●学園長のひとり言  

平成15年5月13日*

自分らしくあること

直径10pはあるだろうと思われる太い太い竹の子が八百屋の店頭に並んでいる。その大きさに思わず足をとめ「わあ、大きい!」と独り言を言ってしまった。そして我が上田学園の裏庭でとれた"竹の子"が目に浮んだ。「とても大きくて立派な竹の子」と心から思ったが、その大きさを八百屋にある竹の子と比べると"ボブサップ"と"宮沢りえ"程の差がある。その差に思わず笑ってしまった。

実際の大きさは比べ物にならないくらいに違うが、私には上田学園の竹の子の方が大きくて立派だという思いは、どうしても変えられない。それも、大きさがお店にある竹の子より程よくて、品があって「食べたいな」と思えるので断然上田学園の竹の子の方がいいと、本気で思っている。

「グングン!」と音をたてて伸びていると思えるほど大きくなる竹の子に、大家さんのご親切や上田学園の先生達をはじめ上田学園を応援してくださる方々の子供達によせて下さる愛情や、その愛情が"ビタミン愛"になり、その"愛"をたくさん注がれて、毎日変化し、伸び、成長する様と、将来への可能性を無限に感じさせてくれる上田学園の学生達の"素の凄さ!"。それとが重なって私には見えるからだろう。

思い入れなどから、自分の目を通して見たものと、そうでない人の目を通して見たものに違いがあるのは、当たり前だ。実際に世の中には、この見方の差や、思い入れなどによって価値が変わることが多いが、その中で、どんな見方やどんな判断によってでも不変的に変わらない「善悪」のようなものもある。また多くのものが時代や、歴史によって価値観が変わっていくことも事実だ。しかし、自分の心が正直に感じたその時のことは本物だ。例え年齢や経験がその時の本物を後日変えようとも、その時は本物なのだ。それでいいと思う。

上田学園は「フリースクール」だ。この「フリースクール」に悪いイメージや「駄目な人間の行くところ」というレッテルを貼って「俺がなんでそんな学校に行かなきゃならないんだよ!」と否定し、上田学園の存在を認めず、上田学園が何をしているのかも知ろうとしない人がいる。また、上田学園に入学はしたいが、フリースクールに行っているということを他人に知られたら「どうしよう?」と悩んで来られない人もいる。また、不登校や引きこもりをしている子供の親御さんでも、「子供は上田学園に入りたいと言うのですが、私の決心がつきませんので…」とおっしゃる方もいる。

在籍をしている上田学園の学生達は、本当に学生でいることを「楽しんでいる」と、私は信じている。勉強していることも、普通の学校では学べないようなことも学べるので、学生達には絶対「役に立っている」と、信じている。実際卒業生たちが自分の道をしっかり歩いている事実が、それを証明していると思っている。しかし、上田学園に対しても上田学園の生徒達に対しても、人によっては「将来大丈夫ですか?」と心配して下さる。確かに、なんの問題もなくスムーズに学校に通い、親や先生のすすめる受験勉強に全く疑問も持たずに取り組んでいる子供達と比較すると、「将来大丈夫ですか?」と言いたくなるのだろう。

将来大丈夫か大丈夫でないか決めるのは本人でしかない。親や先生や世間ではない。本人なのだ。本人が自分の育ってきた過去と育っていく未来にどんな思い入れが出来、どんな感謝の気持が持てるか。どれだけ納得の行く人生が送れるか。それは、本人にしか出来ないことなのだ。それだからこそ私たち、彼らを取り巻く大人達は、彼らが育つその過程で出会う人間の一人として、人生の先輩として、彼らにどんな"生き様"と、どんな"愛情"を注ぐことが出来るかという重要な役割を担っているのだ。

上田学園の子供達には、自分の未来をしっかり見つめて欲しい。未来の基礎をなす過去と現在を大切にしながらしっかり自分の目で判断し、自分で価値を決め、自分で納得のいく人生を送って欲しい。そのために、自分たちの未来や将来を楽しんでいる自分たちを取り巻く親や大人の存在を「うざったい!」とか「めんどくさい!」とか言い、邪魔にするのではなく、今の今を大切に、どれだけの人達から愛され、どれだけの人達に自分達が自分達らしく生きていくかを期待され、楽しまれていることを、重荷に感じるのではなく、もっと楽しめるようになるといいと思う。そのために「自分らしくある」ということはどういうことかを、上田学園に在学している間にしっかり追及して欲しいと考えている。

