入学したとき、どんな企業にでも行けるようにと一応「経済学部」を選択したそうだが。 彼の話を聞いていて気がついた。彼にとって生まれて初めて「挫折をするかもしれない」という「恐怖体験?」をしているのだということに。 起承転結のしっかりした話し方。礼儀正しい言葉遣い。一見何でも自分でやってきたように見えた彼の行動は、親の言うことを聞き、親が引いた幾つかのレールの中から選択したレールの上を、失敗しないように、ただひたすら走って来ただけであり、今までのように親の手によってレールが引けない「社会」で、親の引いたレール以外のレールを、自分の考えや決断で引かなければならない現実に突然ぶつかり、頭の中が真っ白になっているようだ。 親以外の評価の上を自分の意志や考えで走らなければならない現実。「就職活動」を通して、その現実に直面したとき、始めて経験しそうな「失敗」という臭いに恐れをなし、手に入るはずのものが手に入らないかもしれないという現実に、呆然としている。それを素直に認めたくないという思いが、重く心を圧迫しているようだ。 そして、その現実を認めることの出来ない彼は、自分を「擬似病気」に追い込むことで、現実逃避しているようだ。 親も子も擬似病名が付くことで安心し、その中に身を委ねて、自分のことをまるで他人事のように「病気の所為」にすることで、安心している。 学校に行かれないようになって、親は「焦ること無いわよ、大学院にでも行ったら?」と勧めるそうだ。しかしそれは問題解決にはならず、単に「問題の先送り」でしかない。本人も認めたくないが、それは認識していて、それで苦しんでいるようだ。 子供は絶対、いつかは一人歩きを始めて、大人にならなければならない。 大人になるとは、単に図体が大きい人になるのではない。生きている人の先輩になることだ。若い人達のサンプルになることだ。その為に自分の中に、人として生きていく上で必要な「考える基準」や、「判断する基準」等を存在させることだ。それがあるから、問題がおきても、何とか道をはずさず、自分で考え、行動出来るようになり、人間社会を形成する一員としての"役目"も担っていけるのだ。 大学4年生の彼は、玄米茶を美味しそうに飲み、ピーナッツやチョコレートを美味しそうに食べ、楽しそうに色々な話をして、「なるべく精神安定剤は飲まない方がいいよ」という上田学園の子供達からのアドバイスを御土産に「また来てもいいですか?」と言って帰って行った。 その後ろ姿に上田学園の子供達の一人が「信じられないな。あそこまで計算してエリートになって、就職活動が上手くいかないだけで、あんなになっちゃうんですかね…、それに僕達の言葉が全然彼の中に入っていきませんでしたね。大丈夫ですかね?」と。 失敗から学んだら、それはどんな学問より素晴らしい。何故なら、失敗があるから成功の道を探る努力をし、その過程で、理屈ではなく正しい道が何となく見えてくるのだから。 「大学生君!今からでも遅くないから、失敗を恐れずたくさん失敗して下さい。その失敗から色々なことを学んで、逞しく生きていって下さい。応援していますよ!」
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