●学園長のひとり言  

平成14年10月7日
*(毎週月曜日更新)

 もう一度考えよう自分の日本語!

「上田学園のことは随分前に新聞で読んでいて、知っておりました。小学校の5年から学校に行かなかった子供が中3になったある日、急に学校に行くと言って行き出したんです。高校は都立に行くと言うんです」
「それは良かったですね。人と交わることは大切ですからね。それに基礎学習もとても重要ですから」
「でも学校の先生(公立の)は駄目ですから。色々な学校があることを子供に知らせたいんです」
「ご本人は都立の高校にいらっしゃりたいんでしょ?」
「そうですが、先生は色々な学校があるという情報も、こうゆう学校も認めませんし、情報は持っていませんし。本当に駄目なんです」
「フリースクールもいいですが、ご本人が都立に行きたいとおっしゃるのなら、普通の学校もいいと思いますよ」

私の意見を不満気に聞き、公立の学校に行く子供の意見は、先生からの悪知恵のように顔をしかめて説明するお母様のご様子に、何とも複雑な気持で聞いていた。

上田学園は発展途上中だが、世界一いい学校だと私は信じているし、そうしたいと願っている。それも生徒達に「この学校は自分の役に立つ学校だった」と言ってもらえるようになりたいと。勿論、お金を出してくださる親御さんが納得してくださらないと、営業上困窮するので親御さんを無視することは出来ないが、それでも子供達にとってプラスになる学校。子供達から必要とされる学校にすることを第一の目的にしている。しかし上田学園は誰にでも合う学校か?と言うと、なかなかそういうわけには行かないと思うし、公立の学校が全部悪くてフリースクールが全部いいという意見には、絶対同意出来ないというのが正直なところだ。

いつも頭をフレッシュにし、学生達をしっかり見、私個人の評価はメタメタでもいい、学生達の顔が晴れやかで、色々なことに興味を持ち、興味に向かって目をキラキラ輝かせて突進するような若者らしい若者。学生らいしい学生を育てたいと願って、努力しているつもりだ。

経営者としては残念なことだが、万人向きの学校はないと信じているし、正直なところ、1人の人間としては嬉しいことに、色々タイプの違った人間が違ったものを望んで生活し、その違いの"綾"が人間社会を面白くしていると考えているので、あまり残念だとは思っていない。こんな考えでいるので、世の中「上田学園」だけになったらつまらないと思っている。だから、色々な学校があり、色々な考えで自分の行きたい学校が選択できるようになるといいと願っている。

子供達は今、浅知恵の親の教養に振り回されているような気がしてならない。浅知恵の教養で半生に咀嚼された意見で、堂々と子供を引っ張りまわす。親の人生はそれでいい。普通の人間なら、そんな親の本質を見抜き「しょうがないな」と言って適当に付き合っていればいいのだから。でもその子供は大変だ。そんな中で大きくなり、大人になって責任が取れなくなった親を背負って、生存競争の激しい世の中を、まるで半病人のような生活を強いられるのだから。

そんなことを考えていたら、今日の新聞にこんな記事を見つけた。
ある母親が「学校は戦争が好きな人間を育てるのか」と抗議してきたという。そして、「運動会の騎馬戦に、うちの子は参加させないで欲しい。民主主義を教える学校で、何故戦いをやるのか」と、そして同じ理由で徒競走にも参加させないというのだそうだ。「学校では『皆仲良く助け合おう』と教えているでしょう。でも運動会は、相変わらず戦いや戦争ばかり。こういう運動会で、子供の心に助け合う心が育っていくのでしょうか」と言ったとか。

その新聞記事を読んで思わず、「お母さん、貴女は家で義理のご両親の面倒を見、近所の困っている方のお手伝いをし、ご主人やお子さんが『お母さんが、僕のお母さんでよかった』と喜んでもらえるような笑いの絶えない楽しい家庭を作っていますか。そうしたら、運動会で戦う、即ち競争することと、戦争の違い。人を思いやる気持ちと勝手に自分の意見だけを通そうとする「自分勝手」の違いも理解出来る素敵な子供になりますよ」と言いたくなった。

この世の中で競争の無い世界はない。平等の世界はない。生まれてくるときから他の兄弟と戦って、人間として生まれてきているのが私たちなのだ。人間も弱肉強食動物なのだ。その動物が構成している人間社会は、競争だらけだ。自分の部下を守るために、他の会社と競争して仕事をとってくる。戦争を止めさせるために知恵を駆使し、戦争をしたい人間と戦って勝利し、戦争を回避する。バーゲンで安くていい品物を手にいれるために、朝早くに起きて、デパートに出かけて行き、並び、競争で欲しいものを買ってくるのだ。問題は「競争」とか「戦い」とか言う言葉に左右されるのではなく、「競争のある社会」「戦いのある社会」で、戦うとは?競争とは?をしっかり理解させ、何に競争をし、何を戦うのかをきちんと選択出来る力をつけることではないのか。そのために、それについて年齢に合った体験を事ある毎にさせる必要があるのではないか。そして、それを通して、人間としての優しさ、思いやり、あきらめ、同情、潔さ、etc.そんなことを理解させ、身につけさせる。その結果、してはいけない競争や争い。例えば「戦争」。していい戦い。例えば「悪に対する戦い」等の判断力が身につくのではないだろうか。

