●学園長のひとり言 |
校風・家風 12月22日。卒業生、先生方、お世話になった関係者の方々と忘年会が行われた。毎年のことだが、この日は思い切り飲んだり食べたりしながら、色々な話をする。 卒業した生徒達は先生方と旧交を温め、近況報告をし、新しい在校生達と交流する。御世話になった方々はそんな彼等や先生達と交流しながら上田学園を身近に感じていただく。 毎年この忘年会になると私は、この忘年会にあわせて帰国する海外に居住する方々と、ゆっくり歓談しながら子供達や先生方の楽しそうな様子で、1年の苦労がすっ飛んでしまう気がする。今年もまさにそんな忘年会だった。 上田学園の校風は、年齢・性別・学歴・経験に関係なく人間として、お互いを尊重しながら楽しく、しかし素直に相手の話を一生懸命聞いたり、自分の意見を言ったりすること。そんな学校をめざして、日夜「学園長として私は何をしたらいいのか?」と自問自答し、理想に近い学園にしようと頑張っているつもりだが、今のところこの頑張りも"授業の中で"というより、この忘年会に一番発揮されていると思えるほどだ。それだけに、忘年会には色々な方に参加して頂きたいと願っている。事実、色々な方が参加してくださり、時間も2時間の予定が、だいたい3時間半はすぎる。お店の方に注意されなかったら4時間でも、5時間でもあっと言う間に過してしまうことだろう。 今年はスイスから私の友人であり、日本人学校補習校の主任の一人としてどんな問題も一緒に考え、解決した仕事仲間の町子先生が参加して下さった。 学生達は町子先生に今年の夏のヨーロッパ旅行で会い、スイスの歴史や教育、ものの判断の違い等、色々な話をして頂いた。大学の講師であり、日本企業のアドバイサーでもある町子先生の個性と知識。そして何ともいえない人間性に惹かれ、「また会いたいですね」と学生達が言っていた先生だ。 上田学園の子供達は何だかだ言いながら、自分の意見にしっかり裏打ちされた素直な気持や、意見をストレートに表現して下さる上田学園の先生達のことが本当に好きなようだ。多分今の日本では正直な気持をストレートに表現して「よいものはよい。」「悪いものは悪い。」と自分の言葉できちんと話して下さる方が少ないせいだろう。特に生活の場が海外の場合は表現がもっとストレートになり、それが学生達の心に響くようだ。例えそれがとても厳しい意見でも、その意見の底に流れている本物の"優しさ"を感じているのだろう。 「本物の優しさ?」、そう"本物の優しさ"だ。 上田学園は出来て5年目にはいったばかりの学園だ。 出勤の仕度をしながらテレビをつけた。 お母様の生き様が素敵に見えれば、口でグチャグチャ言わなくても、ほっといても、"よくなりたい思考の人間"であればしっかり真似をするはずだ。本当にしっかり愛情を持って息子を育てていれば、"よくなりたい思考"のお嫁さんを選んでいるはずだ。息子を信じたらいい。そして不言実行をしたらいい。「宗家の嫁はこうしなければいけない」と。 世の中厳しい。どう見ても"素敵だ"とか、"納得出来ない"と思ったら、お嫁さんになるかならないかの問題ではなく、誰もついてこないだろうから。「それが宗家の"長"のすることなのに」と考えながら、テレビを見ていてフット思った。「人ごとではなわ!」と。 私は常に子供達には「自分の人生が終わるとき、俺は一生懸命生きたぜ。」と言える人間になってもらいたいと言っている。そして、どんな世界でも、どんな社会でも一人で生きていけるような力を持って欲しいとも願っている。納得のいく人生をおくって欲しいとも考えている。その為に私や先生達や周りの大人達が自分達の生き様(格好悪いことも良い事も含めて)を見せるべきだと思っている。色々なお手本を見せるべきだと考えている。 今年の最後のお手本は忘年会で終わった。しかし、4ヶ月ぶりで学生達に会った松山から来た先生は「上田先生、凄い変化ですね。もの凄く学生達が素敵になりましたね。4月・5月頃は暗いと思った学生が、こんなに楽しくて明るい性格だと思いませんでした。」「彼は面白い学生ですね。」「彼は大人の顔になりましたね。何だか落ち着いて、いい感じになって・・・」と学生達一人一人に目をやりながら驚嘆するのを見ながら、何とも嬉しく、誇らしい気持になり、そのまま冬休みに突入した。 事務所は28日までだ。休み中は学生達が出てきて伊東先生の授業の実践練習。タイ旅行の企画を練ったり、広告文を考えたり、ホームページを作成したりするようだ。 今は誰もいない事務所で、音楽をガンガンかけて「園長のひりごと」を書いている。生徒に手伝ってもらって事務所の大掃除も殆ど終えた。「明日はお正月の飾りをして・…」と考えながら、この原稿を書いている。何とも幸福な気持で。
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