●学園長のひとり言  


平成14年7月17日

*(毎週月曜日更新)

眠れる森の高校生?

都立大学の入試制度が変わるという。高校に行っていなくても、大検を取得していなくても、入学出来るようにするという。

勿論これには色々な条件がつくだろう。しかし、本当に画期的なことだし日本の学校教育が変化を遂げることを暗示する大きな出来事だと思っている。

私が上田学園を始めてからずっと感じていることがある。それは今の学校、特に高校生や大学生の学校生活を聞くと、なんともやりきれない"空しさ"を感じるのだ。

高校生達が言う。数学は難しくて解らない。英語は難しくてメンドクサイ。物理は別に物理学者になるのでないから、関係ない。だからずっと授業中は寝ている。毎日寝ながら授業の終わるのを待っている。寝ていても3年間は3年間。高校卒業の資格がもらえるから、そのためにじっと我慢して、3年間授業中は寝てやりすごす。「高卒の資格くらい持っていないと、就職ないじゃん!」と言う

それでも、静かに寝ているクラスは上等だそうだ。殆どの学生は携帯のメールで、忙しく時間を過ごしているそうだ。携帯のメールで隣近所と話をして、授業時間を潰しているという。だから、何を勉強したかも分らないし、試験の日も、範囲も知らないから試験の前になると、メールで試験範囲や試験日を聞くのに大忙しだそうだ。

学校は何をしに行くところなのか。学校は3年間行ってただ座って、居眠りして時間がたてば、ABCが書けなくても字が読めなくても"高校卒業"になることで親も子供も学校の先生も、それで"よし"としていることが理解出来ないのだ。どうしてそれが空しくないのか、私には「わからない!」のだ。

3年間は人生の中では、本当にチョッとした時間だろう。でも、3年間は3年間だし、その3年間が人生の中の一番いい時間の3年間だと思うと、高校卒業資格がなくても、自分の好きな本を読んでいたり、働いたりした方が例え、高校卒業資格という"紙"がもらえても、授業中寝て過ごすよりずっと有意義だし、大切だと思うのだが。

親は子供に何を望んでいるのだろうか。字も書けず、ABCもよめず、計算も出来ず、常識もなく、ただあるのは「高校で3年間寝ていました」ということを証明するかのような、実力の全く伴わない「高校卒業資格」というタイトルの「紙」と、男の子も女の子も眉毛を上手に整える技術と、普通丈のスカートのすそをこれでもか、これでもかと上手に短く折りたたむ術と、携帯のメール早撃ち。

もうそろそろ、親も社会も、そんな「紙の上の高校資格」を廃止することを考えたらいいと思うのだが。

勉強の嫌いな子供にどうして学校に行くことを強制する必要があるのだろうか。勉強が好きだけど、親がリストラにあったからといって、どうして進学をあきらめさせなければいけないのだろうか。もうそろそろ親も社会も、子供の色々な生き方を認め、また本当に勉強がしたい子供のために、安心して勉強出来るシステムをつくるべきだと思うのだが。

人の考えを変えるのは大変だ。でも自分の考えを変えるのは自分の努力で出来ることだ。親も子も自分の足元から世の中を変えていくことを考えたらどうだろうか。そして、先生も社会も自分の足元をしっかり見つめることで、社会を変えていくことに力を注いだらどうだろうか。もうそういう時期に来ていると思うのだが。

学歴があってもなくても実力に磨きをかける人間は、自分のしたい人生を過ごす努力を続け、学歴があってもなくても努力をしない人間は、努力のない人生を過ごす。21世紀は、それがもっと顕著になる時代ではないだろうか。そんなことを考えると、「高校卒業資格」を目標にするのではなく、自分が自分のしたい人生を過ごす為に必要な「道具の使い方」を習うことの出来る場所の一つとして「学校」をとらえ、また学校以外でも同じような「道具の使い方」が学べることによって、単に"高校卒業資格"という"紙"をもらう為に、3年間の授業を寝て過ごすというもったいない人生の送り方は、しないようになるのではないだろうか。

「高校に入学して、『高校の先生は何て催眠術をかけるのが上手いのか?』と本気で驚きました。なにしろ、授業が始まると目があけていられないくらい眠くて眠くて、何がなんだか全く分らなくなるんです。友達も皆、授業になると眠っちゃうんです。あれは不思議でした。」と、上田学園の学生が言う。彼は部活があったから我慢できたが、それも受験準備が始まったとたん誰も部活に出てこなくて、居眠りだけに学校に行くのなら、行く必要はないと考えたそうだ。

私はいつもいつも「もたいない!」と、話を聞くたびに思い、その後でなんとも説明できない"空しさ"を感じている。そして、自分の人生は一回しかないのだから、"学ぶ場所"はどこでもいい。映画からでも、仕事からでも、本からでも、社会からでも。ただ無駄な時間だけは過ごしては欲しくない。何をやってもいいから、無駄な時間だけは、過ごして欲しくないのだ。

何かを実際にやるのであれば、何をやっても無駄になることはないが、何時間もただ眠っているだけでは、時間の無駄だし、起きたとき頭が痛いだけで、スッキリした目覚めではないはずだ。寝るとは、身体を休め次の活動に備えるためのものであるはずなのに、眠った結果、頭痛がするような寝方をする理由はどこにもない。

時間の無駄は、人生の無駄。実力の伴わない「○○大学卒業」とか「○○高校卒業」とかを追いかけて、あらゆることを犠牲にしたり、ごまかしたりは、もうこの辺でやめさせ、"実”を認め、“選択すること”を応援する姿勢と、自分のための「学び」を学生達に、しっかりやらせたいと願っている。


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