大きい竹の子だけが"いい竹の子"でも、細い竹の子が"ナサケナイ竹の子"でもないことや、自分達をとりまく人達との人間関係や、自分達の生き方が自分達を認め、自分達を応援することだということを、しっかり理解して欲しいと願っている。

学閥や派閥争いの中にいるより、もっと自由に「生徒のためになる教育」。生徒が「あの先生に習って得しちゃった!」と思ってくれる教育。生徒にいいことはなんでも取り入れる日本語教育を目指し設立した上田学園の母体である有限会社レッツインターナショナル(旧レッツ日本語教育センター)は、五月六日で11年目に突入した。その前日96歳で父はこの世を去って行った。

人様からすると、父の人生は社会的には「成功した人生」とは言われないだろう。徴兵されて近衛連隊に入隊しても二等兵だったという。満鉄に測量技師として入社した後、苦労して引き揚げてきたときには4人いた息子のうち2人を亡くし、生き残った私たちを食べさせるために米軍指令本部の警備隊にはいり、副隊長として63歳で退職するまで測量技師に戻ることはなかった。

寡黙だったが、いつもニコニコと穏やかだった父。クリスマスになると三頭のトナカイのソリに乗ったサンタクロースを立体的に作り、壁一面に飾ってくれた。就職試験に臨む私たちにむかって「礼はつくさなければいけないけれど、採用されるまでは例え相手が社長であっても、対等なのだから質問したいこと、お話したいことは、しっかり話してきなさい」と激励してくれた。仕事について何もアドバイスは出来ないがと言いながら「9時から始まる会社なのに、9時に行くというのは一生懸命仕事をしている会社の方たちに失礼だと思う。9時になったら直ぐ仕事が始められるように、8時には出社しているような気持でいなければいけないと思う」などと、節目節目に色々な話をしてくれた。

「親父には最後までかなわないや!」と目をしばたたせて言う下の兄の言葉に全員で頷きながら、この世で最後の"仕事"として父が選択した「献体」のために杏林大学に搬送されて行く父親を、父親が出かけるときにはどんなことをしていても、家族全員で玄関まで見送るという我が家の小さいときからの習慣通りに、「お父さん言ってらっしゃい!」と声をかけ、父の乗った車のライトが見えなくなるまで、家族全員で見送った。

父は今若い医学生さん達のために、この世での最後の仕事をしている。父が私たちのところに帰ってこられるのは、1年後か2年後だという。そんな父に母は、「お父様が帰っていらしたときに喜んでいただけるように、家の中を片付けておきましょう」と言い、家の掃除を始めた。そして、96歳と92歳の両親を大切に見守って下さっていたご近所の皆様に「上田さんのおじいちゃん、おばあちゃんは、社会のためというより何だか世界のために生きていたような、本当にいい方達で、こんな方達に今迄会ったことがなかったので、ご近所になれて本当に幸せだと思っています。だからおばあちゃんのことは、ご心配なく。何かお手伝いできることがあったら、私達皆で飛んで行こうと話していますから」と励まして下さるその言葉は、まるで父が私たち兄妹に贈ってくれた父の人生最後のプレゼントに思えて、悲しい気持より誇らしい気持でいっぱいになった。

こんな両親に育てられ、皆さんに助けていただいて有限会社レッツインターナショナルも11年目。「お世話になった社会に何もお礼が出来ないので」と献体を決めて一生懸命最後の仕事をしている父に負けないよう、11年目も今まで通りに楽しそうに日本語を勉強してくれる外国人の学生達や、もの凄い未来をたくさんもったユニークな子供達とそれをサポートしてくださる素敵な先生達や皆さん達に応援して頂いて上田早苗らしい「学生達の為の学校」をめざして、頑張っていきます。

11年目もどうぞよろしくお願い致します。

 


 

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