●学園長のひとり言 |
平成15年6月03日* (毎週火曜日)
木村屋おばあちゃん! 「おかあさん、今日のお昼は何を食べたの?」 父が遠くへ旅立ってからもう一月近くなる。 北海道釧路市の音別という小さな町の旅館の娘として育った母は、祖母から「ご飯を沢山食べて、元気に大きく大きくなるのよ!」と言われ、子供なのに塩辛や鮭やお漬物等、“酒の肴”としてお客様に出すような物が大好きで、それでご飯を沢山頂いていたという。その所為か時代の所為か、パン食よりご飯が好きで、パンを頂いた後にご飯を一杯頂かないと、食事をした気がしないと言っていたように記憶している。しかし、父が美味しいサンドイッチを作ってくれるようになり、我が家では何時の頃からか朝食はサンドイッチとコーヒーになり、父が年取ってからは、トーストにバター、ジャム、チーズ等を朝食として頂くようになった。しかし、夕食は絶対ご飯。昼食もそば類かご飯というパターンは崩さなかった。 今父が居なくなった昼食の食卓で、母は朝食の残りのパンを頂いているという。そして私の帰宅が遅いときは、夕食もパンになることがあると言う。 「お母さん、駄目よ。ちゃんと食事をしないと!」と心配する私の言葉に「“木村屋パン子”の母の“木村屋のおばあちゃん”ですからね。私もパンが美味しいのよ!」と言い、「長い人生ですもの、時々違うものが頂きたくなるし、習慣も変更可能なのよ」等と言い、母は笑っている。 「木村屋パン子」、私が小さいときパンばかりを食べたがり、あまりパンばかりを欲しがるので、父が呆れて「“上田早苗”をやめて、“木村屋パン子”に名前を変えなさい!」と言い、つけられた私の“渾名”だ。そして、今母が「“木村屋パン子”の母の“木村屋おばあちゃん”」と言い出している。 母がご飯よりパンが今まで以上に好きになったわけではない。食欲がなく、食事をするのが億劫で、何となく「お食事をしなくてもいいかな?」等と考えたときに、健康の為に一生懸命努力して食べているのが、調理時間の余りかからない“パン食”なだけなのだ。 生きるとはそうゆうことなのだろう。その時々で、嫌いだったものが好きになったり、好きだったものが嫌いになったりと変化するし、変化したくなくても、変化することで自分を守ったり、前進させたりする。 上田学園に訪ねて来る子供達の中には、変化することを好まない子供、変化することを嫌悪する子供、変化することを躊躇する子供、変化することを恐れる子供が、結構な数でいる。そして、変化することを躊躇している子供達は何故躊躇するかを説明できず、また躊躇していることを認めたくないために、自分の中で変化が起きる可能性のある場所に出たがらない。そして「俺は一人がいいんだ!」とか「もしそこが、俺に合っていなかったらどうしよう?」と心配し、前進することを拒否してしまう。 人間動かなければ、何も起こらない。動けばそこから何かをつかみ、そして変化が始まる。時には、変化をしなければその問題から抜け出せないこともある。変化することが好きか好きでないかは関係なく、変化しないとその苦しい場所からは逃げられないのだ。そのために、しなければいけないことは「行動すること」。駄目だったら、戻ったり前進したり、路線変更したりすればいい。その勇気が出ない彼らには、それが選択できないのだ。 変化を恐れない勇気とは、失敗することを恐れなければいいのだ。失敗することを恐れないということは、失敗から学べばいいのだ。しかし、失敗から学ぶことより、失敗は不名誉と考えている子供が多く、失敗を恐れるあまり、失敗をする前に、その場所から「失礼!」と逃げてしまう。 「残念で仕方が無い!」と思うことがしばしばある。 勉強がしたくなったときが、勉強年齢。一人で食べていこうと思ったら、就職年齢。家庭を持ちたくなったときが、結婚年齢。上田学園に来たくなったら「羽ばたき年齢」。それぞれが「やりたい!」と思う年齢から何でも始めればいいと私は考えてはいるが、それでも、それを始めるまで何もしないで寝てばかりいては「〜がしたい!」と思う時期は、なかなか来ない。そしていつの間にか一人歩きすることも難しくなっている。 時に人は、自分を叱咤激励しながら前進しなければならないときがある。例えそれがどんなに辛くても。その辛さを乗り越えるように叱咤激励出来る人間は、一番は本人。二番目は本人をとりまく家族や、友人達だ。 本人はどうやって自分を自分で叱咤激励するのか、工夫をしていかなければならないだろう。上田学園の学生のように、自宅から学校までの40分間、アニメソングを心の中で歌いながら自分を鼓舞し、恐怖心と戦い、その結果10年間の苦しみを40分で取り除いた学生もいる。家で暇をするなら上田学園で暇をしながら知識を吸収しようと、敢えて気楽に考えて入学し、自分の学びたいことを見つけ、1年後大学に行き、無事大学を卒業して就職した学生もいる。すべて本人次第なのだ。 父を無くした母は、今一生懸命自分をご鼓舞し、元気に振舞っている。食欲のないことも「木村屋おばあさん」と言って、パンを頂くことで楽しんでいる。 多くの方が同じ悲しみを経験しているとはいえ、92歳で体験している悲しみから母が一日でも早く立ち直って、父が元気だった頃のように「トンカツを頂かないと枯れてしまいそうよ!」等と言いながら美味しそうに食事をしてくれたり、草取りにも燃えてご近所中の草取りをしたりと、元気になってくれることを願い、私が母に出来るたった一つのこと、“木村屋パン子”の渾名に恥じないよう美味しいパン見つけては、母のお土産にしている毎日だ。
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