●学園長のひとり言  

平成14年3月25日

*(毎週月曜日更新)
いつも遅れてすみません

   

子供の興味と教育

私がいつも心がけているのは、学生達の興味をおこさせること。興味のあることは、「勉強しなさい!」と言わなくても、自分達で勉強するからだ。しかし、この学生達にとって興味のあることは、好きなことだけ、面白いことだけをやらせておくことではない。勉強しなければならないことを、いかに興味をもたせるか、だ。

「学力が落ちている」、親も学校も学力低下に戦々恐々としている。それは、「詰め込み教育」が批判され、子供の “興味や体験重視"の授業をしたために、「ゆとり教育」をしたために起こった結果ではないかと言われている。

家庭での学習時間も世界31カ国で最低だという調査結果も出ているという。授業時間数が変わっていないのに、3年生で学ぶ問題を5年生に解答させると、同じ問題を12年前は89.0%の正解率が、今は44.8%だという。そして、塾に通う子と通わない子の学力差が中学生になればなるほど拡大しているという。

この問題は今日昨日に始まったことではない。調査をしたのが最近だというだけだが、何か大切なものを見落として、大切な大切な子供達を犠牲にしてきてしまったという思いが教師としても、子供を取り巻く大人の1人としても、なんとも説明出来ない悲しい気持ち、淋しい気持ち、やりきれない気持ちにさせる。

今私は、上田学園の4月からの時間割と先学期の反省を踏まえてカリキュラムの見直しをしている。また授業担当の先生方にも4月からの授業カリキュラムの提出と職員会議の出席をお願いしている。そんな中、昨年の春・秋の各先生方の授業計画書を読み直してみると、各先生方がどんな思いで上田学園に携わって下さっていたかが分かり、改めて丁寧にお礼が言いたくなった。

しかし、そんな先生の思いが生徒達の授業に生かされていたかというと、不発に終わったり、不本意に終わったりしていることも多々ある。先生方はさぞかし「消化不良」を起こしていらっしゃるだろうと、本当に申し訳ない気がする。 しかし、これは勿論先生方が悪いのではない。生徒達が悪いのでもない。私達教師が考えているより現実の学生達には、何かを吸収する力、理解する力がないことに気付かなかっただけなのだ。私達が勝手に、この年齢、この学歴なら当然備わっていると思っていた「基礎学力」がなかっただけなのだ。

「考える勉強がしたいんです」と言っても、どうやって自分の意見を言うのかを学ばずにきてしまったため、「どうして?」「なぜ?」と教師達から質問され追及されると、とたんにアレルギーを起こし標準言語の規範から逸脱した誰にも通じない「自分語」で、そっぽをむくしか自分を表現する方法がないだけなのだ。

何の知識もない白紙状態が小学校の入学時。その時から1+1=2、2+2=4。「あ」の次が「い」で、「い」の次が「う」で、「"あ"はこうやって書くんですよ」と教えられながら、しっかり基礎を積み上げていく。その上に中学・高校・大学の勉強が年齢と共に積みあがっていくはずのところが、そうでないのが今の教育なのだ。だから、問題が満杯に噴出しているのだろう。噴出しない方がおかしい。

小学校のときから、「知らないことを教えてもらえるところが"学校"なんだよ」「分からないことや理解出来ないことを『分かりません!』と言うと、先生から教えてもらえるのが、"学校という所"なんだよ!」ということを知らされても、気付かされてもいなかったのだろう。

「なぜこうなるの!」「どうしてこう考えたの?」と話し合いながら、例えおかしな答でも、一生懸命考えて出した答えは 「皆で聞いて、皆でどうしてそれでは駄目なのかを話そうね」という雰囲気がクラスにも先生にもなかったのだろう。

興味のあることも、遊ぶ時間も、ゆっくりご飯や寝る時間も削られてやってきた子供達の勉強の結果がこれでは、教師としても大人としても学生達に謝るしかないように思えて仕方がない。出来て当たり前と思えることが「出来ない、考えられない」と言って叱ることなど出来ないと思ってしまう。例え勉強をしなかった子供にとっても同じだ。せっかく仲良しになった子供とも、「勉強が忙しいから、またあとで!」と遊べなくなって、それをじっと我慢していたのに。

上田学園の学生達はこれから小学校の1年生になるのではない。すでに15年以上何らかの形で学生をしていたのだ。それだけに、この歯抜け状態の基礎学力や「勉強することの意味」や「学ことの意義」をしっかり理解させ、補充しながら彼等が望む「知りたい、やりたい授業」をどう組み入れていくのか、頭の痛いところだ。

4月にはまた新しい学生達が入学してくる。

新入生のためにも在校生にとっても、彼らの「知りたい、やりたい」授業がしっかり実施できるよう、またそんな彼らとガッチリ四つに組んで、彼らの興味にしっかり答えていこう、刺激していこうと、準備して待っていて下さる先生方が消化不良を起こさないよう「いい取り組みでした。楽しい授業になりました」と言ってもらえるよう「ノートのとりかた」から、「株の買い方」にいたるまで、学力の凸凹を調整しながら、学生に必要なことは興味のあることも、興味のないことも、しっかり学べる場にしたいと考えている。

上田学園のある武蔵野市吉祥寺。どこもかしこも桜の花でピンクに染まっている。その下を学生街にふさわしくたくさんの若者が、ピンクの空の隙間から優しくこぼれてくる春の日差しを眩し気にうけながら、楽しそうに歩いている。
そんな雑踏をよそに「中学受験がんばれ!」と書かれたビルの前で親の車で送られてきた疲れた顔の子供達が、小走りに静かなビルの中に消えて行く。

まるでドラマの1シーンのような、そんな忙しげな街を眺めながら、大切だけど、学生にとっては退屈だろうと思われることや、興味のもてないことを、どうやって興味をもたせて勉強させられるか、どんな教科が上田学園の学生には不足しているのか、それをどうやって補おうか、そのためにどんな先生を講師にお願いしようかと、そのことだけが少々疲れて回転がだいぶ鈍くなった私の頭の中を、忙しそうに駆け巡っている。

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