●学園長のひとり言  

平成15年5月27日*

(毎週火曜日)


「フリースクール上田学園」vs「上田学園」
             

「ナンバーワンになるより、オンリーワンたれ!」
上田学園の壁には、学生達に目指して欲しいと思う言葉が書いて貼ってある。これもその言葉の一つだ。

長い間、日本の教育はナンバーワンになることに重きをおき、オンリーワンになることには重きをおかなかった。そのために、オンリーワンになりたい学生は何となく学校からはじき出され、その中から不登校児ならぬ登校することを拒否した登校拒否児が出現し、その数が毎年増加することに学校も文部科学省もどう対処していいか分からず、困惑していった。登校“拒否児”を“不登校児”という名前にまとめ、何となく自分達の面子を保ったかたちで、現在に至っている。

そして、学校に行きたがらない子供達が増えると比例するように、上田学園のように学校法人の許可を貰わず、自分達が理想とする教育をしようと、色々な組織が色々な名前で自分達の考える“教育”を開始。それらが一般的に「フリースクール」と総称され、認識されるようになった。

不登校児もフリースクールも、それぞれが一般的に認められ、それぞれがそれなりの地位(?)が得られるようになると、学校に行かないことを積極的に認めようとする親や、子供の自主性を重んじるということで、子供が暇なときに行く場所と捕らえ、国語とか算数とかいう教科を全くしないフリースクールも沢山出現した。確かに、学校は勉強だけをする場所ではない。人とどう交流するかを学ぶ場所でもあることを考えると、色々なフリースクールがあっていいと思うが、不登校児という名前で総称される子供達の、学校にいかない理由が色々あるということは、誰も取り上げようとせず、「フリースクール」という総称だけが一人歩きしている。

面白くない。勉強に興味が無い。授業についていかれない。オリジナルになりたい。何となく行きたくないので、行かない学生に便乗して行かない。単に宿題が出来ていなくて、行きにくくなったから行かない。いじめられるから行かない等。本当に行かない理由は、考えると色々あるのだ。その理由を子供なりに“正当”と考えている学生には「フリースクール」とい言葉で自分達の学校が総称されることには、我慢ならないのだろう。

先週から上田学園のビッグテーマになっている「フリースクール上田学園」vs「上田学園」について、学生同士喧喧諤諤と結構真剣な話し合いが持たれた。

当日は15歳から25歳までのたった6名の学生達だけで話し合われたが、主張は各自、しっかりしていた。

「フリースクール上田学園」という名称で活動するのをやめたいという学生は、フリースクールというマイナスイメージで自分達を見られるのは嫌だと言う。まして不登校児ではない。登校を自分の意志で“拒否”し、自分達で納得して上田学園に入学して学ぶことを決めたのだから、悪いイメージのついた「フリースクール」という名前を使わないで、「上田学園」だけでいいではないかと言う。

それを受けて「フリースクール上田学園」で活動してもいいのでは考えている学生達は、上田学園は授業内容は別にして、中学でも高校でも、専門学校でも大学でもない。カテゴリー分けをすると「フリースクール」なのだから、「フリースクール上田学園」でいいではないかと言う。

「上田学園」だろうが、「フリースクール上田学園」だろうが、授業内容がよければ、他人がどう思おうと自分達には「関係ないよ!」という学生は、授業内容が大切であって、他のことはどうでもいいし、「名称なんて重要な問題ではないじゃないか!」と言い切る。

「フリースクール上田学園」と「上田学園」の場合のメリット、デメリット。そして、何が大きな問題になり、どうやって解決するかを話し始めた学生達は、本当に真剣に話し合っていた。

「フリースクールに対するイメージは最悪。駄目な人間が行くところ。落ちこぼれが行くところ。俺は、そんなに見られるのは絶対嫌だ!。だからフリースクールというタイトルを取りたいんだ!」

「自分達のような学校に悪いイメージを持っている人を、上田学園の“真実”で裏切る。そして世間一般を見返せばいいじゃないか?大きな問題じゃないよ!」

「前の俺達のように現在苦しんでいる奴らに、上田学園の存在を早くに知らせてあげることの方が、悪いイメージ云々より重要だと思うけど・・・、」

「『上田学園』でこの学校の知名度をあげることは、0からの出発だから、大変だけど、大変に向かって泳いでいこうぜ!」

「目の前に売れる材料が落ちているんだから、それを使って、何かを作ることは自由だし、何を作るかは人によって違う。それでいいと思う。だから、俺達も“フリースクール”という材料を使って上田学園を作ろうぜ!」

