学園長のひとり言

(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません
平成13年10月30日


自分の時間をお大事に!

上田学園の生徒達は半年位前に、タイ語のソーパ‐先生の友人の素敵な学生と知り合った。来年卒業を控えた大学院生の彼は、大学1年のときにタイ旅行をし、タイとタイ人の優しさにひかれ、アルバイトをしては1年に数回タイを訪れているという。

穏やかで、爽やかで、本当に気持ちのいい若者に上田学園の学生は親近感を持ち、9月のタイ旅行のアドバイスも彼からもらい、またバンコックでも上田学園の生徒達を待っていてくれた彼に、今では首を長くして彼からタイについての本格的なアドバイスをもらおうと、上田学園に遊びに来てくれるのを楽しみにしている。そんな彼から、困った顔が目に浮かぶようなメールをもたった。

「タイの旅行の二日後、僕がTeaching Assistantしている学生4名をカリフォルニアに連れて行きました。マーケッティングを勉強しているゼミの学生達です。しかし残念なことに彼らには"意欲"というものがありません。学ぼうとする姿勢がありません。『与えられる旅行ではなく、自分達で発見し、作っていく旅行』だったはずが、何も出来ず結局与えられた課題をこなすだけという状況でした。そんな状態の彼らには、帰国後のゼミの授業で先生の質問には全く答えられず、先生をがっかりさせるだけでした。昨今、自主性のない若者や学生のことが問題になりますが、それを身をもって体験しました。
上田先生! 僕は彼らにもっと厳しく接したらよかったのでしょうか。もっと強制したほうがよかったのでしょうか」

彼のメールが続く。そんな彼のメールを読みながら、分数の出来ない大学生。漢和辞典のひけない大学生。「普通の文献だと漢字が多くてメンドッチイからマンガを読んで、レポートを書きます」と言う大学生。そんな大学生のことを思い出していた。そして、彼にメールの返事を書いた。

「貴方のような人は稀です。貴方の周りの学生は何も考えないノー天気で幸福(?)な学生達で、彼らを相手に何かをしようと考えるのなら、相手を大学生と思わないで小学生か中学生と思って、『こうやってやるのだよ』というサンプルを見せてあげてください。マニアルでずっと生きてきた学生達に自主性を求めても、何が自主性だか分からないと思います。何が自主性だか分からない人に、自主性を求めること自体、残酷なことなのです。そして想像するところ、学生達はマーケティングを勉強したいのではなく、単に何をしていいか分からないから『まあ、とりあえず大学でも行って、経済でもやっておけばいいかな?』という理由で在籍しているだけで、4年生になった今も経済が何かも理解出来ていないと思います。」と。

現在の日本の学校、特に大学は「とりあえず行くところ」のような位置付けに甘んじているような気がするが、「とりあえず行くところ」は悪いところかというと、そうではないと思う。利用の仕方が問題なのだと思う。"とりあえず"に流されて行くことは弊害が多いが、"とりあえず"を利用して何かを追及しようとする姿勢があればいいと思うのだが、その為に、何にでも興味の持てる、何にでも感激できる心だけは残しておいて欲しいと思う。

上田学園の位置付けは難しい。フリースクールであり、不登校児が来る学校であり、何だか分からないが自分らしい生き方をしたいと願っている学生達が来る学校であるのは事実だ。しかし、単に"時間つぶしのために来る学校"とは思っていない。「とりあえず」という理由で入学しても「とりあえず」に甘んじて前進をしないようなことは、させたくないのだ。何故かというと、時間とお金が勿体ないからだ。特に使ってしまったら無くなる時間の無駄はさせたくないのだ。時間は命の長さだからだ。

上田学園の入学は親からいくら入学を希望されても、本人に入学する意思がないときは、こちらからお断りする。勿論"上田学園でお預かりした方がいい"と確信した場合は、説得もする。しかし、反対に"お預かりしてもお役に立てない"と見極めると、お断りすることにしている。それは、命の長さと同じ時間を無駄にさせたくないからなのだ。彼らに合った学校を1日も早く探させ、楽しく生きていく方法をみつけて欲しいからだ。どう考えても、親がずっと元気でいられ、経済的な援助を一生してくれるとは、思えないからだ。

何に対しても興味が持てず、単位=卒業証書のために、ただただ海外に行ったり、クラスに座ったりすることを"勉強だ"とか"学問だ"とか、それをすることが就職に有利と信じ、何の疑問も持たず、何の感慨もなく学生をし、それを空しく思わない学生達。"知らぬが仏"で幸せかも知れないという思いと、自分達が何の為に学ぶかを考えたとき、最終的には社会に出て一人で自分の生活費を稼げるようにするためなのだという事実。稼ぐ手段が好きなことをしても、嫌いなことをしても苦労するのなら、好きなことをして稼いだ方がずっといいと思うのだが。

とりあえずだろうとなかろうと、自分の意志で上田学園で勉強することを決めた上田学園の学生達。どんなに嫌なことがあっても、自分で選択したのだから、自分で先生方や友人達を動かして自分の苦手を克服するといい。楽しいことはいつでも一人でも出来るが、嫌いなことや苦手なことを一人でするのは"つまらない"し"苦痛"だと思う。つまらないことや苦痛を"文殊の知恵"で、皆で考えて楽しい授業に変えていくことが出来たら、どんな人生もきっと自分で楽しさをみつけて、楽しみながらやれると思うから。

先週、学生達のことで心配ごとがあり、仕事をしながら思わず大きなため息をついた。
「上田先生どうしたの?ため息なんかついて。仕事大変ですか?大丈夫ですか?コーヒーいれますか?」という学生の言葉と彼の心配そうな顔に、改めてこの仕事が大好きで、子供達が大好きで、子供達はきっと彼等らしい人生を過すだろうこと等を想像するだけで、どんなに嫌なことがあっても、心配事があっても、辛いことがあっても、それが全部すっ飛んでしまうことに改めて気づかされた。そして心配してくれる学生向かって思わず「大丈夫よ、私はこの仕事が大好きだから!」と答えた。