●学園長のひとり言  

平成15年10月14日*

(毎週火曜日)

不平等な社会で、逞しく生きて!

4月、のんびりした学生生活から一変して忙しい社会人。同期入社の人たちと、新入社員として一斉に走り出すサラリーマン生活。努力し頑張っても先輩達に認められない。同期の者達で飲み会をし、励ましあう。

時間が経つ。悲しいこと嬉しいことを分け合い、助け合い、慰めあっていたそんな同期の仲間の中から、一人二人と出世の階段をのぼり出す。一人二人の仲間が出世していくのは素直に喜べる。しかし、同期の殆どが階段をのぼりだしているのに自分だけが置いていかれる。同期の仲間が慰めてくれる。慰められて「いや俺、仕事があまり出来ないし、努力もしなかったし・・、まあ自分のレベルからすると正当な評価かな?」と自分に言え、出世から取り残されていることにどれだけの人間が納得しながら、今まで以上に又は、今と同じように努力しているだろうか。

子供達が学校(義務教育)で学ぶ理由は何か。大きく分けて二つに分けられると思う。

一つ目は、社会人として一人でいきるとき不便な生活をしなくていいように、基礎学力をつける。
二つ目は、一人で生活をすることは人間としてこの世に存在している限り不可能。そのために気持ちよく他人と社会を共有するため、共同生活のルールを学ぶ。

そして、この二つの目的を遂行しながら学校が子供達に教えなければいけない一番大切なことは、社会に出たときの模擬訓練ではないだろうか。

勝ったり、負けたり、重要視されたり無視されたりと、人間社会では絶対起きる優劣の問題。自分の力ではどうしようもない他人からの評価。待ってくれない時間。歩調を合わせてくれない社会等など、こんな問題をどうやって克服していくのか。そのためにどう努力するのか、どう協力するのか、どう我慢するのか、どう認め合い、慰めあうのかなども含め、色々な心の動きをしっかり自分で受け止め、自分で処理することを覚える。それが他人との共同生活が基盤になって出来ている社会の一番小さな社会。子供達が彼らの人生で一番初めにふれる社会。即ち、学校が子供達に教えなければいけないことであり、子供達がしっかり学ばなければならないことだろう。

それがきちんと学べていないと、自分の好意に答えてくれなかったからと、一番大切にしたい愛する人をストーカーし、嫌がらせをし、それが高じて殺める。手にいれたいから人を襲っても、万引きしても、手に入れる。それも何の悪気もなく、当然のことのようにやってしまうのではないだろうか。

先日の新聞にもどこかの小学校の運動会の徒競走で1位の赤いリボンをもらった一年生が、4位以下になった同級生がピンクのリボンをなくしたことをからけんかになり、からかわれた子供の母親が「リボンは必要なのか」と校長先生を責めたそうだ。

後日その記事に対し、色々な読者から「速い子のほうが優れているのは当たり前。差別ではない」とか、「勉強が出来ないが運動会で花形になってもいい。それが個性」とか、「テストで100点でも、リボンなんかつけない。徒競走で順位をとったら、ほめてあげれば済む話」とか、「運動や勉強が苦手な子にも、掃除を一生懸命頑張った、困った人を助けたいなどと、優れている点をみいだしてあげることが大切」と、リボンをもらえない子への配慮を求める意見もあったそうだ。そして都内の小学校の約8割は、運動会で子供達の順位をつけないようにしていて、ゴール前で手をつないで一緒にテープを切らせたり、足の遅い子供には距離の短いコースを走らせたりするなどしているそうだ。

私は上田学園の生徒たちには、どんな社会でも、何がおきても、逞しく生きて欲しいと願っている。そして逞しく生きる土台の中に、人にたいする優しさや思いやり等は「持っているのが当たり前」と考えている。その上で、色々な教科を通して授業の中で何回もどん底に落とされたらいいと思うし、そこから何回も這い上がらせたいし、這い上がってくる手助けをしていこうと考えている。その経験が社会に出てから単なる「知識」としてではなく「知恵」として、この社会の一員として生きていくうえで、大きなサポートになるだろうと考えるからだ。

若年層が起こす犯罪は全部大人の責任だ。「どうしてこんな子供が育っちゃったんでしょうかね」と他人事のように嘆いている私達大人一人一人の思慮のなさが、子供達がいとも簡単に起こす犯罪の元凶になっているのだ。子供達を取り巻く大人が自覚しないかぎり、今子供達がおこしている凶悪犯罪はもっとおこるだろう。

どんなに子供が可愛くても、どんなに子供を心配しても、親も先生も彼らのそばにずっといられるわけではない。子供達は親や先生も含む大人たちを踏み台にして、自分達の社会を築いていかなければいけない。それが若い者に課せられたこの世に生きる「役目」だと考えている。

そんな彼らの役目がきちんと果たせるように、私達大人はあるときは厳しく、ある時は応援團として、子供達の前に立ちはだかったり、同じ目線で物をみたり、色々工夫しながら子供達が自分達大人を上手に踏み台にして、自分達の人生をしっかり作っていける知恵を授けたいものだ。そのためにも目先の問題で、大人達が担っている子供達に対する責任を見失うことのないように心しながら。

 

 

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