●学園長のひとり言  

平成15年5月20日*

(毎週火曜日)

一人歩きするイメージ!

「いや、大学は負けますね。凄いですね。大学、頑張らないといけないですね。本当に学ばせて頂きました。」

先日広島女子大の教授が上田学園に見学にみえた。そして授業を見学した後で発した第一声である。

上田学園は「学校であって学校じゃない不思議な場所」である。この言葉は上田学園に在籍して半年経った学生たちに感想を聞いたとき、上田学園を形容して学生たちが言った言葉だ。

確かに、上田学園を説明するのは難しい。特に授業内容を説明するのは難しい。ただ分かることは、どこの学校でもやりたがっているが“やることが出来ない授業”をしているということだ。

先生は全員仕事をしている現役の仕事人。自分で会社を経営したり、一匹狼で商品開発をしている先生だとか、声優さんとかTVのリサーチをする先生だとか、日本語教師だったり、広告会社、証券会社、建設会社、研究所、旅行会社など等、本当に色々な経歴の色々な職業の先生が授業を担当して下さっている。誰一人としてボランティアの先生はいない。毎週時間割通りに仕事を抜け出して教えに来て下さる。

出張があったり、緊急会議が入ると大学のように「休講」になる。そして「休講」の授業に関しては、学期の最後の週に“補講の週”が設けてあるが、授業内容によっては“補講の週”まで待てずに先生の御都合のいい時間に補講する場合がある。が、先生の御都合のいい時間ということで、時には夜7時頃から授業が始まり10時頃終わることもある。

授業内容は、学校の先生では体験できないような普通の企業人だから知っている“今”を話して下さる。あの広告はどういう背景から出来たのか。その時の制作費は。その結果は。先生方の話には先生方の過去だけではなく今の経験に裏打ちされた授業内容になっている。だから、生徒達は先生から目が離せないし、先生の話が少しぐらい難しくてもついつい耳を傾けている。その結果、国語、数学、社会、英語等というような教科別にはなっていなくても、それらが総て網羅された授業から「本当の力」をつけている。

上田学園の学生たちは、授業内容には満足している。それは新入生も同じだと思う。その証拠に毎日きちんと学校に出てきて休まない。宿題もしっかりやってくる。前の学校で不登校だったとは思えないほど、あたりまえに学校に登校してくる。そんな学生がただ一つだけ納得できないことがあるという。それは「フリースクール」というのが上田学園の前につくことだ。

不登校児だろうか、登校拒否児だろうが、中退者だろうが、引きこもりだろうが、転校生だろうが、そんなのはたいした問題ではないと、私は考えている。もし自分が何かの理由で人様より遅く学校を卒業したり、社会に出たりしたら、人様より遅くなった分長生きして、人生を終えるときに帳尻を合わせていけばいいだけのことで、大きな問題ではないと考えている。学生たちにもそう言ってきた。

他人からどう思われるかを気にするより、今の自分の状態や状況を事実として認め、何が自分には足りないのか?何が自分には多すぎるのか?何をしなければならないのか?それを考え補うことで、滞っていた問題を解決し、前進することのほうが重要だと口を酸っぱくして言ってきたつもりだ。しかし外からの情報をたくさん持って入学してきた新入生にとっては「フリースクール=何もしない駄目な奴が行くところ」「フリースクール=何もしない学校」というイメージが一般の人たちの間にあるので「フリースクール」という言葉には抵抗があるという。

確かに私たちも過去に何回かこの“フリー”という言葉を「自由=自分の好きなことしかしないこと」と解釈して、学生に学生の好きなことしかやらせないフリースクールがあると聞いて、それには抵抗を感じ、何度か学生たちと「フリーとは何か?」の議論をしたことはある。

