●学園長のひとり言  
平成14年1月21日

*(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません

   

嬉しいことがたくさん!

「こっちの方が空いているからこっちに座ろうよ!」と振り向いた私の目の中に二十歳位のフランス人の若者4・5人と、まるでサッカー試合のように組みつほぐれつ、押し合いへし合い、地下鉄の乗車口でバタバタとやっている学生の姿が飛び込んできた。

「駅で大きなお金が崩せないなんて、そんな訳がありませんよ。当たり前じゃないですか、駅で大きなお金を崩してくれるのは。」

伊藤先生の授業の一環として、買い付け旅行や海外旅行ではお客様にどう対処したらいいのか、どんなことを注意したらいいのかを体験するため、上田学園の学生が一人伊藤先生のアシスタントとして先生の仕事に付いてヨーロッパに来ていた。

パリは物騒なところだからお金を持っているところを見せないほうがいいこと。大きなお金では切符は売ってくれないとガイドさんが注意していたが、日本の常識、世界の非常識というくらい外国での行動には注意しなければいけないこと等を説明した私の言葉に反発し、大きなお金を出して地下鉄で切符を購入しようとして断わられ、領収書やユーロ札がゴチャゴチャに入れられたお財布からモタモタしながらお金を出して切符を買った直後、引ったくりに襲われたのだ。

彼等はただの引ったくりではない。正々堂々と乗車しようとする人間の足元に自分達の切符をばらまき、その切符を拾うふりをして被害者のズボンの裾をたくし上げ、靴下をひっぱり、靴のジッパーを下げて大金が隠されていないか素早く調べ、電車のドアが閉まる寸前に、すっと電車から下車し、平気な顔をしてホームを歩いて行ったのだ。

「海外では自分の周り1メートル以内には人を入れないような気持で、周りに気を配って注意しているよ。」学生の報告を受けて「被害はなかったか?」と言いながら淡々説明してくれる伊藤先生に、叱られるかと思っていた学生はホットした表情で先生の説明を聞いていた。

恐かっただろうと思う。ショックだったろうと思う。でも私は彼の為にこの出来事に感謝した。

上田学園の子供達は、なかなか個性的だが素直ではない。何かあるとまず反対する。反対したり反論してからしか人の話を受け入れない。受け入れないことが"格好いい生き方"だとでも思っているかのように。

確かに若いということはいいことだし、大人の言うことなど聞きたくないのも理解出来る。何でも受け入れてしまう大人を「汚い!」と思うことも悪いことではない。でも、参考にした方がいいことはたくさんあるはずだ。その部分で「素直」でないことが損をすることもたくさんあることを知って欲しいと願っている。

学生を連れて行って本当に良かったと思う。それは、普段では見られない「彼」が見られたことだ。学生ではない彼なのだ。一人前に仕事をする人間として見られる立場にいる、彼なのだ。そこにいる彼は、普段の学生の彼ではない。誰が教えたわけでもない。自分から積極的にお客様と話し、お客様に質問されれば一生懸命片言にもならない英語を使って情報を集めてくる。一人前の仕事をする人達からするとヒヨッ子の添乗員だが、彼自身は責任ある一人前の添乗員をやっているのだ。

叱られ注意されながら夢中で動き回っている彼は、普段の彼ではない。親も兄弟も先生も知らない彼なのだ。恥をかいたり失敗することを一番恐れている彼が、恥をかき失敗しながら一生懸命やっている。文句を言いたくても聞いてくれる人もいない。聞いてもらう暇もない。だからブツブツ言いながらでも前進していた。前進するしか選択の余地がないから、仕方がなくても、反論したくても、ただただ前進していた。

今の世の中はあまりにも選択の余地がありすぎるのではないだろうか。選択する力がないのに、選択の余地だけをたくさん与えすぎているような気がする。選択する力のない彼らが選択するのは、「楽しい!」と思えるか、「恥じをかかない」と確信出来るときだけだ。例え今は苦しいけれど、苦しかっただけ実現したときに嬉しさが増すということは、無経験なので理解出来ないのだ。だから苦しいこと、格好悪いこと、嫌なことを選択する基準は彼らに全くないのだ。それが彼らの成長する足をひっぱっているのだと実感した。

伊藤先生のアシスタントとして仕事の現場に立たされると聞いたとき、ヨーロッパに学生の代表で行けるという嬉しさと、昨年の9月に行ったとき食べて美味しかったケーキをフランクフルトでまた食べられるという思いしかなかっただろう彼。伊藤先生や私が助けてくれるだろうと思っていただろう彼。しかし、誰も助けてくれず、おまけに上田先生は口を開けば「お客様を優先にしないでどうするの!」「どこからお客様が貴方を見ているか分からないのだから、欠伸をしてはいけません!するなら後ろを向いて!」「口は人に物を正確に伝えるためにあるもの。もごもご喋ってはいけません!」「8時にロビーに集合なら、貴方は7時にはロビーに行っていなさい!」等と注意されっぱなし。

自分の手足を自分で動かして泳がなければ溺れてしまう状況におかれた学生が見せた素晴らしい仕事振り。お客様から喜ばれる体験を通して、自分に何が不足しているのか、何をしなければいけないのか。素直に人の意見に耳を傾けることの大切さなどを身を持って体験した学生の顔は、毎日毎日輝いていた。彼の仕事振りは正直「こんな力があったの?」と驚くほど頼もしいものだった。

若い人達の潜在能力は素晴らしいものがある。それをつぶしているのは「彼等には出来ない。」と思い込んでいる彼等を取り巻く教師や親や大人や一般社会だと痛感した。やらせれば出来るのだ。チャンスさえ与えれば出来るのだ。物分かりのいい親子をするより、時には「頑固親父!」と言われようとも「頑固ばばあ!」と呼ばれようとも親の考えを頑固に押し付け、突き放しておくことも必要かもしれないと痛感した。アップアップさせることも必要だと思った。本当に頼る者がいなくなれば、自力で這い上がって来るはずだ。それだけの潜在能力は持っているはずだ。

我々は動物だ。動物的な生存本能を潰してしまわない方がいいと思う。その為に親はライオンの親のように絶対強くいるべきだ。子供の為に、子供を谷に突き落とす位の強い信念を持つべきだ。

誰の言葉か分からないが、愛情の裏返しは憎しみではなく、無関心だと言っていたが、同感だ。子供に無関心でなければ、それでいい。子供を突き放すといい。その為に親は自分に強くなる必要があると思う。

憎しみは感心があるから憎むので、愛情も憎しみも感じていないということは、存在していることを認めていないということだから無関心でいられるのだろう。

上田学園の学生には本当に自分のことを知って欲しいと願っている。自分のやっていること、考えていること、行動等が人の中でどうのように共鳴するのか知って欲しい。その為には、人と戦うのではなく自分と戦える人間になって欲しい。人に共鳴する行動が出来なければ、それは自分の存在も人の存在も認めていないということだからだ。

久しぶりに上田学園にもどり子供達と話していたら、子供達の顔がまたまたチョッと大人顔になって「いい顔」になっていることに気がついた。思わず嬉しくなって何かご馳走したくなった。でも今日は「10分遅刻したら全員にご馳走します!」と宣言していた学生がご馳走してくれるそうだ。何をご馳走してくれるのか?バタバタと買い物に出かけた彼等を、首を長くして待っているところだ。


 

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