学園長のひとり言

(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません
平成13年8月13日


夢は託すもの?自分で実現するもの?  

現代版「星飛雄馬」のお父さんに出会った。
彼の職業は「子育て業」と「テレビ監視員」である。

彼は一日中テレビを見、難しそうな本を買ってきてそれを積み上げておく。子供の学力を伸ばすのではなく、学歴をつけるため、子供が小さいときから中学はどこどこ中学。高校はどこどこ高校。大学は「東大」。出来なければ東大に匹敵する他の「国立大学」。学部は「法学部」。卒業後の仕事は「弁護士」。それを手に入れるため、彼の引いたスケジュールからはみ出ないように、子供のお尻を叩き、厳しく管理してきた。その管理教育の結果、一人息子は無事国立大学の法学部の学生になった。

学費を心配することなく、優秀な学生達がのびのびと自分に合ったレベルで勉強する場と して国立大学が存在していたのは過去になり、現在は小さいときから国立大学に入学出来るように、子供時代を"飛び級"されて「頭」だけ育った「ひねた大人のような子供」が大学生になった。即ち天然国立大学生ではなく、養殖国立大学生だ。

そして、小さいときから大学入試日に合わせて逆算されたスケジュールの中で、「努力することが一番の美徳」と身の丈に合わない努力をするために、背伸びさせられ背伸びさせられ、エネルギーをすり減らし、大学生になったそんな彼らのある者は、「官僚」になり「日本を牛耳りたい!」と言い、ある者は養殖国立大学生にするために親がつかったお金が、今後必要なくなるからと「入学祝!」という名目で買い与えられた"真っ赤なスポーツカー"で青春を謳歌し、ある者は「最終目標クリアー!」と最終目標到達と同時にリタイアした親に見離され、何に生きがいを見つけたらいいのか、疲れた自分の頭では考えられず、腑抜け状態のようになっている。現代版「星飛雄馬」もこれに近い状態に見受けられた。

しかし、彼の父親は未だに「東大」に固守し、息子に転校を望んでいる。そのため彼は他の親のようにリタイアしていないのだ。未だにしっかり息子の下宿先まで来て息子を「叱咤激励」するのだとゆう。しかし当の息子にはもうそのエネルギーは残っていない。なくなってしまったエネルギーを補給したくとも小さいときから「そんな頭の悪い子供と付き合うと馬鹿になるから」と例えそれが従兄弟でも「そんな猿みたいな子供達と一緒にいると子供の品が下がる!」と絶対遊ばせなかったという父親の影響で「友達の作り方が分からない」と言う。だから、何かに挑戦したくてもそのエネルギーが補給されないため、全く前進する様子が見えないのだ。

現代版「星飛雄馬」は言う。「僕、人と付き合う仕事ではなく、人と全く付き合わない仕事につきたいんです」と。その言葉に思わず「え?それじゃ弁護士無理じゃないの?」と発言した私に、彼は精気のない目をチョト向けただけだ。

現代版「星一徹」は、沢山いる兄弟の末っ子で彼だけが「国立大学卒業」ではなかったという。何をやっても"そこそこ"にしかならなかった彼は、「俺はこんなレベルではない!」と色々な仕事から早々に「自主退職」をし、男女同権という名の元に、「奥さん」の稼ぎで生きているとゆう。それでも、親が生きていたときは、お小遣いだけは、年取った親からもらっていたそうだ。

現代版「星一徹」は、自分の引いた子供のスケジュール管理に燃え、自分の果たせなかった夢を「飛雄馬」に実現させるべく、体力温存のためテレビ管理、即ち朝から晩までテレビを見て、時間をつぶしているだけだという。

21世紀。時代が新世紀に入ってゆくなかで、昔の夢、通用しなくなった学歴優位社会が永遠に継続することを信じて今を生きている「星一徹」。それと逆行するようにエネルギーのなくなった体で、精気のないうつろな目でボーとしている「飛雄馬」。その二人の間には親子という名で結ばれ、「司法試験に合格して弁護士になる」という親から託された夢を実現するため、やっと自分を支えている"息子"に、「大丈夫?」と言う代わりに「親から上手に逃げなさい!」と叫びたくなる。

大人は子供に期待し自分達の果たせなかった夢を彼らに託したいと思うのは、永遠の命を与えられていない「動物」としての「性」なのか「本能」なのだろう。しかし、「動物」ではあるが、思考力を持っている「人間」として、昔の2倍生きられるようになった人間として夢を託すことから、自分で実現する「努力」をする人間になりたいものだ。

現代版「星飛雄馬」と「星一徹」。
彼らが今後どんな人生をたどるのか、「飛雄馬」が今で言う「切れなければいいが」と危惧しつつも「上田学園」の学生でない彼に、今私が出来ることは何もない。しかし出来ないなりに見守っていこうと考えている。それが現在私に出来る最大のことだからだ。