●学園長のひとり言  

平成15年3月25日*

(毎週火曜日)

人を思う

また戦争がはじまった。アメリカにもイギリスにも、イラクにもクエートにも知人がいる。彼らはどんな思いで、どうしているのかと考えると心が痛む。

どんな理由であれ、戦争が正当化されていいはずはない。しかし戦争と同じように、人のためと言い、人を思ってやる行為。それ自体は善意でしているのだろうが、善意を受ける側にとって、本当に善意かどうかは受ける当事者しか分らない。おまけに善意でやる行為だろうが、ただの行為だろうが、その行為には結果があり、その結果が後のことに影響を与える。

アメリカ人は大変だ。いつも何処かの戦争に出かけている。その結果、普通の生活にもどっても、戦争の後遺症が出る。事実、アメリカに日本語学校を創りに転勤しているとき、試用期間中のおとなしい新入社員が「俺のこの体にアメリカ人の血が流れているんだ!」と自分の腕を叩きながら急に怒鳴りだした。ベトナム戦争の後遺症だという。迎えにきた弟さんに抱きかかえられるように事務所を後にした彼の、異様な目と、ぶつぶつと独り言を言い続ける様子に、穏やかなときの彼との落差と、アメリカの抱える問題に心が痛んだ。

湾岸戦争の後遺症。ニューヨークテロの後遺症。そして今回の戦争はどんな結果になるのか。その結果、どんな後遺症が残るのか。アメリカばかりではない。戦争当事者と、それを取り巻く人達にどんな結果と後遺症が出るのか、誰にも分らない。終わって時間がたってみないと誰にも分らない。

人を思うとはなんと難しいことなのか。勿論、戦争の場合はきれいごとではない裏の政治的駆け引きがあるのは事実だが、それにしても「よかれ」と思ってすることが、思った通りのいい結果になる場合と、思ってもみなかった悪い結果になる場合とがあるが、どこを境にして「良い」と「悪い」になるのだろうかと不思議になる。

子供のため。親のため。兄弟のため。友達のため。誰かのためにおこなう"善意"が善意としてストレートに機能するためには「どうすればいいのだろうか?」と考えると、頭が痛くなる。

親が子供を思い、子供の為によかれと思ってする。先生が生徒を思い、生徒のためによかれと思ってする。一生懸命にしようが、小手先で気楽にしようが、その全てがよい結果になるとは限らない。その全てが悪い結果になるとも限らない。

人間の出来ること、やれることの限界を考えると、切なくなる。でも、やるしかないのだ。そのときに、一番の応援団は自分自身。結果はどうであれ、一生懸命やったのだからと、自分が納得出来るか出来ないかで、同じ結果も全く意味の違ったものになる。

上田学園で私が出来ることにも限界がある。それを補ってくださるのが各先生方だ。どの先生もどの先生も、生徒の為にはとても大切な方々だ。どの先生が一人欠けても駄目なのだ。そんな先生方にでも限界がある。生徒に先生を受け入れる気持がないと、全く前進しないという限界が。

生徒が先生を受け入れられない原因はたくさんある。特に上田学園の生徒達は先生のことを慕っているのに、先生の授業を受け入れないことがある。その原因が、基礎学力がなくて先生の話が理解できないとか、先生の意に反した答えを出したら叱られるだろうと勝手に思い込んでいる場合とか、間違えることを一生の恥と考え、恥をかかない手段として授業を受け入れないとか、自分が学んでいる立場にあることを忘れ、先生の知識と競争をしようと"焦る"とか、本当に色々な原因がある。その全てが、子供達に「よかれ!」と思って親や先生も含む大人達が長い間やってきたことの結果や、その後遺症が、生徒達の考え方に反映しているのだ。

人を大切に思うことは難しい。よかれと思ってすることに「100%正しい」という保証は何もないからだ。おまけに、大切に思い、よかれと思ってしたことの後遺症が、後の人生に大きな影を落とすことを考えると、正直なところ何をするのも怖くなる。こんな気持が学校に行きたがらない子供を持った親御さん達が、子供の顔色を窺いながらオドオドとし、言いたいことも言わないで子供達に遠慮してしまう結果になっているのだろう。

親御さんの気持、先生達の気持はよく理解出来る。私も子供達に"よかれ"と思ってしているつもりだが、本当にこれでいいのだろうかと眠れないことも多い。迷いもある。だからといって、遠慮したり、何も言わなかったり、何も教えなかったら、何の進歩も進展もしない。だから今まで通り自分の信じることを子供達にぶつけていかなければいけないと考えている。

今まで通り、嫌がられても子供達のハードルや踏み台になろうと考えている。ハードルを何とか飛び越え、上田学園を踏み台にして自分の道を選択していくことを願って。それは未来のたくさんある彼らに、どんな困難なことからでも生還して生きていって欲しいと願うからだ。そのために、今一番よかれとおもうことをやり続けていくつもりだ。

人を思うことは難しい。でも難しいからこそ、大切にしっかり考えてやりなさいということなのだろう。難しいからこそ、一つ一つ手を抜かないで、考えるべきこと、やるべきこと、反省するべきことをし、今一番いいと思うことを勇気をもってやっていく。それが今の私がしなければいけないことだと思っている。

 

 

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