●学園長のひとり言  

平成14年9月23日
(毎週月曜日更新)

一人で生きられるとは

私は56歳。一人で生きているようだけれど、決して一人では生きていない。他人に生かされている。他人に生かされるとは、即ち、自分以外の方達に助けられて生きているのだ。それを考えると、北朝鮮に大切なご家族を「拉致」されていた方々は、支援者や同じ境遇の方々に出会うまで本当に心細かったろうと思う。神隠しにでも遭ってしまったように、忘れることも、心配しても相談に乗ってくれる人間もなく、どうやってご自分達の気持を支えていらしたのかと思うと、お気の毒で辛い気持ちになる。

世の中、悲しいことが多い。チョッと皆で助け合えば、チョッと皆で気にしてあげたら何とかなることが、それをしなかったばかりに大きな問題の引き金になったり、原因になってしまうことが多々ある。目的の為なら手段を選ばない人達の手にかかると、被害者にとっては全くの不可抗力としか言いようもない出来事も起こる。それも天災で不可抗力というのではない。人災なのだ。人が原因なのだ。止めようとすれば止められるかもしれない「人災」なのだ。その人災の根源は教育だ。

戦後日本は民主主義という名の元に、何でも「自由」を謳歌させた。自由と一緒に「義務」があることに気がつかず、一見自由を謳歌して見える国の表面だけを真似してコピーした。自由を履き違えると同時に、学力と学歴を混同し、本当の意味で自分の人生を自分の価値と責任で決め、その上で職業を選択するという自由も、選択出来るようになる力も与えずに一億総「同じ顔」と「同じ方向」に価値を置く人間にしようと、躍起になっていた。

丁度その方向が自分の生き方に合っていた人間は伸びた。伸びていく上での努力も評価された。しかし、大多数の人間はある時期「本当に俺の生き方はこれでいいのだろうか?」と思ったはずだ。しかし走り出した人生の軌道修正は容易に出来なかったろう。やればいくらでも軌道修正できることも、その勇気は中々持てなかったろう。ただひたすら何も考えずに自分の感情を麻痺させることで、やっと生きていたのではないだろうか。しかし、学歴神話が崩れそうになっていった頃、それを一番初めに嗅ぎ取ったのは動物的感覚のまだ残っていた子供達だ。「親のようになりたくない!俺は自分の生きたいように生きる」と言って。

その言葉に一番反応したのは、母親だろう。何故なら「お宅のご主人は偉い」とか「お子さんが有名校で、素晴らしいですね」とかいう他人の評価で自分を支えていたからだ。その支えを失うことことは、自分の価値がなくなるということに等しいことなのだ。その母親の気持を動物的感覚で一番察していたのも子供だ。だから、「お母さんは俺を自由にしようとしても、俺はそうはならないから!」と反抗したのだ。

自由と一緒に、個人主義という言葉も大いに利用し、取り入れた。但し、日本の個人主義は民主主義と同じ、自由と同じ、表面的な意味だけをコピーした。即ち、自分さえよければ、他人はどうでもいいという個人主義だ。そんな間違った個人主義が根付いた2002年。理由は色々あるが、最終的には高校や大学入試に有利だからと「ボランティアをする」という授業も取り入れ出したのだ。

困っている方や、人手を必要としている方のお手伝いをすることは当たり前のことだ。横断歩道が渡れなくて困っているお年よりの手を引いて一緒に渡る。自分の家の前を掃除するのと一緒に隣の汚れているところも掃除する。そんなことは人として当たり前のことだ。その気持ちからボランティアを当たり前なこととしてやりだす。そんな日常の当たり前なことは無視し、入試に有利になるからボランティアをする。単位だからボランティアをする。それをしながら、学校帰りに、食べながら歩いたスナック菓子の袋は、人の自転車の籠の中に平気で捨てていく。ペットボトルもそこら辺に捨てて歩く。

私たちは今、本当の意味でもう一度、きっちりと考え直さなければいけない。子供達がどうしてこんなに不安がっているのか。どうして他人に興味がないのか。どうして自分の人生を自分の年齢なりに考えられないのか。どうしてそんなに親の愛情が感じられずに淋しさを募らせているのか。そして一番してあげなければいけないのは、どうやって一人で生きていけるようになるのかを。

今上田学園は秋学期の開講準備をしている。どんな授業にするか、どんな先生にお願いするか、色々考えている。何しろ生徒達は生き物。先生も生き物。毎回同じではない。今の学生に何が必要なのか。今の私が考えられる彼らの必要なものと、今の彼らが必要だと思うものを併せてじっくり考えているところだ。 今学期は今までとは違い、少しじっくり何かに取り組むようにさせようかと考えている。授業時間の配分も少し違うものにしたいと考えている。

