●学園長のひとり言  

平成15年8月5日*

(毎週火曜日)

高校・大学は行くべきもの?

土曜日の午前中、石束先生の授業で学生達が経済新聞を読みながら話し合っていた。その隣で同じ新聞に目を通していた私はフットこんな記事に目をとめた。

                     世相を映す少年事件
                       凶悪化・低年齢化の背景

                   地方で多発、共同体崩壊
                       消費主義文化に落とし穴

こんな見出しの横に
            学校イヤ理由は「疲労」
という小さな見出し、東京都が小学校5年生、中学2年生、高校2年生におこなった「学校に行きたくないと思ったことがあるか」の意識調査の結果が載っていた。

学校に行きたくないと思ったことが「ある」、「時々ある」が高校2年生では二人に一人。中学2年生と小学校5年生では三人に一人だという。そしてその理由が

順位 高校2年生 中学2年生

小学校5年生

疲れていて、朝起きられない 疲れていて、朝起きられない 疲れていて、朝起きられない
授業が分からない、面白くないから 授業が分からない、面白くないから

授業が分からない、面白くないから

先生が自分の気持ちを分かってくれないから

学校に行っても意味がないから 先生が自分の気持ちを分かってくれないから 友達からいじめられたり、遠ざけられているから

学校に行きたくないと思った理由の一番目に、小学生も中学生も高校生も「疲れていて、朝起きられないから」という理由があがっていることで、上田学園の学生達の会話を思い出していた。「どうしてうちの学校は、若い奴ほど体力がないの?朝が起きられないとか、『くたびれた!』を連呼するのは、全部年下の奴ばかりだよ」と。

本当に今の子供達は体力がない。朝もちゃんと起きられない。それを何とも思っていない。その理由が「勉強や本を読んでいて」という学生もいることはいる。しかし、深夜テレビとゲームのやりすぎのことも多い。おまけに小さいときから塾やお稽古事などで外にいる時間が長く、決まった夕食の時間もなく、24時間好きな時間に、コンビニ等で簡単に手に入れた好きな物だけを食べて、食事をすませることに慣れている。そんな変則的な食生活と不規則な生活。それが体力のない、普通に毎朝起床することの出来ない子供を作り出している。

「先生、本当にゲームやテレビ、何とかなりませんか?」と言う親御さんが多い。それは、小さいときから大人の時間、子供の時間の区別。子供の時間が終わったから“寝る”というしつけや、山のもの、海のもの、赤、青、黄色、白、黒。色々な色の食材を満遍なく食べるような指導。そんな生活をする基本をしっかり教えていかなければ、今日や明日で彼らの生活が変わるとは思えない。

今子供達の睡眠時間が減りに減っていると言う。小さな子供でも「こんな時間に?」と思うほど、夜遅くにコンビニに買い物に来ている。夜遅くまでゲームをしている。そのことを言うと「そうなんですよ、全然言うことを聞かないで、本当に困りものですよね」と言いながら笑っている。笑っていられるうちはいい。でも学齢期になり、決まった時間に学校に行かなければならなくなったとき、苦労するのは親だ。

確かに勉強で遅く寝なければならないときもある。でもそれも年齢制限があるはずだ。小学生や中学生がいくら受験といえ、1時2時まで勉強して睡眠時間が3・4時間では、身体が持たない。おまけに、いつも受験のプレッシャーがあり、テストの点数に一喜一憂し、その結果を聞く親の顔色に一喜一憂していたら、心が休まるときがないだろう。そんな状況にいたら「疲れた!」を連呼しても仕方がないと思う。

大人は考える必要がある。子供のその年齢で何時間しっかり睡眠をとらせないといけないかを。子供の体力づくりは大人になったときの“健康”の基礎になる。子供の体力は食事と外で元気に遊ぶことでつくはずだ。けっして水泳教室やサッカークラブに入らなければつかないのではない。子供の時代を子供らしく過ごさせることでつくのだ。

