●学園長のひとり言  

平成14年5月29日

*(毎週月曜日更新)

   

大人の浅知恵

「すいませんでした。飲んだくれていました」蚊のささやきのような声でブツブツ釈明する彼に、「まるで尋問しているみたいで嫌な気分だな…、でも尋問しているんじゃないんだよ。君が何をしたいのか、僕達に何をして欲しいのか、僕達に何が出来るのか知りたいんだよ!」

こんな会話で始まった学生同士の話し合い。彼は大検を受験したいという。その為に一人では出来ないので皆に手助けして欲しいという。こんな話し合いを4月の春学期の始まったオリエンテーションの日にもした。

私を含めて他の先生ともした。その時に先生から「君のために率先して大検の準備を手伝ってくれるというのは、君と他の学生との信頼関係で成り立つんだよ。僕に授業以外でドイツ語でヘッセを読むのを手伝ってくれっていうことも、君と上田学園の信頼関係が根底にあるから、『それじゃ、お互いの時間のあるときに会おうか?』という言葉が出てくるんだよ。そのためにも、君はまず授業にきちんと出席する。『自分のやりたい時間に大検の勉強を見てくれ!』ではなく、見てくれる友達の時間に自分の時間を合わせるのが礼儀だろう。やらなければいけないことの優先順位も考えなければ駄目だよ。」等と話をしてもらっていた。

「やります。毎日学校に出てきます。授業後に大検の勉強をみてもらうために、アルバイトはやめます。お願いします!」と頭をさげた彼の威勢のいい挨拶も見事三日坊主で終わった。

早朝学校でお茶を飲んでガールフレンドからのメールを確認し、皆が出て来る頃には、いつのまにか姿を消すという彼の生活が始まった。

そして一ヶ月半、「ヤツはここで逃げ出したら絶対損するのに。彼が友達と呼んでいる奴らはさっさと自分の道を歩き出しているのに。いつか皆においていかれるよ!ヤツは一度も約束を守ったことがないしな…、絶対今逃げ出したらこの2年間が無駄になるよ。」と言いながら心配する他の学生の気持も知らす「上田学園の授業はくだらないし、学校に行くのもメンドクサイし、今の学生は面白くないし、大検も簡単そうなので、もう学校やめるよ!」と偶然道で出会った卒業生にそう言い、卒業生を心配させていたようだ。

「くだらねえ!」「めんどくせえ!」とい言葉は今の若者言葉の代表的言葉だろう。しかし、その言葉の使われ方は私達が理解している言葉の意味とは違う。

若者言葉の「くだらねえ!」「めんどくせえ!」を、共通言語の一般的日本語で翻訳すると、「成功するかわからない。どちらかというと自分の力では成功しない確率が高い。成功しなかったら恥ずかしい。失敗したことから立ち直るには時間がかかる。心が傷つくことには手を出したくない。面子も潰れるし…だから、『くだらない!』」

「一見格好よく見えた。簡単そうに見えたので手を出してみた。勉強もしようとした。けれど、自分がこんな簡単なことも理解出来ないということが、先生や友達に知られたら『どうしよう?』。知られたら格好悪い。だからその前に逃げ出す。それに、ちょっとその場の雰囲気で言っただけだ。もっと簡単に出来ると思った。でも時間もかかりそうだ。だから『めんどくせえ!』」という意味なのだ。

私はずっとずっと考えている。子供を取り巻く大人は子供のために何をしなければならないのか。子供を取り巻く親や先生、大人は一体子供達の何に責任を持たなければいけないのかと、上田学園を始めてからずっと考えている。

人間生きている時間が長くなると「経験」や「体験」が将来についてある程度の想像や予想が出来るようになる。だから、親をはじめとする子供達を取り巻く大人達が、「学歴がないといい生活が出来ない!」とか「出世出来ない!」とか色々な意見を経験や体験から想像し、推測し、予測をして断言するのだ。

経験や体験の少ない子供達は大人のように想像したり推測したりすることが出来ない。そのために、自分達が出来る想像、予測、推測以外のことに関して断言されると、「上から物を言われた!」「押し付けられた!」と勘違いし、それに"はめられまい"と反発する。

やっかいなことに大人の意見は一つではない。何しろ意見を言ってくれる大人の経験や体験が、同一ではないからだ。その違いが、何か意見を言うときの基準になっているからだ。

大人の意見はどれもこれも全く"間違い"というわけではない。むしろ、生きる場所によっては正解も正解、100点満点の正解なのだ。しかし、子供達が大人と同じ条件で、同じ生きる場所を共有出来るかということは、全く保障がない。その保障のないことを保障しようとするから混乱する。

大人でも自分の将来や未来に保障が出来ないように、子供の将来、未来に保障が出来ないのは当然という事実を、親も、子供を取り巻く大人達も、きちんと正視する必要がある。それを踏まえて、実際問題私達、親や大人達は子供達に一体何をしなければいけないのかを再考する必要があると思う。

私は子供達の将来の責任や保障を、大人がしなければいけないのではなく、物の捕らえ方、考え方、判断の仕方、責任のとり方等を、教えなければいけないのではないかと,考えている。

私は「園長の独り言」の中で、例え自分のホームページとはいえ、言いたい放題を公共の目に触れるホームページ上にこうやって書かせて頂いているが、実際のところ私、上田早苗はそんなに完成した人間なのかというと、全くなのだ。

