学園長のひとり言

(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません
平成13年12月3日


生きるとは恥ずかしいことの積み重ね

お蔭様で12月中旬に私の本が出版される。
書き下ろしの部分の原稿をやっと書き上げて出版社にお渡しした。そしてホットしたとたん、緊張がほぐれて目がぐるぐる回っている。

思いがけずに本を出版することになったが、文章を書くのは大の苦手だった私が「何で?」という思いは正直ある。それと同時に「恥ずかしい!」という思いもある。それも上田学園の先生達に対して"恥ずかしい"のである。

何故なら、こんな本を書いたけれど、上田学園は先生達で持っている学校であり、先生達が素敵で、先生達から叱咤激励されながらやっとこさっとこ運営している学校だからだ。おまけに、先生達から色々学んでいるのは生徒ではなく、実は私なのだ。生徒とぶつかりながら色々考えさせられ、学ばしてもらっているのは実は私なのだ。そんな私が本を出すということに、ちょっと恥ずかしい気がするのだ。これは本当に正直な気持だ。

それでも図々しく出版者の方の御申し出を受けたのは、「人間明日はどうなるか分からない」という気持ちがあるからだ。それは、悪い意味ではなく、誰にでもチャンスが来るし、この世の中の不思議で、完全な人間や優れた人間だけにチャンスがまわってくるのでも、計算通りに運命が流れていくのでもないということを、子供達に知ってもらいたかったからだ。

今日は華やかに第一線で活躍していても明日はどうなるか分からないということもだ。だから、いつも人に優しく謙虚にいないといけないということもだ。そして、どんなときでも自分に力があり知恵があったら、きっとなんとか問題を解決していけることも。そのために、どんなにめげることがあっても問題を"放棄"してはいけなこともだ。問題放棄には解決策がないからだ。簡単に言えば、宝くじを買わない人間に絶対宝くじは当たらないということだ。

上田学園の子供達は、完全ではなければいけないと思い込んだり、出来ないこと、知らないことを恥じるあまり、自分を前進させることが出来ず思考停止をさせたり、人のせいにして横を向いたりと、自分から伸びていけるチャンスをつぶしている。誰にも負けない素晴らしい素質を親からもらっているのに、それを宝の持ち腐れにしているのだ。自分を信じず、自分と戦おうともせず、白旗をあげていることにも気がつかずに。彼らは人の何十倍もの可能性があり、その可能性にたくさん時間がかけられるという幸運な立場にいるのに、それをしないというその"無駄"が、勿体無いのだ。

いつの世の先人達も「人生、死ぬまで勉強です」と言っている。その言葉の意味は、今の私には分かる。本当に毎日苦しくなるくらい、色々学ぶことが多い。学ぶために反省し、反省するから出来る空間に新しく学んだことを収めていく。それの繰返しなのだ。

子供達のように逃げたいと思うのは毎日だ。でも逃げないのは、逃げて問題が解決するとは思えないからだ。だから、正面からぶつかっていくしかないのだ。自分をふるいたたせながら、自分を叱咤激励しながら前進するしかないのだ。そして、そんな時だからこそ親や友達がフット何気なく言ってくれる言葉からエネルギーをもらい、また頑張って前進できるのだ。

「私は完全な親ではありませんから」と相談にこられた親御さんが言う。誰も完全な親が存在しているなどと思う人間はいな。いたら、脅威だ。ただ、子供達は親に一人の人間として毎日自分のためにどんな生活をしているのかをしっかり見、それを要求しているのだ。

小さいときは、母親と父親としての親しか必要としない。だから、親を一人の大人とか、一人の人間とは見ていない。しかし小さいときと違い、大人になってきた子供達は親を一人の大人、一人の人間として親がどんな生活をしているかをしっかり見ているのだ。だから親が一人の人間として仕事を始めたとか、趣味で何かした等ということがあると、嬉しそうにその話を他人に話すのだ。その話の中には、子供としての自分の存在はない。あるのは、自分の親が“そうやって生きている”という子供としての誇りだけだ。

完全な親じゃないからと、自信喪失している親達にも、こんなに不完全な人間でも何とか生きていることや、なんとか自分の夢に向かって歩いていることや、理解できないことが沢山あるが、子供達から逃げないでぶつかっていること。それも格好悪いところを子供達に見せながら、自分が今信じられることをぶつけていることを知って欲しいと思っている。

子供達は誰一人として同じ人間はいない。この世に同じ人間がいないから面白いのだし、同じ人間じゃないから、楽しいのだ。だから人と比べる必要も、人と同じ人生を歩む必要もないのだ。ただ、計算通りの人生にはならないのが人生なのだから、昨日の自分と比べ、明日の自分に繋げていく努力をしたほうが、平等に来る計算外の出来事に包まれた面白い人生を、心から満喫出来ると思うのだ。

今年もあと一月で終わる。今年は本当に悲しいこと苦しいことの連続だったし、今も続いている。「一人で生きていかなければ!」という思いも沢山した。それと同時に人の温もりに感謝し、頑張って運命の流れの中で、自分が今最高に出来ることを一生懸命しようとも思った。そしていつも、先代の坂東三津五郎さんから伺った「先代から私は『舞台の前にいるお客様に向かって演じてはだめだ。目の前のお客様に向かってだけ演じると、小手先の芸になる。目の前の評判に翻弄される。しかし、ご先祖様、目の前にいない方、天国にいる方に向かって演じると、嘘の芸は出来ない。何故なら演じている心の中まで見透かされるからだ。だから、そうしなさい』と言われました。それから、私はいつでも目の前のお客様ではなく、ご先祖様に向かって一生懸命演じるようにしています。そうするとお客様はご存知なくても、今日の失敗が、怠けて失敗したのか、一生懸命で失敗したのかがきちんと反省出来るからです」という言葉を思い出して、反省とともにその言葉で自分を鼓舞している。

私の本の出版は今月だ。どんな本になるのか気恥ずかしい気持と、ウキウキした気持と変な状態だ。

「俺、腹が立つから絶対読まないようにしている、園長の独り言。何が今起こっているのか説明しなくても、ホームページを通して全部母親に筒抜けじゃん。でもさ、文章は上田先生そのものだよね」

生徒の一人が本の仮表紙を見ながら話しかけてきた。
「そうね、何しろ上田学園は小さい学校で、生徒が全部話のモデルだものね。」
「先生、早く大きい学校にしようよ。そうじゃないと、恥ずかしいじゃん。それに上田学園わりといい学校じゃん!いい線行ってるよ。」

人生本当に「恥ずかしい!」の積み重ね。いつになったら、恥ずかしくない人生がおくれるのか。そんな私の本、どんなになるのか、またはずかしい!