先日も、あまりのいい天気に上田学園の窓から外の景色を眺めながら、「運動会に丁度いい季節ね。運動会の日は本当に楽しかった。両親が働いていたので、運動会には一度も来てもらったことがないけれど、近所の小母さん達が応援してくれ、友人の家族と一緒にお弁当を食べ・・・。朝4時頃から母が起きてお弁当を作っている音といい匂いで寝ていられなくて、本当にウキウキしていたわ。朝6時になると花火で運動会があるかないか判断するの。花火がなると『もう少し寝ていてもいいわよ』といわれても急いで飛び起きて・・・、本当に嬉しかった!」などと話しをしていたら、上田学園の生徒が「先生達の運動会は楽しそうですね。羨ましいな。俺達の運動会は、ビリになったらビリになった奴が可哀想だからと、徒競走なし。お遊戯見たいな出し物だけ。昼も親が働いている子は弁当を作ってもらえないから皆で教室で給食。運動会も普段の日も全く同じで、やる気全くなかったもの。先生みたいに楽しい思い出、全くなし。何で運動会やるんだろうか?とずっと思っていたんだ」と言っていた。

大人の浅はかな考えで、子供の本当の学びの場を取り上げることはしてはいけない。運動会は競争するだけではない。運動会の前の準備。練習。運動会当日の助け合い。普段あまり目立たない子が頑張る様子に、皆で応援する。騎馬戦で勝った負けたと大騒ぎして、お互いを讃える。そして、楽しいことにも終わりがあり、楽しい裏には嫌な片付けもしなければいけないことも知る。

大人は自分達の言葉をもう一度しっかり咀嚼して、味わって欲しい。本当にその言葉の持っている意味は何なのかを。大人の浅はかな考えと、浅知識と、しっかり咀嚼して判断する力不足が、何も出来ない子供を育て、本当の意味で、子供を不幸にしていると思う。

大人はもう少し、勉強しよう。もっと社会に目を向け、もっと知識を知恵に変える努力をしよう。そして、子供達に善悪の判断力。物を考える思考力をしっかりつけさせよう。そのために自分たちからまず見本を見せよう。人のお役に立つことを喜ぼう。そして、子供の一番の学びの場であり、生きる生命線でもある家庭。その家庭で出来る教育は家庭で。学校で出来る教育は学校で本当に子供のために一生懸命考えて協力してやっていこう。家庭も学校も子供の力を信じよう。

上田学園の子供達には、必要のない競争はするなと言っている。人より自分が劣っていると考えて、自分を否定してはいけないとも言っている。常に昨日の自分と比較しなさいと言っている。でも、競争や争いごとはあっていいと思っている。そこには思いやりやルールがあり、それに違反したら自分が苦しむということ。自分が体験して嫌だったことは絶対人にするべきではないと言っている。事実は事実。現実は現実。それをしっかり受け止め、その中で自分は何を選択し、その選択によるメリットもデメリットもしっかり受け止めさせ、味あわせたいと考えている。それを通して学ばせたいと考えている。だから上田学園にいる間に色々なことを体験させたいと考えているのだ。

上田学園の学生達は金曜日の夜から、サバイバルキャンプに行き日曜日の真夜中に帰ってきた。先生はベトナム戦争にも参加した日系人のカメラマン。生徒達の電話報告では「メッチャ寒くてマイナス1度でした。とりたてキノコがメッチャ美味しくて。食べられるキノコ、食べられないキノコ。お料理の仕方。本当にすごいんです。でも先生は遭難者の救助の為、待ち合わせの場所に来れず、先生の仲間が3人急遽待ち合わせの30分前に集められて、その人達が来てくれて連れてってくれたんです。ロープの使い方。火のおこし方。ボーイスカートでならったのと全く違うんです。プロはすごい。皆で協力して本当に楽しかった。いつでも声かけなさいって。いつでもつれってくれるって言っていました。皆、はまっちゃいました!」

明日皆に会うのが楽しみだ。たった2日間の経験。またまた今までに会った人たちとは全く違った人たちに出会え、影響されたようだ。電話の澄んだ声に思わず嬉しさがこみ上げてきて、お目にかかったことの無い先生のお仲間達に感謝せずにはいられなかった。

 

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