●学園長のひとり言  

平成14年2月12日

*(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません

   

価値基準・判断基準

私の学校の近くに素敵なお店がある。お店の前を通るたびに「入ってみたいな」と思う程外観の雰囲気が素敵で、可愛いお店だ。さぞかし素敵な品物がそろっているのだろうと想像して、お店に入るのを楽しみにしているのだが、残念なことにまだチャンスがない。そして、昨日もいつものように閉まっているお店の前を通り、ドアに張られた小さな張り紙に気がついた。そしてドアの取っ手に張られたメモ紙に目をとめ、立ち止まって読んでみた。

「募金をしない人は絶対入ってこないで下さい。迷惑しています」

このお店は、売上の一部を可愛そうな動物の活動をされている方に寄付しているという。そして、このお店に入られた方全員に1円でも5円でも10円でも額に関係なく「募金」をして頂いているとのことだ。だから、募金をするつもりのない方には迷惑なので入店しないで下さいとのことだ。

このメモを読んで、お店の前を通るのが楽しかっただけに何とも説明出来ない気持ちに襲われた。そして、何んだか自分に嫌気がさした。「もしかしたら、私も自分の立場を忘れて、自分の考えを人に押し付けているのだろうか」と。

今の世の中は、自由と個性が尊ばれる世の中だ。だから色々な価値基準が存在するのだ。しかしそこには絶対、普遍的な判断基準があるはずだ。自由が"義務と責任の表裏一体"だとか、尊敬とは「尊敬しろ!」と強要して、尊敬されるものではなく、その人の行動や意見や生き方を見て、自然に尊敬したくなるものだとか。ドアの開いていない家に黙って入ったら、不法侵入とか。お金を払わないで品物を黙って持ってきたら、ドロボーだとか。判断基準の底を流れているものは、共通意識の社会ルール。どんな社会になってもその共通意識のルールで行動しなければ、社会は混乱するばかりだろう。

私はお金を頂戴してやっている仕事に関して「私は只今、こんなことをやっています」とご報告させてもらっている。広告もする。しかし、人に強要していいこと、いけないことをしっかり自分の中で見極めないといけないと常に自分に言い聞かせている。人と係わり合うことと、現在の立場を選択した時点で、今まで以上にどうやって正確に自分の意見を人に理解して頂くか、その為に「自分の立場をしっかり理解しないといけない。しっかり認識していないといけない!」と、ことある毎に自分に言い聞かせ、戒めている。

上田学園のある街には色々な面白いお店がある。美味しい食べ物屋さんも沢山ある。「これ美味しいね!」と話をしているお客に向かって「私語はしない!さっさと食べて、出る!」と怒りつける"名物オヤジ"のいるレストラン等など。本当に色々だ。

上田学園の学生達には価値基準と判断基準の違いと、一人の人間としての選択権・権利権・義務権を理解し、自分が今どの立場にいるかで、その選択権・権利権・義務権も変わってくることを理解し、自分が何に価値をおいて人生を作っていくのかを、学園に在籍している間に少しでも決められるようになったらいいと願っている。

上田学園の学生達は刻々と変化を遂げている。でも長い間ずっとやってきて習慣のようになってしまった「ちょっと気に入らないと不貞寝する。」とか「思った通りにならないと、不貞腐れ、すねる。」とか「不登校する。」とか「話し合うことを拒否する。」とかは、たびたび頭をもたげる。ただし確実に少し前よりは回数が減ってはきている。

先週も、一人の学生が「朝まで友達と飲んでいたから、眠たくて!」とか「オールナイトで宿題していたから、眠たくて!」とか言って、授業を直前で何回かすっぽかした。そのために皆で計画していた授業が前進せず、「授業に来ない者は来るまで待たないで、出来ることから皆でやって前進する」ということになり、出席していた者で手分けして授業が進んだ。そして久しぶりに授業に出席した学生は、自分の思惑とはちがう方向に進んでいる授業に驚いたのだろう、意見を求められてもまともに答えず、授業にも、他の学生達にも背中を向け、一人で絵を描いていた。その後ろ姿は、仲間に入れず砂場で友達に背中を向けて、一人でもくもくとトンネルを作っていた5歳児のようだった。

ここが彼の正念場だ。単なる「戯言」ではなく、人をきちんと納得させられるだけの主義主張は大いに主張して欲しいと思うし、するべきだ。勿論、主義主張には行動を伴ったものであるべきだ。主義主張に裏付けされた行動は人に主義主張を認めさせる大きな要因になるからだ。今ここでどうやって自分の気持ちを整理し、自分を納得させ前進出来るようになるのかが、これからの彼の人生にも大きな意味をなすように思う。

今の私は手を出さないことが、彼への思いやりだと思っている。しかし、こんなことでいいわけがないのでしっかり話し合うチャンスは狙っている。何故なら、彼の背中がそれを望んでいると思ったからだ。

先日も少し早いと思ったが、ある学生に春学期のお支払いを親御さんに頼むようにと、請求書を渡した。勿論、こっちのお金をあっちに、あっちのお金をこっちにとやりくりしている上田学園にとっては、早めのお支払いは「大助かり!」ではあるが、それ以上に、大きく変わりだしはじめた学生に、親の厚意でこれだけの月謝を出してもらって受講する上田学園の残りの1年。1日1日をしっかり自覚して学んで欲しいと願ってのことだった。そして、彼の答えは「親に頼みました。今度のことで僕が今までいかに父親を無視していたかがよく分かりました。」という報告をくれた。

父親と話し合って、つくづく父親の有難さ、やさしさが分かったという。「父親と話すまでは、ずっと父親は怖くて自分勝手な人間だと思っていましたので」と言う。「上田学園で頑張れ!」と励ましてくれる父親に、今回は本当に有難いと思ったそうだ。それを裏付けるようにまたちょっと顔つきが変わり、もう一段いい顔になっている。

そして今日、外国人に日本語を教える授業の後で「今日の授業、先週までうまくいったのでちょっと油断したのがはっきり授業に出ていて、外人の学生を混乱させたわね。貴方達は先生として、プロとして外人に日本語を教えているので、うまくいったときこそ一生懸命準備をしなければいけないのよ。油断大敵!」という私の注意に「すみませんでした。本当に今日の授業は準備不足でした。」と自分の非を認め、次回の授業はきちんと準備して臨むと反省していた。その言動は、去年までの彼には絶対なかった。

彼は一日一日素直になっている。それと同時に今まで隠されていた彼の人間としての素敵な素材が輝きだしてきた。

上田学園の学生達。 彼らの人生は長い。彼らには、バランスのいい判断基準に支えられた彼らの価値基準をきちんと身に付けて欲しいと願っている。その為に、人生のほんの少し先を歩いている先輩として、周りの方々の教えを受けながら私は、自分の行動を反省し、考え、修正しながら生きていこうと思う。


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