●学園長のひとり言 |
平成14年9月16日 嬉しかった!
上田学園の子供達も、色々な意見を持っている。色々なことをしたいと言う。私はそれを聞くたびに「この子達はどんな人生を送るのだろうか?」と楽しみになる。しかし、その意見を良く聞き、行動をよく見ていると、その意見が単なる「怠け」や、自分の学力のなさ、学業についていけないことの「言い訳」や大人になって自立することの不安と恐怖で前進出来ないことを、人に知られたくないための「誤魔化し」であることが多いことに気が付いた。 一億評論家はいい。それは論ずる根拠があり、自分の意見、自分なりの意見があるからだ。でも一億総非難家で、他人が悪い、世の中が悪い、大人が悪い、親が悪い、先生が悪い、友人が悪いという非難するだけで、自分はなんの努力もしないで、自分を正当化しているだけでは、生きていくうえで、何の足しにもならない。何の足しにもならないことに時間は割いて欲しくない。だから嫌がられても、うるさがられても、出来るけど「選択しない」ということと、出来ないから「やらない」ということでは、意味が全く違うことや、何んだかんだと他人を非難し、他人の所為にして逃げ出しているだけでは、何の役にも立たないこと。そんな無駄なことは「やめた方がいい」と、ことあるごとに言い続けている。そして非難は難癖だけで意見ではないから、非難をすることは賛成できないが、批判は大いに結構。結構というよりむしろ「批判出来るくらいの人間になれ!」とはっぱをかけている。 批判は批判する判断基準が自分なりにあるから出来るのだ。判断基準のある人間とは、年齢・学歴・国籍などに関係なく意見を戦わせることが出来、一緒に前進するチャンスがある。親・先生・大人・社会を批判できることはいいことだ。その代わり、批判した人間と同じになってはいけない。批判した人間を超える人間になること。批判した世の中をそのまま続けてはいけない。自分たちが正しいと思える世の中になるよう日々これ努力しなければいけないこと等を、話している。そして、そんなことが出来る人間になる第一歩として上田学園では、まず「最後までやり通す」ということを、何人かの学生には体験させたいと願っていた。 上田学園の学生達が、上田学園を選択して入学して来たということは同じだが、入学してきた理由や、個々のもっている性格・問題・過去は全く違う。だから、ある学生は、飛び級することを大いに勧めるが、ある学生には「途中下車ばかりしないで、一度でいいから自分の決めたことを最後までやって、それから自分の意見を言ったら」と言って、一見正当な意見に聞こえる理屈を捏ねて、途中下車しようとすることを、罵倒されようが泣かれようが、不貞腐されようが、真正面から受け止めて、制止している。 この9月で上田学園の2年間を終え、次のステップを踏み出す為の準備を始めている学生がいる。 彼に会った総てと言っていい程の上田学園以外の人たちは、彼の純粋な目や、彼の感性豊かな感覚や意見を賞賛し、褒めちぎってくれた。私もその中の一人だった。しかし私以外の上田学園の先生方は、最初から彼のことを心配した。その心配の意味を取り違えていた私は、彼が上田学園の個性豊かな先生方の色々な生き様から、今以上の何かを感じてくれたらいい、影響を受けてくれたらいいと、単純に願っていた。しかし時間がたつとともに、彼の豊かな感性は年齢とともに確実に色あせていくことや、人並み以上にあるプライドが人並以下の学力不足を誤魔化す手段として「不登校」という今流行の手段を選ばせたことに気が付いた。そして、彼の問題は彼だけでないことにも気がついた。 彼のもっている素質をしっかり外に引っ張り出したいと思った。非難ばかりではなく、本当の意味でしっかり自分の言いたいことが言える人間になってもらいたいと願った。他人の評価は彼の「素」に根ざしているものだ。だからそれが自分でも安心して自分の「素」として出せるようになってくれることを願った。そのために、彼の問題とどうやって正面からぶつかろうかと悩んでいるさなか、一ヶ月近くタイ経由でヨーロッパ旅行をした。その帰国する機内で読んだ本で、兵庫県の山口小学校の陰山先生のことを知り、「陰山先生に答えあり」と思い、帰国してすぐ、先生のところに電話を入れた。