●学園長のひとり言  

平成15年3月4日*

(毎週火曜日)

 
        コミュニケーションスキルを磨こう!

「今の子供達はコミュニケーションのとり方がとてもへたですね。コミュニケーションスキルを磨かせた方がいいですね」

電車の中で、こんな会話を耳にした。そのとたんコミュニケーション不足で親と揉めている学生の顔が目に浮び、「そうなんですよね、本当にコミュニケーションをとらないし、困っちゃうな・・・、どうしようかな・・・・」と、今悩んでいることが頭の中を横切り、思わず大きな声で独り言を言ってしまった。

新学期近くなると、今までの授業の反省を含めて次の学期で学ばせたい教科の選択と、授業内容で必ず悩むことがある。それは、未来がたくさんある子供達にどんな道にすすんでも、どんな問題にぶつかっても自分1人で問題を解決し生きていけるように、今の彼らに不足しているものは何かを考え、教科の選択と先生を人選するのだが、どんな教科を選択しても、どんなに素晴らしい先生をお願いし、素晴らしい教授法で授業をすすめて頂いても、それを理解する「基礎基本の欠如」と「日本語が通じない」ということが授業をすすめるときのネックになるということだ。

即ち、人の話が理解できない子供が多く、コミュニケーションが取れないことが多いのだ。コミュニケーションがとれないから、それを理解させるのに授業内容以前のところで時間がとられてしまうのだ。

自分で生きていける力がつく授業がしたいと考えても、生きていく力をつける前に、生きる上で不便な生活を強いられる、字が読めない、書けない、意味が理解出来ない、簡単な計算が出来ない。例えそれが出来ていても応用力が全くない。答えのないものは考えようとしない。その年齢に合った常識が無い。おまけに根気もない。単純作業を嫌う。何か理屈がないと納得しない、など等。生きる為に絶対不可欠と思うその年齢にあった知識やマナーの基礎基本が身についていないのだ。

知らない、出来ない、通じないということが当たり前の世界に住んでしまっている学生達は、目が見えても何も見ておらず、耳が聞こえても何も聞いていない。手や足があっても、手を使おうとせず、足があっても足を使いたがらず、外に出たがらない。その結果、感じない、感動しない、何にも興味が持てない。

自分以外のもの、自分に直接関係ないものに関心を持たず、人間として生まれてきて最高に「幸わせ!」と感謝できる、感動や感激の少ない生活を何の疑問も持たずにやっているのだ。

冷暖房の効いた家に帰れば、気も頭も使う必要もなく、ただ快適な生活が待っている。何でもやってくれて、何でも指示してくれるマネージャーのような親がいて、料理は"チン"で暖め、時間に関係なく、好きな時間に好きなものだけ食べられ、情報はコンピュータで拾い、自分が発言する前に全て気を利かせて感じ、考え、指示してくれる。

快適な環境の中で、自分の方からコミュニケーションをとる必要もない。発する言葉は「金くれ!」「お腹すいた!」などという自分にとって必要最低限の用件のみ。

「大人の世界は汚い!」とか「ずるい!」とか言い始める反抗期でも、駄目なことは「駄目です!」としっかり言われもせず、むしろ子供に嫌な思いはさせたくない。反抗期で反抗するのは当たり前だから子供に逆らわない方がいいという親の思いと、強迫観念のように迫る「物分りのいい親にならなければいけない!」という思い。葛藤して、葛藤しても頭をもたげる世間に対する「面子」。その結果、本当の意味でコミュニケーションがテクニックとして必要になる大切な時期を見逃し、何かを訴えたり、説得したり、納得させたりするとい訓練時期を見逃してしまう。それが、物事にぶつかっていこう、反対を唱える人を説得しようという気持を起こさせない原因になっているように思う。

コミュニケーションスキルを磨くとは、コミュニケーション技術を磨くということだ。しかし、技術を磨くには磨く必要のある技術がなければ、磨けない。そのために、小さいときからしっかり親は子供に話をさせる環境を作り、子供が話そうとするとき「ママは忙しいんだから少し黙っていなさい!」とか「ママの言う通りにしていればいいのよ!」等というのではなく、家族中、競争で話す時間をしっかり作ったらいいと思う。

子供が小さいときは、やっていいこと、やっていけないこと。その年齢で教えておかなければならないことをしっかり教え、注意するべきことはしっかり注意する。「何故?どうして?」と質問が始まったら、しっかり答える。つまりしっかり人の話しを聞かせる。そしてどんなに忙しくても、出来る限り子供が考えて話す時間を作る。

子供は、人の話が少しでも理解出来るようになると自分で考え始め、それを自分の意見として言い出す。それがコミュニケーションの訓練の第一歩になる。

親と子、社会と子供の共通言語は日本語のはずだが人の話をしっかり聞き、理解する国語力がないために、人の話を全く違った基準で解釈する。その解釈で行動し、人から受け入れてもらえないと思い込み、自分を否定されたと勘違いする。そして他人を拒否する。

国語力が大切だと思う。人の話を正確に理解出来る人間にしたいと思う。自分の意見も正確に伝えられる人間になって欲しいと思う。正確な情報も集めさせたいし、集めた情報を捨てる力も持たせたい。どんな立派な方に会っても、どんなにいい本を読んでも、それが分かる心と、どんな難問を突きつけられても、恐れることなく勇気を持ってぶつかって解いていく力をつけさせるために。

