●学園長のひとり言  

平成14年8 月7日
*(毎週月曜日更新)

  スローフード運動

「中国痩せ薬で、新たな被害者」などという新聞の見出しを読むと、思わず自分の体型に注目してしまう。

私は大変立派な体格をしている。私の本の題名が「骨太の子育て」となったとき、生徒達が「先生、それ"肉太の子育て"でしょう?」と言ったほどだ。昔のスマートな時代の写真を見ると丁度サイズが二倍?(以上かな?)。そのためか潜在的に「スマートになりたい」という欲求はあるし、苦労しないで「痩せました」等という広告は、特別に読もうと思わなくても目に入ってくる。おまけにそれが「中国の、なんたらかんたら」とくると、中国=漢方薬=安全という図式がまるで数学の公式のように頭に浮ぶ。それが大きな被害に結びついたのだろことは、自分のことから考えも容易に想像出来る。

中国の痩せ薬の問題が大きく報道されていたころ学生の一人が、「先生、"地産地消運動"を知っていますか?」と質問してきた。意味がよくわからず「どんな字を書くの?」という私の問いに、新聞の「切り抜き」を見せながら学生が説明してくれた。それはファーストフード、別名ジャンクフードと呼ばれるそれに対抗して、地元の食材や伝統料理や食文化を守ろうというので「スローフード」という運動が、16年前イタリアの片田舎でスタートしたという。すなわちその土地でとれた物は、その土地で消化しようという運動だそうだ。

この「スローフード運動」は現在では五十カ国以上に支部が出来、食や自然を見つめ直す運動として世界中に広がっているそうだ。そんな彼の説明を聞きながら、ふっと気がついた。教育も同じだと。

いつの頃からか「幸福」とは「いい生活」即ち、「お金のある生活」。それを手にいれる近道として「有名大学」→「有名企業」→「高い地位」というルートを効率よく走る。勉強が好きか、幸福の基準が何か、子供は何を欲しているかなど、子供の気持ちは無視され、「何も考えずに言われた通りしなさい!」と親や教師や社会が強要する。それに反発する子供達は、何か悪いことをしている子供でもあるかのように見られ、忌み嫌われた。

どこで仕入れたか、仕入先のハッキリしない情報に翻弄された大人たちは、大人の欲望や、見えや、体裁を隠し味に、テストや塾という添加物をドッサリ、子供の頭から振りかけ、曲がったキューリは格好悪いとばかりに、子供が作る人間関係は「時間の無駄」と切り捨てさせ、何にも疑問をもたせないよう、何も自分では考えなくていいいように、効率的かつ見栄えよく仕上がるルートに子供を乗せ、「全員に平等の教育を」という美名と、厳しい社会で生き抜くために「せめて他の子供と同じスタートラインからスタートさせたい」という「親の愛情」という美名の元に子供の教育をしてきた。

それでも「ファーストフード」には、まだ添加物や着色剤など、人の口に入るのだから規制があるはずだが、教育のファーストフード化には何の規制もない。心が痛めつけられて、悲鳴をあげていてもまだ気がつかず、日本中どこで食べても、同じ味の、同じ値段の同じ顔したハンバーグのような子供を作っていることに気がつかない。教育のファーストフード化はもっと始末が悪い。

「地産地消」。自分の家には、自分の家の「土」にあった「ものの考え方」があり、それで育まれたいいものがたくさんある。それを子供に与え、じっくり味合わせ、それを土台にして育った力を、その子供が育った環境、即ちその子供にとって一番似合う環境。一番伸び伸び出来る環境。そんな中で消化させる。即ち「生かす」。そんなスローフード化的な教育が出来たら、子供はどんなに伸びていくことだろう。

物をつくる家庭に生まれ、小さいときから見よう見真似で何でも作って楽しんでいた子供に、「せめて大学くらい出ていないと社会が認めてくれないよ」と無理やり塾に行かせ、勉強を強要する。それは、自分の作っているものが「いい物」でないから人が欲しがらないだけなのに、それを「学歴がないために自分は認められないんだ」と問題を摩り替え、子供に強要していることに気がつかない。

上田学園は卒業しても「学歴」にはならないが、自分が本当にしたい仕事、したい勉強をみつけたとき、何歳になっていてもそれを実践する勇気と、自分の力で何とか問題を解決し、頑張れる力だけは、つけておきたいと考えている。それも、各学生のもった素晴らしいものを生かして、完全燃焼出来る様に。その素晴らしいものとは、家庭でしかつくれない。

その土地がつくった環境の中、親や家族の愛情という「太陽」と「水」。そして、ちょっぴり厳しく、どっちに吹くか分らない「風」の中で、どんな環境にも、どんな条件にも、「家庭」に応援され、しっかり自分でいられる顔。自分にしかない自分の顔。学校でしっかり身につけた基礎基本を土台にして、いつかどこかで自分を「個性」として開花させる。

教育の「スローフード」化は本当の意味で国際化にも通じる。自分を育んでくれた土地、即ち国。自分という人間。自分という人間の属している社会。それがきちんと理解出来てはじめて、海外の方達と対等に交流が出来、外国を理解できる。

食の「スローフード運動」。教育の「スローフード化」。
ファーストフードや現在の教育を100%否定するのではなく、いいものは「いい」と素直に認め、悪いものは「悪い」と訂正しながら「これは何?」「どうして?」「どうやって?」「どんな?」と、一つ一つを大切にしながら食べることも学ぶこともじっくり味わっていきたいと考えている。また、学生達にもそうなってくれたらいいと、願っている。

21世紀になって、私達は20世紀の間違いを訂正することに追われている。しかし、訂正している間に犯罪はますます凶悪化し、教育の歪はますます子供の犯罪に結びついている。そして大人たちは戸惑い、混乱し、出口がみあたらない現状にあせり、自信喪失している。こんなときだからこそ、物事をもっとシンプルに考え、足元をみつめなおし、身の丈にあった、自分達の手で出来ることから実践していく必要があると痛感している。まさに教育の「スローフード化」、教育の「有機栽培化」だ。



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