そして先生のところに飛んで行き、お知恵を拝借した。 それからだ、彼と私の本当の意味での戦いが始まったのは。 彼の顔に精彩がなくなり、人間がちじんでいくようで心が痛んだ。でもここで私たちがやらなければ、誰がやるのだろうかという思いと、彼の持っている天性の素晴らしい何か、それだけは信じられた。また、その何かを育てるのは、絶対学力の基礎基本だということも。それ以上に他の生徒と同じように、彼が可愛かった。大切だった。それでも、お祭りのように賑やかなことの好きな彼の顔が曇り、哀しそうな表情が浮び、一人他の学生達から浮いて見えるのは辛かった。心が痛んだ。それを先生方がカバーしてくださった。学生達がカバーしてくれた。そして少しずつ基礎学習の成果が出始めた頃「大検をとりたい」と言い出した。「中卒を売り物にするのは飽きた」とも言い出した。そんな彼に他の学生達が協力してくれた。 春学期の始まった4月、学校が終わると30分から1時間、大検の授業を他の学生が教え始めた。そして色々なことが起こる中、「先生、世界史って面白いですね。今までばらばらに知っていたことが一つになって、色々分ってきて、本当に面白いんです」と言い出した。それと同時に一番苦手だった「数学」を一人でも解き始めた。その頃からノートの字が変わってきた。丁寧にノートをとるようになっていった。そして、「勉強って、本当に面白いですね。勉強がこんなに面白いなんて知らなかった。俺、大学に行きます」と言い出した。 8月、彼は大検を受験した。そして、数学を除く全科目に合格。彼の勉強を手伝った学生達が「よくやったな。本当によくやったよな。凄いよ彼は」と大喜びしてくれた。そしてタイ語の勉強でバンコックに滞在している彼にそれを伝えた。テレて「俺って頭がいいからな」という答えが返ってくると思っていた私に、「本当ですか?皆に『有難う』と伝えて下さい。」という言葉が返ってきた。 中学を辞めてからずっと「途中下車」ばかりしてきた彼が、中学を中退してから初めて最後までやり遂げた「大検」。勿論全科目合格をした方がいいには違いないが、私には、結果より最後まで「大検を受験したいんです」と自分で言い、それに責任を持ち、勉強をし、実際に受験したことが嬉しかった。また、最後までやることの大切さを一度でいいから、体験させたかった。 これからの彼は、変わっていくだろう。本当にいい時期に彼と出会えたと思う。今の彼は、ほんの2年前の彼とは違い人の話を一生懸命聞くようになっている。「親をだまくらかして、お金をもらいます。貰えばこちらのものですから」とか言って、調子よく皆を笑わせていた彼が、タイに出発する数日前には、「散々親に迷惑をかけてきたから、これ以上自分の口から『お金出してください』って言いにくくて・・・」と言い、「先生、俺の友達が俺の何ヶ月前をやっているんですよ。それを見ていて、自分を見ているみたいで、恥ずかしくて、これから俺、絶対ちゃんとやります」と真剣な顔をして言っていた。 彼は上田学園を卒業した。そしてこれからいよいよ自分の道を歩みだすだろう。 私は改めて学生にエールを送る。「のろ、頑張れ!ずっと応援しているから」「のろのご両親、本当にここまでやらせて下さって『ありがとうございます』」そして、「チッチー、シシー、ナル、チーチー、アカバン有難うね。本当に心から感謝しています。私は明日から、10月の秋学期に向けて君達や、新しく入学してくる学生の、今まで以上にいい踏み台になれるよう一生懸命『がんばります!』上田学園の先生方、また秋学期も『よろしくお願いします!』」 世の中、お休み。外は雨。今ごろ95歳の父は「敬老の日」に買ったケーキを美味しそうに食べていることだろう。早めに夏休みをとって帰郷していた学生も、穏やかな素敵な顔つきになって戻って来た。久しぶりに上田学園に静寂が訪れている。なんとも暖かい静寂が一人で仕事をする私を、そっと包んでくれている。なんとも説明できない嬉しさと感謝の気持ちが、私の心から溢れ出している。
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