●学園長のひとり言  

平成14年12月17日
*(毎週火曜日更新)

人間も自然の一部

私の父は95歳。元気に何でも一人でやっているが、ここのところ立て続けに怪我をし、なんだか日一日と元気がなくなっている。あんなに食べることが好きだったのに、食も進まないようだ。そんな父を心配して兄夫婦が10日も早いクリスマスケーキ持参でやってきた。そしてあまり食が進まなくなっている父が、それでも嬉そうにケーキを食べるのを「おお元気だ!元気だ!よかったよ。お父さんが元気でいてくれるから僕らがしっかり働けるんだ。お父さんには感謝しているよ。僕らがここまでやってこられたのは、お父さんとお母さんのお陰だからね」と言いながら、世話を焼いていた。

私の両親はいつの頃からか「子供達も大きくなり、私たちも無事この年までこられたのは皆様のおかげ」と言って、献体することを望んでいた。

両親が若いときは、両親達が人生を終えるのはずっと先のことと、何も考えず気楽に「いんじゃない?」と諒承していた。しかし、年齢が重なるにつれ本当にそれを書類にしたいと言い出したときは、暢気に諒承していたはずの兄たちが動揺し、書類にサインすることを拒んだ。しかし、両親の考えはしっかり決まっていて、私たち兄妹が動揺しても、哀願しても、「今そんな手続きをするのは早いからもっと後にしようよ」と説得しても、頑として応じなかった。

あれから何年たったのだろうか。大きなため息とともにハンコを押したときの長兄の顔と、震える手でハンコを押していた次兄の顔は今でも忘れられない。

「オヤジ、お母さんと早苗ちゃんにいじめられて元気でやっているか?」という電話に「いじめられて、病気なんかしていられないよ!」といつものように元気に答え、ボケを心配している母が、姉をつかまえて「この方はどなたでしょうか、貴方の奥さんでしょうか、孫のミーちゃんでしょうか」という質問に「ちょっと皺があるから卓(たかし)の奥さんでしょう」等と答えて家族を笑わせている。しかし今父は確実に自分の人生を終えようと、毎日綺麗に枯れていっている。その様は本当に見事と褒めてあげたくなるように自然に見える。

「お母様もお父様も子供に迷惑をかけないように"子孝行"したいとおっしゃっていたけど、本当に見事。私たちも子供に子孝行できるかしら?」と呟く姉の言葉に、理解したのかしないのかニコニコと父は笑っている。
私たちは時々忘れてしまうが、人間が生きて死んでいくということは、自然のことなのだ。その自然なことの中に知らないことを知りたくなったり、それを表現したくなったり、人と競争したくなったりと、色々な気持が起こる。それを「教育」という道具をつかって表現し、実戦し、自分の人生を彩っていくのではないだろうか。

何もしなくても人生は終わる。何かをしても人生は終わる。それなら何かをし、それにより感動し、満足し、生きていることを実感する。そのために必要な道具が教育。そんなことを考えると、改めて教育の大切さと、教育とは何かを考えずにはいられない。

来年の1月7日から一ヶ月間、研修を兼ねて学生達が海外に行く。その学生達に引率され、私たち二人の教師が同行する。しかし、正直なところ今回は家を一ヶ月も空けることに躊躇する。が、「父は大丈夫!」と信じていたい気持もある。しかし、現実は現実、95歳は95歳。それを無視することは出来ない。

「人間には優先順位があるのよ。今の貴女は上田学園の子供達のためにスケジュールを変更することなく普通に仕事をすることが、お父様にたいする親孝行。少しでも人様のお役に立てることを感謝して、普通に毎日を生活しましょう。ただ覚悟はしておきましょうね」という母の言葉で、父のことを心配することはやめた。そして兄たちと、私たちの意向ではなく両親の意向を尊重し、それに沿っていくことを再確認した。

今年も残りあと少し。引越しあり、リフォームあり、忘年会あり、父のことありと、あまりのバラエティーさに、時々頭の中が真っ白になる。でも「どうしたんかなあ?最近毎日宿題に追われて学校を出るのが夜10時ころだよ。今年中に全部終わらせたいなあ・・・」とか、「ここのところ本読む時間もないよ」とか、「寝る暇がなくなっちゃうくらい忙し!」と、悲鳴をあげながらでも宿題・旅行の準備・引越しの準備・冬のアルバイトなど忙しく動き回っている学生達。授業中や授業の合間、「ギャハハハ・・・」と大声で笑いあえる愉快な彼らに助けられ、毎日を乗り切っているところだ。

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