自分の中にどんな正当な理由があると言っても、色々な方に"ご迷惑のかけっぱなし"をしている。その上、毎日毎日恥をかき、苦しみ、悩み、人に叱られ、軌道修正しながら何とか皆さんのご厚意で、今日まで何とかこられたのだ。その事実を正視すると「園長の独り言」を書くこと自体躊躇するというのも、私の正直な気持だ。それでも言わずにいられないのも私の"本音だ"。

明日という日は、今日の続きではあっても、誰にとっても「はじめての日」であり、そこで経験することは、今日の経験とは同じではないはずだ。

はじめてすることに恥をかいたり、苦しんだり、悩むのは当たり前だと考えている。そして問題に当たっていかなければならないときに、弱気になったり、勇気がもてなくなったときに応援し、励まし、信じてくれる存在として、家族や友達が必要になるのだ。親や大人がしてくれる自分の人生に通用するか、しないか、全く保障のない保障を、子供は求めていないのだ。

子供達には、一人で生きていくために、人と共存するために、自分をしっかり確立してもらうために、人間として生きるために最低限必要と思う他人に対する思いやりとして、「約束を破らない」「人の話を素直に聞く」「感謝の気持を持つ」。自分に対しては「人の話を判断する力」「善悪を見極める力」「『すみませんでした』と言う勇気」「やり直す勇気」「選択をする力」。そのために、何をしなければいけないかを、しっかり子供達に話したいと考えている。何故なら、それが人間として生きる"基礎"になるものであり、それは時代の流れや、流行(はやり)廃り(すたり)には関係ない、時代を超越したものだと思うからだ。

今上田学園の子供達は、親や大人が出来ないことをしっかり言っている。

「大検が欲しいなら、今の生活から2ヶ月だけでも抜け出たら。嫌なら今の生活に戻ることは簡単に出来るのだから。」

「あのさあ、『飲んだくれていてすみません!』と言うけど、ちょっと黒板にどんな一日を送っているのか、書き出してみなよ。それを見れば何を君がしなければいけないのか、自分で分かるから。」

「何かを『やった!』と思える達成感が欲しいなら、この2ヶ月大検に向けてアルバイトも何も止めて、やってみる。やらなければ、絶対達成感は持てないよ!」

「皆の気持を動かすには、口先だけじゃない、君が自分で努力する必要があると思うよ。バイトを止める。学校のタイ語の辞書を家に持って帰って返さないことで、皆が不自由しているんだぜ。辞書を返すこと。本当につまらないことでもチャントする。」

「言い訳になるので、酒はやめること。そのかわり、合格したらおごるから」

「遅れて来たり、約束を守らなかったら俺はその場で抜けるから。それを約束してくれたら俺は数学を教える!」

学生達と彼の話し合いをずっと見ていて、学生同士は本当によく分かっているし、ストレートに理解しているということに、驚かされた。達成感の無経験が彼の大切な生活を、いいかげんに過ごさせる原因になっていることも、しっかり見抜いて助言をしている。

大検に合格は、したほうがいい。でも、何かに向かって「やりたい!」と考えてくれたことの方が、もっと私は嬉しい。そんな彼に何度も裏切られながらでも「何とか手伝えるんじゃないかな?」と考えてくれる学生達の心根が本当に嬉しい。

上田学園は大検のサポート校ではない。だから大検の勉強は全くしない。しかし今までの経験からすると、学園の授業に出ていると、いつのまにか色々な雑学が身につき、大検の勉強を何ヶ月もしなくても合格している。だから4月の話し合いでは、上田学園の授業はちゃんと出席し、その後で大検の勉強を他の学生から見てもらうことになっていたのだ。

今回の話し合いで、まずは何かを成し遂げる喜びを体験させよう。そのために、昼間は6月末にタイの大学で日本語を教えながらタイ語の勉強をしに行く卒業生に、タイに出発するギリギリまで勉強を見てもらい、夜は5時半から毎日担当を決めて勉強を教える。それもダラダラと教えるのではなく、30分から1時間だけ。その30分から1時間を土台にして後は「自分で勉強をする」、「自分で努力をさせる」ということになった。

一日も早く生徒が先生を必要としなくなるように、一つ一つを教えていくのではなく、理解のしかた、暗記の仕方などを教えるようにするということが話し合われ、各自の担当が決まり過去問題をコピーし、どこが出題されやすいかの分析を始めた彼らは、自分の責任をしっかり遂行しようとしている。そんな彼らにとって「大検を受けたい」、「自分一人では何も出来ないから教えて欲しい」と言った学生の存在は大きいし、いい刺激になっている。

今回"習う""教える"と立場は違うが、一生懸命な学生達を見ていると上田学園の存在、人との出会い。出会えても縁のある人、ない人。本当に不思議なものを感じている。

上田学園の卒業生も巻き込んで、立場が違っても自分達の意思で「責任」を負った生徒達全員の顔が、またいい顔になった。そして、そんな彼らを見ていて保障の出来ないものを保障しようとしたりする私達の馬鹿さ加減に、つくづく「大人の浅知恵」を痛感し、反省させられている。

タイの出張から帰って来て、久しぶりに調子を崩し、また親しい方が亡くなられたり、家族が怪我をしたりと何だか慌しい日が続いている。だが、バタバタと落ち着かない生活に追われ、学生達に迷惑をたくさんかけているこの頃だが
学生達はお互いを助け合いながら切磋琢磨して、日一日と逞しく大人になって行く様に、何とも嬉しさと、何ともいえない感謝の気持ちで、彼らの先生振りを見守っているところだ。


 

バックナンバーはこちらからどうぞ