●学園長のひとり言  

平成14年10月29 日
(毎週火曜日更新)

他人と出会って初めてわかる自分

毎年私は今ごろの季節になると、英国市内にある大学大学院MBAの学生の日本研修のコーディネータとして忙しい1週間を過ごす。ロンドン市内の企業幹部候補生であり、MBAの学生でもある27歳から41歳までの12名の学生と先生とコーディネータの総勢14名で、今年は来日した。

彼らは1週間日本に滞在し、業種の異なる代表的な企業のトップの方々や、ジャーナリスト、評論家、政治家等の方々から色々なお話を伺うのだ。その為に、私は1年間かけてテレビや雑誌、新聞などから情報を集め、この企業は面白そうだとか、この経営者は是非外国の学生に紹介したいとか、日本人の意識がこれだけ変わってきたので、近い将来この業種に大きな変化が起こるだろうとか、自己流の分析で勝手に考え、各企業や関係者の方にコンタクトをとって1週間のプログラムのスケジュールを作り、朝から夜遅くまで生徒を案内して電車で移動して歩く。それも日本のサラリーマンを理解してもらいたくて、ギューギュー詰の電車やバスで移動している。

いつもの年だと、ガイドさんの他に2・3名のアルバイトの方をお願いするのだが、今年はいい機会なのでそれを止めて、上田学園の学生を2人ずつのペアにして引率者として手伝わせた。

普段着慣れない背広を着、大きな外国人の中に混じって緊張した面持ちで、日本の国旗とイギリスの国旗を持った学生が通勤ラッシュの中を引率して歩く姿は、何とも"微笑ましい"の一言だった。そしてそれは教室の中では気がつかなかったり、忘れていたこと。日本人の中だけでは気がつかなかったことや忘れていたことを気付かせてくれた。

言葉が出来ないということは、その人そのものを評価する動物的な感覚だけが鋭くなる。それは、言葉で騙されないからだ。言葉の綾で煙にまかれることもないからだ。外国人達は私たち日本人の一挙一動をじっと見ている。そして、正確に判断する。反対に上田学園の生徒達も同じだ。英語で話される内容が理解できないために、話し手の表情から、しっかり話し手の状況を理解し、何かを見抜く。それも驚嘆したくなるほど正確に。

今、世の中はコミュニケーションのとれない人間で埋まっているという。誤解がはびこっているという。コミュニケーションの重要性の再確認がいたるところでやられている。そのコミュニケーションとは「会話」または「対話」だと思われている。

確かに、コミュニケーションの手段の一番始めにあげられるのは「会話」であり、「対話」であろう。つまり、話すことだ。だから語学が大切、「英語くらい話せなければ」と言われるのである。しかし、実際のコミュニケーションとは「言葉」だけではない。表情であったり、服装であったり、お化粧であったり。これらもコミュニケーション手段の一つなのだ。

MBAの学生達の泊まったホテルには修学旅行の学生達が団体で泊まっていた。その中の何校かの女子学生の制服のスカート丈はMBAの学生達が目を丸くするほど短く、ヒップのラインが歩くたびに見えていた。そんな学生達の前に机を並べて先生方が座り、色々な指示をしていたが、先生達はそんな彼女達の様子は目に入らないようだった。その証拠に、誰も彼女達に注意も何もしていなかったし、興味も示さなかった。場所はホテルのロビーだ。色々な人たちの中に混じって可愛いミニスカートという表現を通り越した制服の一団が、歩くたびに殆どヒップラインが見えるという状況に、周りにいた方々の目が一斉に彼女達を追いかけていた。

彼女達は、あのスカート丈で何をコミュニケーションしようとしていたのだろうか。彼女達の表現の貧しさと、そんな彼女達にコメントを出せないほど彼女達に無関心な教師たち。私は何とも説明出来ない彼女達の心の淋しさ、貧しさ。自分を表現することの意味も、表現する材料も持ち合わせることのできない彼女たちに、哀れさを感じて正視していることができなかった。そして、ロンドンから付き添って来ていた日本人コーディネータの「日本の高校生の制服は、まるで集団売春婦みたいなんですね」という言葉が耳に刺さった。

自分を表現するのは難しい。表現するには、表現したい他人がいるから表現しようとするのだし、表現するために表現したい自分という素材をきっちり持たなければ、自分の意思が何もない着せ替え人形状態になってしまうだけだ。

私はつくづく彼女達を見ていて思った。上田学園の学生たちにはコミュニケーションをとるという意味と、その手段をしっかり学ばせたいし理解させようと。 そして、もっともっと学生達に興味を持ち、学生達としっかり意見を戦わせられるように、もっと自分という人間を研ぎ澄ましていこうと。

日本研修最後の日、一週間の体験から「日本について」のMBAの学生達による「パネルディスカッション」と「さよならパーティー」が法政大学市ヶ谷キャンパスでおこなわれた。

一週間、早朝から夜遅くまでMBAの学生達と一緒に議員会館、企業、工場などを廻り、その間にガイドさんとの交流、レクチャーを受けている学生達のお世話。英語で繰り返されるレクチャーと、企業の方々との交流で学生達は疲れていた。しかしこの1週間の間で、ほんの少し何かを見、何かを感じる中で、自分のスケールの小ささ、知識のなさ、外国人に圧倒される自分。いつもと同じように自由に行動できた喜び。言葉を越えて認められる喜びなどなど、色々感じたようだ。

法政大学のプロムナードタワー26階。夕日がビルの間を静かに沈んでいく。その夕日をジッと見ている学生達の黒いシルエット。そんな彼らの後ろ姿を見ながら、今の私は彼らをジッと見守ることが仕事であり、色々なチャンスを与えていくことが大きな役目なのだと、改めて感じた。

ここ2ヶ月近く、毎日ロンドンシティー大学大学院MBA日本研修のコーディネータとして、普段お目にかからない方や、普段あまりご縁のない会社や職業の方とコンタクトをとり、話をし、そして上田学園の学生達も含めて訪問させていただいた。

毎日他人の中にいるから、自分の世界以外にいるからわかる自分。自分が小さく見えようと、自分が愚かに思えようと、それが全部自分。その自分から逃げずに、教えをこい、一つ一つ問題を解決し、そこからしっかり学ぶ。その結果を全部上田学園の学生達に正直にぶつけた。

オンリーワンを目指そうと、ナンバーワンを目指そうと、どちらがベストというのではない。ただただ後悔しない自分の人生を築き上げて欲しい。人の話が理解できる人間になって欲しい。表現したい自分を全部表現できるようになって欲しい。そして素直で思いやりのある人間は、国境に関係なく、言葉に関係なく、その行動という表現で相手を納得させられることを、上田学園の学生達は無意識のうちに感じてくれたと信じている。

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