●学園長のひとり言  

平成15年6月17日*

(毎週火曜日)

 

色々な種


「これは大変貴重な歴史的価値のある資料ですので、是非この証書、将来開設しようと考えております歴史資料館にお貸し下さいませんか?」
「差し上げますけれど、どういうことですか?」

昭和29年12月に発行された「第一回武蔵野市一時公債証券 金五百円也」と書かれた証書が、父の書類の中から出て来た。亡くなった父の人生において“証券”だとか“投資”だとかいうことに、全く縁がなかったと思っていただけに興味が湧き、用事で行った市役所で用事ついでに質問してみた。しかし、市役所の方は分からず「財務部財政課で調べてご返事させていただきます」ということだった。

「うちの子供達だけではない、色々なお子さん達にとっても必要な学校。本当に苦しかったけれどお父様とご相談して、我が家で出来る最低のことをさせて頂いたのよ。それで、金利がどうとか、お金を返してもらおうとかは全く考えていなかったから、ずっとしまってあったのね」と、懐かしそうに話す母の話を聞きながら、昭和29年に発行された“おもちゃ”のような証書の思いがけない顛末に、なんとも幸福な、なんとも嬉しい気持ちになり、この世の最後の“お仕事”で頑張っている父の帰宅を待ちながら、たった二人っきりの慣れない食卓で、何となく毎日シンミリしていた母と私は、久しぶりに昔の話に花を咲かせ楽しい食事をすることが出来た。

私が住むここ武蔵野市は、空襲による住宅地の被害が少なかったために戦後転入者が増加し、それに伴い児童数も激増。そのためどの学校も教室が不足。しかし学校を建てたくても市の財政も今のように豊かではなく、銀行からの借り入れも金融引締めが厳しかった為に難しく、大蔵省や郵政省からの融資も少なく、「学校を建てたいけれど資金がない」という状況を解消する窮余の一策として武蔵野市が市民一般に呼びかけ、全国でも珍しい一時公債、通称“愛市公債”(武蔵野市一時公債)を発行。その呼びかけに答えて私の両親も貧しい中、一生懸命倹約したお金で、たった1枚公債を買ったそうだ。

公債発行の昭和29年は、私がちょうど8歳の頃だ。
当時の我が家は本当に貧乏で、ちょっとお金のかかる買い物をするときは、父の休みの日に皆で買い物に行き、買いたい品物を見、比較し、パンフレットをもらい、そして帰宅すると皆でそれを買うかどうか話し合い、買うことが決まると母が「それでは、皆で耐乏生活をしましょう!」と号令を掛け、皆で耐乏生活をし、買うまではどんなに欲しいものがあっても皆で我慢をしたものだ。

あの頃は小さくて、何も分からなかったように思えるが、それでも何となく我が家が他の家からすると結構貧乏な家なのだということは理解していたし、貧乏なためにお友達のお誕生日にプレゼントを持っていかれないという理由で、誕生日会に“お呼ばれしない”というチョッピリ悲しい思い出もあるが、でも我が家は「そんなこと、悲しいうちに入らない、小さい、小さい!」と思わせてくれるほど楽しくて、貧乏が心の傷になることは全くなかった。

しかし両親がどんなに苦労して私達兄妹を育ててくれたかが理解出来るようになった今、その当時の苦労が理解出来るだけに両親の行為は、誇りにさえ思えるほど私達子供にとっては嬉しい行為であり、微笑ましい行為で、思わず「やれてよかったわね!」と言いたくなるほどのことなのだ。

時々フット考えることがある。どうしてこんなに幸せなのだろうかと。どうしてこんなに善い方たちに囲まれて生活できるのだろうかと。どうしてこんなに面白くて楽しい素敵な子供達をお預かり出来るのだろうかと。

確かに悲しいこともある。苦しいこともある。眠れない日もある。心配で胸がドキドキすることもたくさんある。悩んで悩んで全部を捨てたくなる日もある。でも、やっぱり最後に感謝せずにはいられないような嬉しいこと、楽しいこと、そして大きな手助けがいっぱいあるのだ。

本当に世の中、一人では生きられない。自分以外の人が居てくれることで、その人たちに助けられて「幸せと!」感じられ、心から「嬉しい!」と感じられるのだ。それも苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、絶望と思えることがあるから、その反対の幸せも感じられ、感謝したくなるのだが。

時々上田学園の子供達に言う。「知識の種、知恵の種、幸福の種、楽しくなる種、仕事の種、お金の種。色々な種を一杯人にあげられる人間になりたいね。チョッと種を蒔いてあげることで、きれいな花を咲かせられる人がたくさんいるのにネ。色々な種をたくさん蒔ける人間になれたらいいね!」と。

今上田学園の子供達は、知識の種や、知恵の種や、考える種など、色々な種を“愛情”という肥料と一緒に上田学園の先生方や、大家さんや大家さんのお母様や、上田学園を取り巻く色々な方々からいっぱい頂いて、自分らしくこの社会に花を咲かせるために成長を続けている。そしてその成長に色々な色をつけてくれ、味をつけてくれているのが、上田学園で学ぶ他の学生達だ。

学生達はお互いに腹を立てたり、反対したり、同調したり、色々なことに対し事ある毎に、自分の気持ちや考えを正直にぶつけ合ったらいいと考えている。分かったふりをせず、責任をとりたくないとか、人とぶつかりたくなくて“我関せず”ではなく、上田学園を構成する人間として、自分の意見をぶつけ、人の意見をしっかり聞き、お互いに出来ることをし、出来ないことは助け合いながら工夫をし、人との距離のとり方、討論のしかた、自分の意志を上手に相手に伝えることなどを学びながら、反省する種、考える種、工夫する種、色々な種をお互いに蒔き合うことで、お互いに成長しあって欲しいと願っている。

上田学園に先週から新しい学生が入学してきた。彼は私立の高校2年生を先週中退。上田学園の2年間で自分が何をしたいのかみつけ、就職か大学か自分で自分の進路を決めたいと考えているようだ。

他の学生同様、彼が2年間でどう成長していくのか大変楽しみだが、彼の成長に大きな影響を及ぼすのは、彼を取り巻く社会であり、先生達であり、彼と机を並べる他の学生達だ。

それは他の学生にとっても同じだ。お互いに色々な種を蒔き合うのだから、お互いを大切にして欲しいと願っている。そして、私も私の出来る種蒔きを一生懸命していくつもりだ。いつかきっと人が必要としたときに役に立つ、幸福の種、仕事の種、知恵の種、色々な種を何気なく蒔けるように。またそんな種が蒔ける人間がたくさん育つことを願って、毎日を大切に頑張るつもりだ。

 

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