●学園長のひとり言  

平成15年10月21日*

(毎週火曜日)

上田学園でしないこと!

昨日ある団体からインタビューを受けた。
どうして上田学園つくったのか。先生が生徒に望ことは何か、などなど。その中に「ボランティアをさせていますか。どうしてさせないのですか。本人がボランティアのために、この時間は授業を受けたくないという申し出があったら、許可しますか」というのがあった。

どこのフリースクールでもボランティアを授業のメインまたは、重要なサブジェクトにしているところが多いのだろう。事実、フリースクールのパンフレットには介護の資格がとれるとか、そのためにボランティアで「老人ホームに行く」とかいう一文と共に、写真が載っていることが多い。また、フリースクールの一種である「サポート校」と呼ばれる、大検受験のサポートや通信高校とタイアップして高校卒業資格をとるためのサポートをしている学校も「バンドを組んで音楽活動」とか「ダンスで表現」等と一緒に「ボランティアで介護」というのが、必ずといっていいほどパンフレットに載っている。

上田学園をつくるとき絶対やらないと決めていたことが私にはある。その一つが、学生募集だけのために不必要な設備を整えたり、見掛け倒しのイベントや授業等はしないということだ。その中にボランティアも入っている。

「ボランティア」、素敵な言葉だ。
どういうわけか親も含めた世の中の方達は、フリースクールの子供達がボランティアをする様に「美しさ」を感じて下さるようだ。それはきっとフリースクールは不登校児が行く学校であり、不登校児は繊細な気持ち、優しい気持ちを持った子供達であり、その子供達はいびつに歪められた今の競争社会から傷つけられた現代社会の被害者。心の痛みを体験している現代社会の被害者、フリースクールの子供達が手助けを求めている弱い者を助ける。だから「美しい!」。その美しい行為をする子供達に、親達は安心をする。

確かに、フリースクールに来る子供達の中には社会の被害者もいるが、所詮はどんな理由があっても、普通の路線から外れた子供達であると思われることには違いないし、事実のことだろう。しかし、私はいつも「それがどうしたの?」と思っている。

自分で選択したか、追い詰められて仕方なく選択したかの違いはあっても、今現在彼らがいるところは、正しいか正しくないかは別にして、一般社会からすると、いわゆる「普通の路線」からはずれているのだから、その立場を上手に利用して、外れているからこそ出来ることをして、21世紀がどんな社会に変化しても、どんな所で生きようとも、一人で生きていける知恵や力をつけた方がいいと考えている。

また、人様に助けを求めている方々は決して「弱者」でも弱い立場の「被害者」でもなく、長い人生の中では努力してもどうしようもないときがあり、人様の手を借りなければならないことは、多々あることであり、また出来ることでお互いに助け合うことは、「人間として当たり前のことなのだ」ということは、学生達にしっかり理解させたいと考えている。

フリースクールの学生がボランティアをして「美しい!」と思われたり、「ボランティアに汗を流す子供達は立派です」と、そんなことで学生達を満足をさせたくもないし、もしそんなことで満足するようでは、お手伝いをさせて頂いた方に大変申し訳ないと考えている。まして、ボランティアをする子供を見せて、親を安心させようなどとは、さらさら考えていない。むしろ、学費を出してくださっている学生達のスポンサーとして、親御さん達には「学費を出した甲斐があった!」と思っても頂けるようにすることが、私の仕事だと考えている。

ボランティア。
Volunteerという言葉には、どんな意味があるのだろうか。英語の辞書をひいてみる。「志願者、有志、篤志家」というのが最初に書かれ、最後の方に
<仕事など>進んで仕事を引き受ける
        自発的にやろうと申し出る
とあるが、実際のところ私達が「ボランティア」という言葉に持つイメージとしては、「無料で良い行為をする良い人達」というのがあるのではないだろうか。

ボランティアに関しては、英語のVolunteerの意味の通り、強制されたり強制したりものではないと考えている。

上田学園の学生達には働くことも、学ぶことも、自発的に出来るようになって欲しいと考えている。まして、人の手を必要としている人たちには、相手の負担にならないようにお手伝いが出来る人間になって欲しいと考えている。

私はいつも学生達に言う。「元気の種。お金の種。知識の種。仕事の種。幸福の種。色々な種をちょっと蒔いてあげるだけで、きれいに花を咲かせられる人たちがこの世の中にはたくさんいる。私達も、色々な種を色々な人に蒔いてあげられる人間になりたいね」と。

学生達にはまず自分の周りの人たちのために、自然に何かをする。例えば、道路を掃除してくれている人に「ありがとうございます!」と声をかける。家族や先生や友達等の手伝いをする。草取りでもなんでもいい。学校の前に落ちているゴミを拾うことでもいい。そんなことから始めたらいい。それもボランティアの一つだと考えている。そして年齢や出来ることの範囲が増えてきたら、それに合わせてボランティアのために、どこかに出かけて行くのもいい。決して、決して、何々クラブに入って、どれだけ寄付し、どれだけの人を助けたと大きな声で言うことだけが、ボランティアではないからだ。

私は毎日「ありがとう!」と声をかけたり、荷物を届けて下さった宅配の方にチョッとお茶を飲んでいって頂いたり、学校の前をきつそうに歩いているお年寄りの方に「もしよろしかったら、学校で休んでいらっしゃいませんか」と声をかけたりと、私の出来ることから率先してやるように心がけている。いつか学生達がそれに気が付き、自分達から率先してやりだすようにと願いながら。

現在、上田学園ではタイ旅行と同じように一生懸命考え話し合っていることがある。それは、この世の中は男と女で構成されている。授業も男の意見ばかりではなく、女性の意見があったほうが面白くて、いい授業が出来る。何とか上田学園に女生徒が入学するよう、学生達は色々知恵を絞っているのだ。

今日も学生達が話し合っていた。「ホームページの色を、女子学生が好みそうな優しいパステルカラーに変えたほうがいいのかもしれない」とか、「授業が大変!」とか、「宿題が出る!」とかは書かないほうがいいとか、「俺達はハンサム揃い!」と告知(?)するとか。

そんな彼らの話し合いを聞きながら、彼らの一生懸命さに少しは協力するためにも、「ボランティア」とか「国際人」とか、「好きなことしかしないでいいです」とか、上田学園に入学しやすい言葉をパンフレットに書いたほうがいいのかなと、フット思った。しかし生徒達には苦労をかけるが、生徒集めは生徒たちのアイディアにお任せして、上田学園は上田学園らしく学生達のための学校。学生に必要なことしかしない。広告だけの授業はしないと、再度心に決めた。

何とか良いインタビューをしたいと、色々な角度から上田学園のことを質問して下さった昨日の方は、「いやあ、こんなフリースクール初めてです。いろいろなフリースクールをまわっているのですが・・・」と、上田学園の授業内容を含む全てのことがなかなか理解できず、頭を抱えていた。

そんな彼の困惑した顔を思い出しながら、学生達のためになる学校を続けるためにも、上田学園の先生達や色々な方からお知恵を拝借し、もっともっと頭を柔らかくして「頑張ろう!」と、授業後の開放感に楽しそうにひたっている学生達を残して帰宅。私の愛車、ママチャリが出すギーコーギーコという伴奏に合わせて「♪ガンバラナクチ〜、ガンバラナクチ〜♪」と美声(?)を張り上げ、自分の美声(?)と自分の愛唱歌に酔いしれながら。

 

 

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