先日もあるパーティーで、ある国立大学の大学院を出た方と会った。仕事がないという。就職が出来なくて4年目になるという。専門学校に入りなおそうかという。そこに居た他の方も、息子さんがやっと大学を卒業してくれるとホットしたら、就職がないので大学院に行かせてくれといい、大学院を終えた去年から専門学校に行きだし、いつになったら社会人として一人で生きていってくれるのかと心配していると言い「貴方のことは、本当に人ごとではないわ」と大きなため息をついていた。

上田学園では、本人が入学を希望すると親御さんとはよっぽどのことが無い限りこちらから何も学校のことはお話しない。一番自分達を可愛がってくれる親に近況報告をしたり、「お願いします!」と頭を下げてお願いしたり、説得したりすることから、上田学園の授業だと考えているからだ。

授業内容も、その年齢としては難しいかと思われる授業も多々あるし、宿題も結構出る。夜遅くまで皆で残ってご飯を食べながら話し合うことも色々ある。それは、自分で自分のスケジュール管理をして欲しいこと。出来ないことは、自分で出来ないと言って欲しいこと。分らないことは、分らないと言える人間になって欲しいからだ。

自分のわからない事、出来ないことが自分のために言えるようになれば「学ぶ」ということ、「勉強する」ということが、親のためでも、学校の先生のためでもなく、全て自分のためだということに気付くと思うからだ。そして、出来ないことが出来るようになり、分からなかったことが分かればいいだけの簡単な問題だが、それが自分の世界を広げてくれることに気付くと思うからだ。それが、楽しく生きていくときの大きなカンフル剤になると思うからだ。

先週の土曜日、「先生、今帰ってきました!」という電話が私の携帯電話に入った。去年の10月に上田学園を卒業し、タイにタイ語の勉強に行っていた学生からだった。そして訪ねて来た彼が一番初めに見せてくれたのは、タイで勉強したノートだった。

小説家希望で、目の澄んだ面白い学生だった彼は、上田学園に訪ねて下さったお客様すべての方々を魅了していた。しかし、基礎学習が全く身についていなかった彼は、それを隠すように、授業からも先生からも友達からも彼を評価して下さる学園以外の方々からも逃げ出していた。そんな彼と2年間、本当に戦った。正面からぶつかり、本当に私にとっては戦いだった。「学校を潰してもいい」という思いで彼の問題と戦っていた。そんな彼が自分で自分の出来ないこと、分らない事を素直に言い、「大検を受けたい」と言い出した。上田学園の授業の合間に、他の生徒達から助けてもらいながら大検にチャレンジした。

たった2ヶ月くらいの勉強で、彼は大きく変わった。「先生勉強って面白いね。もっと勉強したくなった」とも言い出していた。そして9科目中8科目に合格した。結果を知らせる国際電話の向こうで「先生、皆にありがとうと言って下さい!」と言う彼の言葉に「やった!」という思いと、彼を助けて勉強をみてくれた上田学園の生徒達に感謝の気持でいっぱいになった。

タイ語の勉強の合間にタイ語で書かれた童話を日本語にし、英語で書かれた物語りをタイ語と日本語に翻訳してみたという彼のノートは、別人が書いたノートかと思うほど丁寧に綺麗に書かれていた。彼の年齢の人が書く以上に漢字がたくさん入った日本語の文章を指差しながら、「苦労したけど、一生懸命翻訳してみました」と言った彼の顔は、彼が努力したことを物語るように静かないい顔になっていた。

「北海道に帰って、働きながら大学に行く勉強をします。でもその前にこの翻訳したものを綺麗に書き直して、先生にお送りします」と言って、「久しぶりの東京、一週間位遊んで帰るの?」ときいた私の言葉に「いえ、散々親に迷惑をかけて心配させていたので、すぐ帰って仕事を探します。勉強もしたいので」と言って、学園生の家に一泊して北海道に帰って行った。

そんな彼を「先生、ノロは凄いです。本気でタイ語勉強して、タイ語の読み書きがきちんと出来るんですよ。俺、負けちゃいます。頑張らないと。本当に凄いです」と国際電話で話してくれたもう1人の卒業生は、たったの8ヶ月で会話だけはなんとか不自由しないくらい出来るようになり、頑張っているという。 そんな彼を「金谷は凄いです。会っても最初から最後まできちんと敬語で話をしますし、大学の日本語授業もタイ語で説明して教えているようです。いい顔になって、見違えると思います」と心から感嘆し、尊敬している様子で語ってくれた。

上田学園の授業は間違っていなかった。先生方に御礼を言わなければ、という思いと同時に、お互いをいい意味でライバルとし、称賛し、努力しあった彼らに大きな拍手と、「本当の意味で、今が君達の上田学園卒業式だね」という言葉を贈りたくなった。

4月10日から新学期。どんな授業内容にするか在校生の顔を思い浮かべ、入学してくる学生のことを考え、問題になっている社会のことも考慮して、色々考えている最中だが、どんな授業内容になっても、今までの学生達のように大学へ進学しようが、就職をしようが、どこに行っても役に立ち、そして一人で生きていける力がつくような、そんな授業にしたいと考えている。

イギリスの大学で頑張っている卒業生。タイの大学で頑張っている卒業生。日本の大学で頑張っている卒業生。大学を卒業し社会人1年生として頑張っている卒業生。高校で頑張っている卒業生。目的のために確実にステップアップさせながらトラバーユして入社試験を受けている卒業生。これから頑張る卒業生。私も頑張って皆に喜んでもらえる上田学園にするからね。君達のことをずっと見ていくように、君達も上田学園を見ていてね。そして、在校生の先輩として君達の後に続こうとしている彼らを応援してね。

 

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