●学園長のひとり言  

平成15年4月29日*

(毎週火曜日)

 裏庭の役目

田学園には裏庭がある。その裏庭に自転車置き場を作る予定で、授業の合間苦労して整備したが、自転車置き場にするには、土地が凸凹すぎて自分達の手ではこれ以上どうしようもないことがわかり、そこに砂利を入れることになった。そんな裏庭にニョキニョキと竹の子が生えてきた。

一本目はほんの4・5日前。気がついたときは15センチくらいになっていた。思いがけない出来事でビックリするのと同時に「グン!」と土を突き破って逞しく生えてきた竹の子の立派さに圧倒された学生が「上田学園の記念樹にしませんか」と言った。

1週間にも満たない「上田学園の記念樹」は、今では2mは超える立派な"竹"に成長しつつある。

その次の竹の子は、砂利を敷くためにどかした飛び石の下だった。それを生徒の1人が掘り起こし、大家さんに「湯がき方」を習い授業終了後、夕飯の味噌汁の具にして全員で美味しく食べたようだ。そして今日、敷いたばかりの砂利を押しのけるようにまたまた2本の立派な太い"竹の子"。その竹の子は大家さんの小学生のお嬢さんとそのお友達が一生懸命掘って持って行ってくれた。

雑草に覆われ、古い三つの倉庫が静かに並んでいた裏庭は今ではすっかり生き返り、呼吸を始めた。

倉庫を壊し、片付け、雑草を抜き、いらない木を切り、腐った木の根っ子をどかし、大家さんが上田学園の為にわざわざ植えて下さった赤と白の枝垂れ桜や、前から植わっていた小手鞠や山椒の木などを池のように石で囲い、そして業者さんに砂利を敷いてもらい、上田学園の自転車置き場が出来上がった。

「ガタン!ガタン!」と自転車の立てかける音。どんな花や木を植えようかと話しながら私や学生達がウロウロする。その合間にゴミを出したり、洗ったものを乾かすために日に何度も開閉される裏庭に面した台所のドアの音。タバコを吸いに裏庭に出て話している先生達の声。竹の子を掘る学生や、子供達の声。そして、学校を訪ねて下さる方達に向かって、この場所を貸してくださった大家さんとの思いがけない出会いを誇らしげに語りながら、学校中をツアーして廻る私の声。

一般的な裏庭のイメージは暗くてじめじめした場所だ。しかし、裏庭にも日が当たるところもある。そこには、洗濯物を干し、家庭菜園を作り季節の野菜が植えてあったりする。勿論、イメージ通りの暗いところもある。そこには暗いからできるゴミ捨て場があったりする。

裏庭には裏庭の役目がある。その役目を充分果たしてもらうために、私は裏庭を薄暗い汚い、表には出せない顔にはしたくないと考えている。まして、学校として貸して頂いたここは、お金儲けのために"賃貸"を考えられたのではない。ここを貸して下さった方々の様々な思いと、思い出がたくさんある場所だから、その思いと思い出を大切になさりたくて「未来がたくさんある子供達に」と、貸して下さったのだ。それだけに、貸して下さった方達のお気持に報いるためにも、素敵な裏庭にしたいと考えている。

暗い裏庭にするのか、汚い裏庭にするのか、楽しい裏庭にするのか、表とは一味違った"憩いの場"にするのか、それはここを使わせて頂く私たち全員の心がけにかかっていると、私は思っている。

生きることにも、社会にも、家庭にも、自分個人にも、あらゆることに表と裏がある。

表は立派な正しい人がいる所と考え、裏は「裏社会」という"悪"のイメージを持たれることが多い。それも事実だが、そんな単純なことではない。私が言いたいのは、もっと大きな意味での表と裏だ。しかし、その表と裏を恥じる人も多い。隠したがる人も多い。そして、表だけを一生懸命飾り、取り繕うとする。

本当に、表と裏があることは恥ずかしいことなのだろうか。隠さなければいけないことなのだろうか。表だけを一生懸命取り繕うことにばかりに力を注いだ結果が、現在起きている色々な問題の原因になっては、いないだろうか。

私は、裏は表を支える原動力と考えている。裏がきちんとしているから、表が表としての役目を果たせると考えている。

表は人間として生きるための、あるときには"忍耐"であったり、"強調"であったり、"調和"であったりと、自分を押さえながらも、上手に自分を出し、生きていく場。それを裏が支えていく。裏は人間として生きるための、人としての英気を養うところ。家族や友達が支えあい、学びあい、知恵を出し合い、そして外の生活を支えるための、心を充足させる場。

表と裏は表裏一体。時にはどこからが表でどこからが裏か、線引きが出来ないこともある。そのくらい密な関係なのだ。

表には表の役目がある。裏には裏の役目がある。そして、表の役目は誰でも一生懸命なれる。それは、他人から評価されやすいからだ。他人から見やすいからだ。しかし、それをささえる裏は、裏だけに他人には見えないし、見え難い。だから、一生懸命やっても無駄に思えたり、空しく思えたりするのではないのだろうか。

上田学園にも表の顔と裏の顔がある。建物でいったら、玄関と裏庭。ありがたいことに、玄関にはお日様が燦燦と輝き、それだけで「嬉しくなる」。裏庭は現在進行中で「楽しい憩いの場」になりそうな予感をさせている。窓がたくさんある明るい教室は、木々の隙間を通り抜けて入ってきた「風の汽車」が気持よさそうに吹き抜けていく。「こっちのトイレより、あっちのトイレの方がゆっくり座っていられるんです」と学生がノンビリとトイレに行く。

上田学園のトイレに、ゆっくり座ってくれるようになるかどうかが、新入生が上田学園に馴れたかどうかのバロメータと考えている私は、学校の中で一番リラックス出来る場所にしたいと考え、リフォームに際しても可能な限りスペースを大きく取りたいと希望を出した。

普段も一番気にかけて掃除をしたり、お花を飾ったりしている。現在は学生達が掃除をしているが、「見えないところも綺麗にブラシで磨いてね」と注意するのはそのためだ。使い方も結構うるさく注意する。それは、次に使う人のためにも上田学園で一番「リラックス出来る場所」であって欲しいからだ。

学生達はあまり気にせず、自分が終わったらそれで「よし!」としているが、1人1人がほんの少し注意し、心を注ぐことで裏は裏の役目を気持ちよく果たせるということを知って欲しいと思っている。

人間の生き方も、生活も自分も、日の当たることだけでなく、日の当たらないことにも意味があり、その日の当たらない何気ないことにも心を注ぎ、価値をきちんと理解出来る人間になって欲しい。評価出来る人間になって欲しいと私はいつも願っている。

上田学園の学生達は毎朝30分、基礎学習に時間を割いている。彼らの年齢を考えると「そんな年齢で小学生のような勉強に何故?大学受験の勉強なら納得するけれど」と不満に思われる親御さんもいるようだが、大学受験だろうが、ノーベル化学賞をもらうレベルだろうが、その基礎は小学校の勉強であり、中学校の勉強なのだ。それをないがしろにしてのステップアップは、本物ではないのだ。

上田学園の子供達には、どんな人生を歩もうとも、どんな場所に住もうとも、そこには陽だまりも日陰もあり、それを有効に生かすも生かさないも、自分次第であることに気がついて、自分でそれを演出できるようになれたらいいと願っている。

上田学園は5月5日まで連休だ。でも学生達は毎日のように学校に来て何かしている。そして連休が終わったら、大家さんが下さったバーベキューセットを使って、裏庭でバーベキューパーティーをするつもりだ。自転車置き場の「置き場式?」を祝って。


 

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