学園長のひとり言

(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません
平成13年11月5日


頑張れひと月

久しぶりで嬉しいことがあった。嬉しくて嬉しくて"乾杯"したくて、ずっと欲しかった"頬紅"を買った。

秋学期が始まって月曜日から金曜日の午前中に基礎学習を取り入れるようになった。それも小学校の1年からの算数・国語(特に漢字)それに、英語のABCを。

上田学園の子供達は色々な理由で不登校という選択をした。色々な理由で路線を変えた。それは悪いことだとは思わない。自分の生きている場所が違うと気が付いたらさっさと路線変更をした方がいい。遠回りしても自分の生きる場所、生かされる場所を探したらいいと本気で思っていた。今という時は、自分の人生を納得して終わるための過程にいるのだから、その過程での出来事はたいした出来事ではないと思っていた。勿論、死ぬほど悩み、心を痛めたとしても、それは生きているからで、それでもその出来事は人生の過程の出来事なのだと。そして、人と比べるのでなく、自分の長さで生きていけばいいと思っていた。今もその考えは変わらない。しかし、どんなことも最低限の基礎学力がないと生きていけないし、自分らしい人生もつくれないということが分かった。

分かったのではない、知っていた。けれども"自由"とか"個性"とかいう言葉を隠れ蓑に、やらなければいけないことが随分ないがしろにされていたのが、想像以上だということが分かったのだ。周りもそれを許していたのだ。それが基礎学習の未習得だ。

一生懸命やって出来なかったのではない。やらなかったのだ。また彼等をとりまく親や先生も含め、大人達が「それはどこかで、誰かが当然教えて知っているだろう」という前提のもとに、教えないできたことも要因している。子供達を取り巻く大人の世界(親、先生、等)の認識の歯車が噛み合っていなかったことに、誰も気が付かなかったのだ。

基礎学習をして一ヶ月、なかなか大変だ。納得して始めた学生でも余りの単純作業と低学年の勉強なので、時々腹をたてて本箱を叩いたり、不貞寝したりしている。きついのだろう。飽きるのだろう。今の私はそれを見ないふりをしている。どうしても通りこさなければ、彼らの望む勉強に手が出せないからだ。例え彼らの望む勉強に手をつけても、土台がきちんとしていないので崩れてくるのは、目に見えているし、実際に経験もしている。

今大変なのは、基礎学習を前面的にしなければいけない学生と、部分的にしなければならない学生と、その部分を全く必要としない学生の時間割調整だ。また、午前中毎日やっている基礎学習はずっとやるのではない。出来上がったら本来の上田学園の授業に移行されるのだが、その移行の仕方と、算数、国語の基礎学習を必要としない生徒の授業をどうするかでも現在どうやっていこうか考慮中なのだ。

基礎学習を必要としない学生は、他の勉強が必要だ。ある者は常識の雑学。ある者は人との接し方等など。それぞれ自分でテーマをみつけ、自主的に勉強する時間、訓練する時間に当てさせている。

納得はして始めた基礎学習だが、やっぱり嫌だと考える学生もいる。その中の一人が時々学校を休むようになった。毎日休まず学校に来ている学生だけに心配した。

学校を辞めるのも本人次第。学校を不登校するのも本人次第。しかし、上田学園に来るようになって本来の彼を取り戻し始め、毎日、毎日素敵な変化を遂げていたときだけに、勿体無いと思った。話し合いたくても学校に来てくれなければ話にならない。基礎学習を担当した先生も「僕の所為ですかね」と悩んだ。

「今日もお休みかな?どうしたんですかね」と心配する学生。「大丈夫じゃないかな。彼は絶対来ますよ」と言う学生。病気で休んでいる学生のことと一緒に皆で心配した。そして、久しぶりで学校に出てきた学生の顔を見てホットした。そして来たり来なかったりしながらまた1週間が過ぎた。

「先生、最近皆変じゃありませんか。皆もう帰っちゃったんですか?」と彼が帰りの準備をしながら言い出した。そして「何だか前みたいに上田学園に来てもウキウキしないんです」と話し出した。私は彼の言葉を聞いて「やった!」と思った。とても嬉しかった。そして話し合った。私が基礎学習をどう思っているか。彼にとって基礎学習はどういう位置付けなのか。面白いことばかりをする授業や、お祭りのような授業だけが勉強ではないこと等。

彼は本当の意味でとても頭のいい学生だ。びっくりする位色々な知識を持っている。彼の話を聞いていると為になることが多い。時々「彼はすごいですね。僕も彼みたいに何でも知りたいな」と大学を中退した学生が賞賛し、感嘆する。そんな彼のウイックポイントは勉強ではない。だから彼にとっての基礎学習は、基礎学習をする中で苦手なことをする自分をしっかり見つめ、味わい、それを他の人のために役立てることだと考えている。その前準備が今なのだということも話した。

話し合っているときの彼は本当に素敵だった。もともとハンサムな彼だが、きっと小さいときはこんな素直な可愛い顔をしていたのだろうと、想像出来るようないい顔をしていた。そんな彼の顔をみながら話し合っている間中、何て素敵で、可愛いいんだろうと思った。

彼にとってのこの1時間の話し合いは大きなステップになるだろう。もうこれからは嫌なことがあっても、嫌いなことがあっても、何からも逃げ出さないでしっかり自分の意見を言いにくるだろう。話し合うという態勢がもっと取れるようになるだろう。それが出来るようになったら、彼はぐんぐん伸びていくことだろう。

上田学園はまだまだ若い学園だ。何が正しく、何が間違いか混乱することも多々ある。それを何時も修正し、前進していきたいと考えている。何しろ、私達のお役目は学生達の踏み台になることであり、そのためのサンプルになることが私達先生の仕事だからだ。そのために、私達は毎日を真摯に生きていきたいと願っている。

私は本当に幸せ。戸棚を蹴っ飛ばしながらも自分の決めた基礎学習を一生懸命続けようと努力して結果を毎日出している学生。親の問題で心を痛めながら一生懸命自分の人生を切り開こうと努力している学生。自分の方向を決め、その将来に向かって進もうと前向きな行動を始めた学生。「上田学園で勉強しながら中学を卒業します。出来るかどうかチョッと心配だけど、なるべく休まないで学校に来ます」と言いながら、来ると他の学生に混じってフランス語の勉強も水泳も嫌がらずにやりはじめた学生。素直に自分の意見を言い始めた学生。まだまだ色々あると思うけれど、私も頑張ります。嬉しくて買った頬紅をつけて、チョッときれいに(?)なって。