●学園長のひとり言  

平成14年9月10日
*(毎週月曜日更新)

          憧れています、未来の部屋に!

上田学園では只今ギューギュ−詰めで勉強をしたり仕事をしたりしている。昨日もここ実質10畳くらいの部屋に12名の人間が押し合いへし合いで座り、右の端っこでは英語の個人レッスン。左の端っこでは、香港の学生に日本語の授業。まん中ではアルバイトを終え、汗だくの格好で集まってきた上田学園の生徒達が、気功の合宿とサバイバルの合宿の打ち合わせ。騒音の中での日本語教育が理想とは言っても、授業が終わったときには、流石の私も一日の疲れと、騒音とでグッタリしてしまった。

静かになった事務所。雨音とチエットベーカーのジャズを聴きながら静かに、憧れの部屋に見入っていた。サイズはここの部屋の約2倍。窓が公園に向いた素敵な部屋。でもチョッと心配。なかなか学校には部屋を貸してくれないから。でも、眺めているだけでも幸せ。こんな部屋で学生達が勉強できたらどんなにいいだろう。遊びにきてくれる学生達の友達も、今よりはリラックスしてくれるだろう。「コーヒーを飲みにきました」と言って遊びに来てくれる方にも、もっとリラックスしてもらえるだろう。日本語の勉強を楽しみにしている外国人の学生達にもスペースが確保でき「嬉しいな」と独り言。

「お金があったら何に遣いますか?」と聞かれたら私は直ぐ「ゆったりしたとスペースのとれるところに引越します」と答えるだろう。もっとお金があったらビルか家を買うだろう。学生達やお客様が気兼ねなくゆっくりくつろげる場所をつくるために。そしてオーブンの付いた大きな台所も備えて、皆で色々な国のお料理を作って、それを食べながら色々な話をするだろう。もっとお金があったら、昔の古い民家を吉祥寺に移築して、囲炉裏はそのままのこし、学校が終わったあと、先生達や学生達と火を囲みながら話し明かすだろう。でも今はほんのチョッと、今より大きいスペースの所に行きたいと願っているのだが・・・。

小さいときは、ギューギュ−詰は楽しかった。貧乏だった我が家はまさにギュ−ギュ−詰め。「お母さん、お兄ちゃんが押した!」等と言いながら下の兄と喧嘩する。「直ぐ、喧嘩するのだから離れていなさい!」「濡れ衣だよ。早苗ちゃんが勝手に割り込もうとするんだよ」等と言われてもギュウーギュウー詰めを楽しんでいた。大きい兄と父の間に割り込んで、本を読みながら両隣の兄と父にペッタリ体をつけて安心して眠ってしまったりした。あのリラックス出来たギューギュー詰めはどこに行ってしまったのかと思うほど、上田学園のギュ−ギュー詰めは酸欠になる。なにしろ、一緒にいても頼もしく誇らしく思うほど大きい学生達だ。それだけに酸素の量もたくさん必要なのかな?と思うほどだ。

私は、家とか学校とか会社とか、人の集まるところは、人の出入りがあることを喜ぶべきだと思っている。事実、家でも学校でもたくさん人が出入りをしてくれると嬉しくなる。我が家もいつも兄の友達や近所の人たちで賑やかだった。それを母と兄達が応対し、それを静かな父がニコニコ見ていた。そして母が「無駄なお金は倹約しましょうね。もう少しお金があったら、もっと色々なお料理を充分つくってお出しできるし、『ゆっくり泊まっていって下さい』と言って気兼ねなくお泊りいただけるからね」と言って、せめて今の我が家で出来ることでと、「お腹一杯食べて下さい。玄関のドアと冷蔵庫はいつでも誰にでも自由ですから」と、一番安いお米を山のように買い、見切りのおかずを沢山買って置いていた。そして、その言葉の通り「上田君の家で食べるご飯はどうしてこんなに美味いのかな?」と言って兄達の友人達が、美味しそうに競争してご飯を食べていた。

時代が変わり、母の言葉のようなことを私が上田学園でしている。忙しい仕事をやりくりしたり、少ない自分の時間を返上して、上田学園の学生のために一所懸命教えに来て下さる先生達に、感謝の気持ちをこめて美味しいコーヒー豆とお茶を用意する。なんだかんだと言いながら、昨日の自分より前進している学生達。アルバイトの帰りだとか、打ち合わせだとか言って上田学園に集まってくる。そんな学生のために、美味しくて量の多いお菓子をたくさん買い求めてある。まるで私の両親が私達兄妹や友人達にしてくれたように。

上田学園は学校だ。だから事務的に経営して、こんなことはするべきではないと言われることもある。しかし、私はずっとこれを続けていこうと思う。「先生、お疲れ様です。美味しいコーヒーをいれますから」と言って入れたコーヒーに「ああ、美味い!」と飲んでくださる先生達。その姿に、最近では学生達が「僕がコーヒー作ります。コーヒーでよろしいですか、それともお茶にしますか」と、席を立つようになっている。

出されるお菓子をただムシャムシャ食べていた学生達が急に「先生、大変なのにこんなに遣わせて悪いな」と言う。その度に私は生徒達に言う「一人でお金を遣うのもいいけれど、時には皆で楽しいひと時のために遣う。皆で話したり、飲んだり、食べたり。その時に遣うお金は例えば1万円遣っても、5万円位の価値があると思えるほど、美味しく感じられるし、楽しい時間をすごせるよね」と。

自分が迷惑をこうむることには即座に反応し、それ以外は全くといっていいほど他人に関心のなかった学生達が、他人に気をつかい、やってもらったことを嬉しいと感じ、自分も出来ることをしようと考えるようになってきている。そして、自分もこの社会、自分の属する社会の構成員であることを自覚しだしている。今までの彼らからすると素晴らしいことだと、嬉しく思っている。

「先生、上田学園は狭くなったのでもっと大きい所に引越そうよ!」。ただ要求だけしていた学生達が今は、日曜日や時間があると安くて広い場所を求めて不動産屋さん巡りをしてくれていると言う。有難いことだ。しかし、出入りが多くうるさいと危惧して、なかなか学校には場所を貸してくれない。それも仕方がないことだ。拒否をするのは家主さんの権利だからだ。そんなことも学生達には「学びの場」になっている。すんなり行かない私は大変だが、感謝している。私が苦労して やっている姿を通し学生達は、私がギャーギャー説明する何十倍もの何かを感じ、学んでくれているからだ。

今日の仕事が終わった。今、夜10時50分。これから帰宅だ。でもその前にちょっとまたチェットベーカーのジャズを聴きながら、近い未来(?)の上田学園が入居できるだろう(?)と思われる不動産屋さんから紹介された物件を眺めるつもりだ。

「上田先生、申し込むだけ申し込んでみましょう。学校なので貸して下さらないかもしれませんが、先生のお人柄で、何とか理解してもらえるようにしましょう。フリースクールの生徒さんといっても、素晴らしい生徒さんだということも理解していただきましょう。駄目ならまた捜しますから」という不動産屋さんに夢を託し、私の「お人柄」の欠点にだけには、しっかり目をつむりながら。

バックナンバーはこちらからどうぞ