彼らの一日は大切だ。いや1時間でも大切だ。だから、その大切な時間を無駄にさせたくないのだ。一日一日が、彼らが自分の道を進んで行くための起爆剤になれる時間にしたいのだ。

自分の人生は自分で納得して生きていって欲しい。それだけに、色々な生き方があることを教えたいし、それを見つけたときに一人でその勉強が出来るように基礎基本は道具として身につけさせたいのだ。書く基本と、読む基本と、話す基本と計算する基本をだ。そのどれが不足していても困るだろう。その上に疑問をもったことにたいし、情報を集め分析し、まとめ報告する。それを元にディスカッションし、自分の考えをベースにコミュニケーションが取れるようにさせたいと考えている。それにプラスして、色々な仕事の情報は与えておきたいとも考えている。でも一番やらなければいけないことは、心が健全になることだ。心が健全でいられるようにすることだ。そのためにも、色々なことに興味を持たせたり、比較させたりしながら何かを感じて、バランスのいい心を養って欲しいと考えている。

この夏休みは、彼らに頭を使わないアルバイト。即ち3k(汚い、キツイ、危険)的なアルバイトに従事することを奨めた。それと同時に何かサバイバル的なキャンプなり講習を自分たちで企画し、先生をお願いし、渡してある活動費から予算をとり、講師料を「お支払いする」ということにさせた。実際彼らは、3kをしながら富士登山をしたり、気功の合宿を企画して合宿を行った。そして、「俺は3kを仕事にしない。休み時間に話している内容を聞いたら、絶対ああなりたいとは思わん!」とか「上田学園を終えたら、すこしフリーターをしながら今後を考えようと思ったが、フリーターにだけはならない」とか言い出している。そして夏休み最後の「〆」として、ベトナム戦争にも行った経験をもつアメリカ国籍の日系の方に、2泊3日のサバイバルキャンプをお願いした。

サバイバルの先生は、お母様がメキシコ人だったとかでご自宅ではスペイン語、外では英語。今は日本で活躍している写真家であり、整体師であり、その他色々なことをしている本当に不思議な方で、先生をどうやって形容していいか分からないほど、一口では形容出来ない方だ。ただ言えることは、先生のご経歴からは想像出来ないほど、大きくて、穏やかな感じのする方だ。そして「俺は一人で生きられるように、雑草でも何でも食べられるようになりたい」とか「ナイフ一丁で生きていけるようになりたい」とか「熊の肉が喰いたい」とか、「道具のないところで、火でもなんでもおこし、どれが毒キノコかどうか見分けられるようになりたい」とか好きなことを言っている上田学園の学生に、一つ一つ丁寧に答え、そして「好きなことをするために、好きではないこともいっぱいしなければならない。辛いこともたくさんある。それは、山の中も下界も同じ。でも好きなことのためにそれが辛いけど、苦もなく出来るようになる。まずは、出来ることからしてみよう。最初の1歩。雨の中でも火をおこす方法とか、食べられる草花の見分け方など、簡単なところからはじめよう」と、先生が手がけた写真集「源流紀行」を学生達に見せながら話していた。

先生のお話を生徒達の側で仕事をしながら聞いていた私は、とても嬉しかった。上田学園の今までの先生は都会で生き生きと生きている先生達。そんな先生方とはまた一味違う「野性味」のある先生。今の日本では絶対経験が出来ない経験を通し、人とは違う人生を選択して生きてきた方に「先生」として子供達が出会い、どんなことを学んでいくのだろうか。どんなことを感じていくのだろうか。この出会いが彼らの人生の大切なサンプルの一つになるだろう。先生と出会い感じたことが、彼らの人生の「資料室」にストックされることだろう。

10月の授業スケジュールを組みながら、上田学園で見たり聞いたり体験したり学んだりすることが、彼らの人生の何かになってくれればいいと考えている。

色々な悲しい出来事の殆どが人災だ。その人災は防ごうと思えば防げたことだろう。その為にも私たちは「教育」をもう一度考えなおさなければいけないと思っている。その教育こそが、政治の腐敗も社会の腐敗も許さない人間をつくるのだと思うからだ。その「教育」こそが「生きること」や人の「命」を慈しみ、他人を思いやっていく人間の根本をつくると信じているからだ。

一人の人間が出来ることは小さい。でもその小さい力を結集したら大きな力になる。そのためにも是非皆で自分の周りの出来ることから始めたいものだ。例えそれが「車が来るから、こんなところで暴れちゃ駄目だよ」という一言であっても、その一言から始めよう。私たちは誰も一人では生きられないし、一人で生きる必要もないのだから。


          

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