確かに、現代は昔のように野原や広っぱがあって子供達が車などを心配せず「夕飯の時間だから帰って来なさい!」と叱られるまで遊べるところが少なくなっている。でも学校のグランドなどがあるはずだ。

上田学園がある武蔵野市はたくさんの野原公園がある。でも、そこで子供達が夕方まで遊んでいる姿はあまり見られない。どちらかというと、中学生や高校生くらいの年齢の男女が花火をあげたり、地べたに車座になって座り、夜遅くまで騒いでいる“溜まり場”になっているだけだ。

受験をさせることが全て悪いとは思っていないが、夜遅くまで暗記をするためにだけ起きていなければ入学出来ないような学校ならば、普通の学校に行ったほうがいいと思う。

なんだか分からないけれど親や先生から「将来、大学に入るときに苦労しなくてもすむから」と言われ、「貴方のためなんだから」と言われ、苦労してやっと入学しても、その学校で、他の生徒と足並みを同じにして進んでいくためには、今まで以上に寝不足を続けていかなければ授業についていけないだろう。

寝不足を続けても成績は芳しくなく、あせる気持ちが寝不足に加算され、切れる。不登校になる。乱暴をする。例え、無事大学受験までたどりついても、18歳になる間に当然培われているべき人との付き合い方、一般的な常識等が全く身についておらず、おまけに希望の学校に入学することが最終目標になっている彼らにとって、目標をクリアーした喜びもつかの間、急に目標がなくなり、何をしていいか分からない無気力感と虚しさに覆われ、抜け殻のような人間になるか、自分でコントロールの出来ない“自由”を手に入れ、当たり前のように非常識なことを、何の疑問も持たずにする人間の、どちらかになってしまう。

原因が何であれ「朝起きられない」とか「疲れている」とかいう問題は、子供の年齢が下に行けば行くほど、大人は見逃してはいけない。しかし、親は往々にして「授業がわからない」とか「面白くない」とかいう問題には、直ぐ反応するが、朝起きられないことには余り反応しないように思う。

授業がわからないのは、基礎基本をきっちり学べば解決できることで、簡単な問題だし、基礎基本がきちんと身についていたら、教え方や学び方にちょっと工夫をしてあげれば、自然に勉強は面白くなる。しかし、朝疲れていて起きられないことには、大きくて深い原因がかくされており、早期に対処しなければ、本当の病気になる。病気になったものを治すのは大変だし、本人もつらい。

教師を生業にしている人間としては少々悲しい気持ちになるが、「先生が自分の気持ちを分かってくれない!」というのは、確かに教師側に問題がたくさんあるようだ。

給食費の自動振込みが、残高不足でおちないと「ただ食いする奴!」と言いながら振込み用紙を配る先生。生徒の血液型が自分の血液型とは相性の悪い血液型だから「嫌いだ!」と言う先生。そんな自分達の行動を「生徒に親しみをこめて言ったんですが・・・?」と説明する先生。大人になりそこね、年齢だけが成長した先生達、お話にならないほど精神が幼稚だ。

私達教師は、もう一度「教職」とは何かをしっかり確認し、反省しなければいけないと思う。それと同時にやはり子供達にも教えたい。「自分を理解してもらうことは大変なんだよ!」ということを。

子供達がおこす色々な事件を通して、いろいろな親御さん達から「親子の会話をたくさんしていると思っていたら、意外と少ないことに最近気が付きました」という話をよく耳にするようになった。親子の会話が少ない家が多いのだ。

忙しいことを理由に、親が一方的に「あれやったの?これしなさい!」と言い、それに従って子供が動く。それも片目片耳はテレビやゲームの方を見ながら半分上の空。一日で多分一番楽しい時間の食事の時間でも「早く食べて勉強しなさい!」と言うのをテレビを見ながら半分上の空で聞き、生返事をすると「聞いているの!」とヒステリックになった声で急き立てられ、慌てて食べ物を掻きこむ。

