●学園長のひとり言  

平成14年2月23日

*(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません

   

100点か0点の人生


私が上田学園の子供達に今、早急に理解してもらいたいと痛切考えていることがある。それは、人の存在に関心を持って欲しい。自分の存在に関心を持たれて欲しい、ということだ。

上田学園では、身につかない勉強は本当の勉強ではない。その最たるものが受験勉強。何にも疑問を持たず、ただただ先生の説明や問題集に書いてあることを暗記させ、その結果を競わせる「いかに頭をつかわないで暗記した答えを一秒でも早く書くかコンテスト」状態の受験勉強はさせない。それよりも、もっと自分のための、人生のための勉強をして欲しい。自分の頭を使い、考え、結果を自分で出し、自分の人生を納得しておくるのに役立つ勉強をして欲しいと考え、色々な生き様の色々な価値観を持っている先生方に授業をお願いしている。

そんな先生方の授業を通して、早急に学んで欲しいと願っていることは「自分の行動が、人にどんな影響を与えているか」である。その為に、自分の行動に責任を持って欲しいし、自分の存在に関心を持たれて欲しいことだ。

今、多くの子供達は何故か自分にしか興味がない。特に「お勉強が出来ました」とか「受験校におりました」という子供達にその傾向が強い。

悪気はないのだが、人のことに興味を持たない彼らにとっての他人は「自分は、もしかして格好悪いと思われているかも知れない!」という自意識過剰な自己判定を確認する「顔色役」。そして、勝手に判断した結果で「恥ずかしいから来られない!」と授業をサボる。 誰もそんなことを思ってもいないのに。

私は子供達に何回も繰り返して言っている「学校は自分のために行くところ」と。そして、勉強だけをするところではなく、共同作業も含めて、共同生活の仕方を学ぶところ。即ち、コミュニケーションのとり方を学ぶところだと。他人の存在を認め、自分の存在も認めてもらう勉強をするところだと。

しかし小さいときから子供の成績にのみ一喜一憂する親や先生達に囲まれて、「私達の為に勉強だけ、頑張って!」という無意識のエールに囲まれ、まるで親のために学校に行くような、先生の名誉のためにいい成績をとるような風潮の中で生きてきた子供達。一生懸命やって親を喜ばせようと使命感に燃え、頑張って80点をとっても「わあ、80点だ。頑張ったね!」と喜んでくれるはずの親は「あら・・・?どうして100点とれなかったの?」と感想を述べる。まるで100点以外は0点と同じかのように。

そんな親の反応が100点以外は全部0点。だから90点しかとれないならテストを受けに学校に行ってもしょうがない。だから休む。それが高じて、人から勉強が出来ないと思われると、全人格まで否定されると思い込み他人の言動に一喜一憂するか、無視しだす。無視に慣れると他人に全く興味を持たなくなり、理解しようとしない。あるのは自分のことばかり。他人に興味がないから自分の行動に責任をとろうとしない。とる必要も感じない。

自分中心の彼等の生活。家庭でも親を悩ませ、兄弟を悩ませる。それが家族だけの場合はいいが、外の生活、学校の生活でもそれが出てくる。

共同作業をする。何日までに何を誰がするという宿題がでる。宿題が出たときはそれなりに楽しそうに「何を読んだらいいかな?」等と言っている。しかし、自分の思ったような答えが出なかったとか、皆を納得させるようにまとめられなかったとか、自分の思った通りの反応が先生から返ってきそうもないとか、自分のやったことより他の人のやったことの方が評価が良さそうに見えたとかで、次の授業に出てこない。

100点以外は全部0点の彼等にとっては、100点満点での評価がとれそうもない授業は無視すれば、自分の評価は問題にならないし、下がらないと信じているようだ。それはまるで「頭隠して尻隠さず」の状態なのに。

勿論受験などは、1点足りなくても合格しない。そのときは確かに100点か0点の世界でしかない。しかし、その結果を受け、それをどう乗り越えていったかで、時にはもっと大きな意味を持ち、成果をあげることもある。しかし、それ以上に学校でやる勉強は結果がすべてでなはい。むしろ過程が大切だ。

「どうして出来なかったのか?」「どうして満足のいく答えが見つけられなかったのか?」「参考にした資料が間違っていたのか?」「資料の選択が間違っていたのか?」「資料の解釈が違っていたのか?」「人に理解させる方法が間違っていたのか」など等。

どうしてという理由と「うまくまとめられなかった」とか「出来なかった」という答えが理由とともにクラスで担当者から話されると、それがまた皆の勉強になるし、参考になる。それについて先生もアドバイス出来る。しかし、全く担当者が現れないのだから、検討のしようがないのだ。再考のしようがないのだ。授業が前に進まないのだ。

勉強は何のためにするのか、しっかりもう一度皆で考えてみたい。自分の役目とは、人生とは、友情とは、何をしていいのか、何をしてはいけないのか、もう一度しっかり考えてみたい。そして、結果がすべてではないことも知ろう。

100点をとれることは素晴らしいが、一生懸命やって30点しかとれなくてもそれは100点と同じ価値のあることだということを、知ろう。100点と0点の間に、99の違うレベルもあることを知ろう。その99の違うレベルには一生懸命やったか、適当にやったかで価値の差がたくさん在ることも気付いて欲しい。またそれが理解出来る幅のある人間らしい人間になろう。それが人間としてこの世に存在する人間の特権だと思うし、それがやさしい気持ちで人を理解できる基本になると思うから。

100点か0点の人生。そんな人生をおくる予備軍になることは断然拒否しよう。上田学園でうんと恥をかいたり、100点か0点がで判断しようとする自分の心と戦い、自分にも人にも関心を持ち、大きな心と素直な気持ちと、優しさに満ち溢れた人間として、失敗を恐れず、むしろ失敗から学びながら成長していく若者らしい若者として、自分の足で色々な可能性を求めて上田学園という踏み台から、大きく踏み出して欲しいと願っている。

「上田学園の学生達にお伝えします!」
「私達上田学園の教師達は、皆さんにとって踏み甲斐のある“役に立つ踏み台”として、皆さんに何時でも踏まれる準備はしてありますので、ご遠慮なく是非ご利用ください!」

 


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