「20年後に評価されるかもしれないけれど、その評価を俺達が自分達の手で100%努力して勝ち取った『上田学園』。そのときに手にした満足度は100%。でも上田学園が20%。フリースクールが80%。その80%に助けられて勝ち取った『上田学園』、満足度は100%にはならない。俺は100%を手に入れたい!」

『世間の評判を気にして20年後や30年後の評価されても、俺達50歳くらいになってるぜ!そんなことより、科学がこんなに発達している時代、さっさとロケットで宇宙の大気圏に突入して、『フリースクール』という不要なロケット部分を捨てたらいい。そして『上田学園』だけを一人歩きさせたらいい!』

「個人の力は小さい。確かに、この学校ではお前は主役でもあるが、俺達全員も主役。だから時には妥協も必要だと思うけどね」

「俺は“自己虫”(自己中心)だから、悪いイメージで見られるのは悔しい!」

「それは分かるが、上田学園を世間の人に知ってもらうための手段としてしか
『フリースクール』という言葉は、俺達には何の意味も持たない言葉。だから大げさに考えなくてもいいと思うけどね・・・」

「上田学園は少しずつ認められてきている。本当に自分の行き方を模索している奴だけが来ようとしている。フリースクールの仲間に入らないで、自分達の行動範囲から認めてもらって、100%自分達の手で“上田学園”が人に認めてもらえるよう何か出来ないかを、考えてみることもいいと思けど!」

生徒達は真剣だった。時々自分の説明したい考えがまとまらず、自分の考えをまとめられない自分に憤慨したり、「一人ずつ意見言ってくれよ。3人で言われても俺対応出来ないよ!」とか「何となく、君の言いたいことが理解できるようになってきたな」とか言っていた。

私は仕事をしながら黙って彼らの話し合いに耳を傾けていた。

「お前はさ、上田学園の一員じゃんか?一言意見があってもいいんじゃないか?」と催促されたり、催促されて困って黙って他の学生の話を聞いていた学生が、突然適切な例をあげて自分の意見を言い、皆を納得させたりしながら、「そんなに“フリースクール上田学園”という名前が嫌なら、例えばどんな名前がいいんだよ?」と質問。聞かれた本人も他の学生も「例えば・・・、『情熱系フリースクール』」とか、「Study系フリースクール」とか「ぷりぷりフリースクール」とか「自分を律して修行するスクールとして『自律修行フリースクール』なんかもいいじゃん!」等と和気藹々に、しかし結構真剣に答える彼らの答えに、上田学園はナイトクラブじゃないし、新興宗教でもないんだけど、そんな名前に決められたら「どうしよう!」と一瞬心配してしまった。

そして3時間後、皆で出した結論は一人一人が自分を売り出すことにより、上田学園を売り出そうというものであった。即ち、自分をちゃんと主張し、行動することで、結果「上田学園」を世間様に知っていただけるようにするというものであった。

この日の話し合いは、聞いていてとても楽しかった。嬉しかった。そして、彼ら一人一人を誇らしく思った。

これからの時代は、今までのように学歴や資格優先から実力の時代になり、いかに自分をPRできるかにかかってくると、私は考えている。言い換えれば、ある意味での人との「差別化」だと考えている。

上田学園の学生のように、普通の学校にいくことをやめ、悩み、考え、選択し頑張った経験が、仕事をする上でも、大学で勉強するうえでも、大いに役立つだろうし、他の人と「差別化」することになると信じている。

子供達の3時間は正確には再現できないが、あの3時間は彼らが彼らの考えた問題を皆で「ブレーンストーミング」したのだ。

あの3時間は上田学園在籍3年目の学生にとっても、上田学園2ヶ月目の学生にとっても、在籍年数に関係なく、無意識に色々な授業の中で各先生から学んだことを実践してみせた「総合学習」だった。

今回の話し合いを通して、自分が選択したことに対して、どんなときにもどう責任をとっていくか、自分の考えをまとめることで自分が行動しやすくなることを、体験したのではと思う。

「フリースクール上田学園」vs「上田学園」。
話し合いはまだまだ続くようだが、学生達はこの問題から何をどう学び、展開させていくのか、楽しみであり、興味津々だ。そして、彼らを通して「上田学園」の存在を世間にアピールしようとする彼らに負けないよう、学生達が理想とし誇りに思ってくれる学校「上田学園」に徹する努力を、今まで以上にしようと、改めて思った。


 

バックナンバーはこちらからどうぞ