●学園長のひとり言  


平成13年12月10日

*(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません

わんちゃんのリード、人間のリード

「あ、あぶない!」という声の方を見ると、交差点の真中でお年よりがオロオロしながら、右折しようとしていた車の陰で何かしていた。そして丁度そこに来合わせた方が急いでお年よりのところに飛んで行き、お年よりと車の陰にいた犬を歩道まで誘導してきた。

驚きと恐怖で引きつった顔をしたお年よりが、そこに居合わせた私達に説明を始めた。
その方のお話によると、犬をつれて散歩していたら犬のリードが交差点で信号待ちしていた車に引っかかっていたのに気がつかず、車の発進で犬がひきづられそうになって慌てたとのことだった。

「こんなこと今までに一度もございませんでしたのに・・・」と当惑気にいうその方の話を聞きながら、いつも「危ないのにな」と思っていたことが実際に起きたと思った。

私は買い物を沢山して帰らなければいけないときと、遅れそうになったときに自転車で学校に来る。それ以外はなるべく歩くように心がけている。

毎日、同じ道を歩くか自転車か時にはタクシーで来るのだが、そこで目にすることは同じに見えて同じものがない。ただ、自転車に乗っているとき何時も気になるのが夜遅くに無燈で走っている自転車と、散歩の方の犬のリードの長さだ。

車の流れが速いところでは、犬も人間も自転車も同じ歩道を共用する。その時、自転車に載っている者のマナーは歩行者への注意だろう。歩行者は自転車への注意だろう。しかし、歩行者でありながら、犬を連れて歩いている方は、以外と犬に気がとられていて全く他の歩行者や自転車のことが目に入っていないことが多いように見える。私が自転車に乗っていて気をつけるのは勿論歩行者、特に犬をつれた歩行者だ。

犬をつれた飼い主は必ず、犬をリードでつないで歩いている。リードがないと犬は好きなところに飛んでいってしまうからだろう。しかし、そのリードの使い方や長さを見ていると犬に対する飼い主の愛情が分かるような気がするし、犬と飼い主はまるで親と子の関係のようだと可笑しくもなる。

犬が一人で歩きたいのは人間の子供と同じだ。しかし、朝の通勤で忙しげに走りぬける自転車や足早に先を急ぐ人達の流れの中を犬のリードを長くして犬を歩かせている飼い主達。突然流れをさえぎるように犬が立ち止る。同時にブレーキをかける自転車。急に歩行者の前を歩き出す犬。そのリードに足をとられそうになりひっくりかえりそうになる歩行者。飼い主と一緒に信号待ちをしていた犬が、何を思ったか急に歩道から車道に出ておしっこをする。車道を振るスピードで走ってくる車に、飼い主があわてて犬のリードを引っ張る。そんな飼い主とワンちゃんに出くわすと、「リードの長さも愛情なのに!」と、思わずブツブツ文句をいいながら、そんな飼い主に飼われているワンちゃんに同情したくなる。

今この状況下では犬の安全を考えると、リードの長さを短くして自分の脇をしっかり歩かせる。他の方にも邪魔にもならず自分の可愛いワンちゃんの安全も守れる広い所に出たら、リードをゆったりと長くして思う存分自由にしてあげる。そんな当たり前な気遣いや思いやりが例え犬にであっても必要なのではないか。たかが動物、されど動物。大切な生き物、飼い主が守ってあげなければ誰が守ってあげるのか。幾ら「うちのワンちゃんは自由が好きなんです」とか、「リードをいやがりまして、自分を人間だと信じているんですよ。」と嬉しそうに話しながらリードを長くして自由に歩かせる。でもそれは本当の思いやりとは思えない。

これは子供と親の関係も同じだ。

親は子供がヨチヨチ歩きの頃は、リードをつけて危なくないように歩かせている。その時のリードは親の手だ。親の手の長さが最長で、危なくないように手をつないで歩く。危ないと思ったり、今は自分の側にいた方が精神的に子供のプラスになると思うと、そのリードが最短になり、子供を抱く。

子供が成長するにつれてそのリードの種類が紐になり、長さも長くなり、それと同時にもっとも短いリードとして、手で肩をだいたり、手をつないで歩いたりするリードに変わる。それがもっと成長するにしたがいリードの長さは目に見えないくらい長くなり、リード自体も透明になり子供には気づかれないようになる。そして最短のリードも最長のリードも信頼や愛情などが基盤になった精神的なものになっていく。

大人になった子供のリードは、子供が気がつかずに持つ"親や自分を育ててくれた人への感謝"だ。それがあるから、どんなに遠くにいて親の目がなくても悪いことをしたり、人を困らせたりすることはせず、辛いことにも耐えて社会人としてしっかり生きていくのではないのだろうか。

時代が変わり親が年取ると、子供が親に遠くから「元気!」「変わりない!」という電話や手紙などを使った目に見えない長いリードで、親を保護しだす。そして親の年齢が上がるにつれて、そのリードが短くなって行く。お互いにお互いの生活を邪魔しないようにしながら、お互いを思いやる。その時、親は頼もしく育った子供の気持がすぐ側にあることで、安心をする。

教師と生徒の関係も同じだ。勿論、私と上田学園の子供達の関係も。私は的確なリードの長さを知るために、今日も生徒と時々頭の中が真っ白になる中で一生懸命対応している。1日も早くリードが透明になり彼等が世界中に飛び出して行く日を夢見ながら。

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