食事の時間をどれだけ楽しんで過ごしている家族がいるのだろうかと、ふっと考える。「美味しいね、美味しいね」と言いながら一日学校であったことを、「よかったね」と聞いてあげる親はどれだけいるのだろうか。生きて行く上で大切なコミュニケーションのとりかたの基礎を学ぶ大切な場が、家庭から消えている。親の一方的な会話のみ。そんな中で育った子供達は、自分を理解してもらうアピールの方法を知らない。会話をキャッチボールさせることも苦手。彼らをみていると「だから携帯のメールがはやるんだな」と納得してしまう。

上田学園の学生を見ていても、同じことを思う。
コミュニケーションの取りかたが分からない学生が多い。親子で会話のキャッチボールをあまりしてこなかったのか“コミュニケーション”という言葉を聞いたとたんに「相手が喜んでくれるように話さなければ!」と考えるのか、何しろ難しく考え、身構えるため、思考が固まってしまい会話が出来ないか、それを他人にさとられまいとして、投げやりな態度で、興味なさそうな反応をするかのどちらかなのだ。

上田学園の学生の一人も、コミュニケーションのまずさから問題を起こしている。

今年の1月、上田学園の学生達は約一月ヨーロッパを回ってきた。始めの10日間くらいは、200名近い企業の方達の「買い付けツアー」の添乗員のアシスタントのアシスタントとして。そしてお客様を日本にお送りしてからは、上田学園の修学旅行として、旅行をしたのだ。

日本に戻ってきて、「ご両親に旅行の報告をしたの?」と聞くと、殆どの学生が親に全く報告をしていなかった。無理やり親が聞きだした学生の場合は、ただ一言「つまらなかった。絶対ヨーロッパには行きたくない」だったそうだ。

彼の中学時代のお友達が高校1年生の授業を一生懸命受けているとき、彼はたったの2ヶ月弱の勉強、それも先生ではない上田学園の生徒達から、学園の授業前の30分から1時間。放課後は30分くらい教えてもらって、大検の全科目に一度で合格した。ご両親は大喜びだったようだ。それだけに、うまくいけばひと月のヨーロッパ旅行で、彼の何かが変わり「ヨーロッパの大学に行きたい!」と言ってくれると期待していたご両親にとって、帰国した彼の口から全くヨーロッパの話が出ず、見かけも全く変わらなかったことで、がっかりしたようだ。

彼がご両親に何も報告をしなかったのは、報告をするという習慣が彼の中に存在していなかっただけなのだ。親の一方的な話を“会話”とするのではなく、本当にキャッチボールのような会話を小さいときからしていたら、私達が心配になるくらい、親御さんをがっかりさせなくてすんだのだが、残念なことに現実はそうはならなかったのだが。

人の話をじっくり聞いたり、意見を言うという習慣が戻ってこない限り、これまで以上にコミュニケーションのとれない人間関係が、夫婦でも親子でも先生と生徒の間でも起こるだろう。

たわいない話でもいい、楽しい話をしながら楽しさを分け合う。そんなことからコミュニケーションのキャッチボールの仕方を学び、自分のことを親に理解してもらい、友人や先生達に理解してもらう。その方法を身につける努力は、特に今の学生には必要だと思う。

上田学園は一応在学2年制の学校だ。2年間の在学条件は学生本人が入学を希望することで、親や先生が「入れたい!」と希望しても、本人がその気が無い場合は入学を許可していない。しかし学生によって3年を希望する場合がある。その場合は、学校から条件を出し、それを守ってもらうことで3年目の在学を許可している。

そして今、上田学園は3年制の学校にしようと準備中だ。
1年目は基礎学習と、ものの考え方を学び、授業内容を理解する。2年目は座学4日と実践2日位の割合で授業に取り組む。そして3年目は、座学は2日くらいであとの4日は実際に商品開発したり、営業してみたり、企業の方達と一緒に企画したりしながら、自己の確立をする“仕事実践研究所”。