“フリー”という言葉には、それを選択した時点で「義務」と「責任」が存在する。しかし今の風潮として“自由”とは好きなことを自由にすることで、その結果に関しては「責任」も「義務」も果たそうとせず、「自由」を選択したために起こった問題に関しては、親や他人に“尻拭い”させて平気でいる。そして、義務も責任も無視した“自由”だけが横行し、それを煽るように「権利」として「自由」を選択させる無責任な大人たちの所為で「自由」という言葉が一人歩きし、そのイメージが「フリースクール」のイメージをマイナスにしているのだろう。

上田学園の学生が上田学園に入ることを選択した時点で、人様と違う路線を選択したために、人様から色々言われるのは分かっていたはずだ。それがいやだったら普通に中学や高校に行く。しかし、何かを感じ、普通の学校を拒否し、他の道を選択したのは決してマイナスでも、恥でも、何でもない。何かがそうさせたのだから、それも一つの個性とすればいい。そのためには“普通”を選択した人たちと同じように、自分は自分で選択したことにたいし発生した「責任」と「義務」。即ち選択したそのこを、一生懸命やるだけのことだ。

私は、上田学園が有名だとか有名でないとか、資格がとれるとか、とれないとか表面的なことに左右されて「実のない学校」を目指すつもりはさらさらない。上田学園を「認めてください!」とお願いする気持ちさらさらない。認めていただけるように、生徒のためになる「実のある学校」を目指して、力もあり人間としても魅力的な先生のハンティングと、授業内容の検討等を今日より明日、明日より明後日と、毎日努力するだけだ。

生徒たちにも「俺たちを認めてくれ!」ではなく、認めたくなるような“素敵な若者”になってくれることを、願うだけだ。

色々な方々が「上田学園の先生になって、不登校の子供たちのために何かしたんですが・・」と申し出て下さる。本当に有難いお申し出だと思う。しかしそれを一度もお受けしないのは、発展途上中とはいえ、なかなか優秀で、何とも言えない人間的魅力と「どんなに化けるのだろうか?」と心から思えるほど無限の可能性を感じさせてくれる上田学園の学生たちと、一人歩きしている一般的なイメージの「フリースクールの生徒たち」との差が大きすぎて、“親切”を申し出て下さった方たちには正直な気持ち「手に負えないかも知れないな?」と、危惧してしまうからだ。

事実授業にしても生徒に関しても、見学に見えた方々が感嘆し「すごいですね。想像していたのと全然違いますね」と絶句してしまったり、上田学園の生徒を励まして下さろうとして話した御自分の問題にたいし、上田学園の学生たちから反対に励まされたりして「また遊びにきてもいいですか?」と言って帰った大学生が沢山いたことを考えると、私の考えが単なる「身びいき」だとは思えない。

上田学園にすでに在籍している学生たちは、上田学園が他の学校とは違うし、楽しいし、面白いし、色々なことに興味が持てるようになるし、先生が凄いし、おまけに自分が本来の自分になれ、磨きがかかると無意識に自覚するのか「入学して本当によかった!」と言い、フリースクールだろうが、何スクールだろうが全く意に介さなくなるが、やはり新しい学生にとってはチョッと気になるようだ。

「先生、一度みんなでこの問題をしっかり話しあいましょう。ホームページにも“フリースクール上田学園”と書くのを拒否したいと言っているので、先輩として僕らの考えを話したいと思います」と、生徒の一人が言う。

話し合ったらいい。徹底的に話し合って、いかに言葉が一人歩きするか。その言葉にたいして持たれたイメージが、いかに勝手に一人歩きするかを、しっかり考えて欲しいと思う。

自分の目で見、自分の耳で聞き、自分で判断することがいかに大切か。そのために、正しい情報を集める力と、それを捨てる力がいかに大切か。そして、常に他力本願の人生ではなく、自力本願の人生がおくれるように、マイナスと思えることをプラスにする勇気とその方法を、上田学園にいる間にしっかり身に付けて卒業して欲しいと考えている。

明日からの上田学園がまた面白くなった。どんな話し合いがもたれ、どんな結論が出るのか、今から楽しみにしているところだ。

 


 

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