その結果、3年を終えた時点では「自分はこういう勉強がしたいからこの学校のこの学部でこういう教授からこういうことを学びたい」とか、「自分はこの方面の仕事をしたいが、そのためには自分はこの部分が不足しているからこの専門学校に行く」とか、「自分は実践を通して学ぶ人間だから自分のこういうところを生かして、こんな企業で働きたいので、3年目の授業で出した結果を持って、自分で企業に売り込みに行ってくる」とか言えるようにさせたいと、考えている。

東京都の意識調査でも分かるように、多くの学生が学校に行っても意味がないという。多くの大学生も同じことを考えているようだ。それはそうだろう。今の日本の大学は、大学の50%の機能も機能していないと思われるからだ。

高校のときの授業の延長のような大学2年までの教養課程が終わり、やっと自分が勉強したい専門を学べる時期になった大学3年生で、すでに就職の心配をし、自分が何のために大学に入ったのかの意味も忘れて、就職口を探すことにアタフタする学生達。

大学はまるで就職の予備校のような状態になっている。それに拍車をかけるように、インターシップなどという本来のインターシップ制度から大きくずれていると思われる見せ掛けの制度を採用することで、あたかも「大学は学生のご要望にお答えし、出来ることは全部しています」と表面を取り繕い、取り繕うことで本来の大学の持つ使命から逸脱した、専門学校のような次元の違う教育をしていることの後ろめたさを、覆い隠すように「就職」という言葉に逃げている。

日本の大学生活のなかで、本来一番大学らしい授業のできるまた、社会人になる学生達にとっては人生最後のじっくり勉強が出来る大切な時期を、セカセカと駆け足で通り過ごさせるように「就職」とか、「インターシップ」という言葉で追い立てる。

つくづく思う。中学までは義務教育だ。でも高校・大学は義務教育ではない。学校に行っても無駄だと思うなら、さっさと働いたほうがいい。日本もそろそろ政治に関しても、教育に関しても“大人”になってもいいのではと。すなわち、行きたいとき、勉強をしたくなったときに、何歳になっても学校に行けるような環境。そうすれば、行きたくもなく、必要も感じない、おまけに行っても無駄と思うようなところには、初めから行かなくなるだろう。

大学は専門学校とは違う。就職のために行くのではない。高校も同じだ。必要と思わないところに行く必要はない。

私は、上田学園の学生達にはしっかり自分の人生を自分で選択する力を持った人間になって欲しいと願う。そして仕事は、自分で企業に自分の履歴書を持って「だから、私は御社で働きたいのです」くらいアピールし、激戦を勝ち抜いて、テレビの企画会社に採用された卒業生のタッチのようになって欲しいと思うし、上田学園の生徒達ならなれると信じている。

もう一度考えたい。高校・大学は行くべきところなのか、勉強したいから行くところなのか。世間に振り回されるのではなく、自分の心にしっかり聞いて欲しい。

200名の中からたった5名採用されたうちの一人となった卒業生のタッチは、「大変だ、たいへんだ!」と言いながら、「苦しいけれど、楽しいです!」と言って頑張っている。そう言えるのは、納得して自分を売り込んで、採用されたからだろう。だから「苦しい!」と言いながら入社3ヶ月にして彼の企画が採用され、「笑っていいとも!」でオンエアーされたり、他の番組でも採用されオンエア−されているのであろう。

就職は学校が斡旋するものではない。会社を納得させ、会社に「採用したい!」と思わせればいいのだ。そんな自分をしっかりつくるためにも、他力本願的に世間に惑わされず、高校や大学は行くべきところなのかを、親も子もしっかり考えるべき時だと思う。そんなことをしっかり考え、納得し、自分の人生を生きていけば、社会に迷惑をかける人間も少なくなると思えるのだが。

 

バックナンバーはこちらからどうぞ