●学園長のひとり言  

平成15年12月23日*

(毎週火曜日)

一足早いクリスマスプレゼント

12月20日は上田学園・レッツ日本語教育センターの忘年会だった。
例年の忘年会は吉祥寺にある中華レストランで上田学園の卒業生や日本語の勉強に来ている外国人の学生やお世話になった関係者の方々、3・40名で行われるが、今回は上田学園が新校舎に引越して初めての忘年会ということで、学生達が3種類の鍋物を用意して、この新校舎で行われた。

学生達は毎日、授業の合間にお料理の打ち合わせをしたり、試食をしたり、忘年会に参加していただく方へお手紙を書いたり、メールをお送りしたり、出欠のお知らせを受けたりと、忙しく働いていた。

そんな出欠のやりとりの中、思いがけず海外の転勤先からのものであったり、家族が増えたお知らせであったり、就職のお知らせであったりと、色々な嬉しいお知らせ等もたくさん入って来ていた。

「上田学園の皆さん、お久しぶりです。今年もあとわずかになりましたね。今年の初めにヨーロッパ旅行で皆さんにお会いしてから、もうすぐ一年が過ぎてしまうのですね。いかがお過ごしですか?上田先生、お久しぶりです。就職も時間がかかりましたが、なんとか希望していた商社に決まりあとは卒業するのみです」忘年会のお誘いの返事として、こんな書き出しで超一流商社と呼ばれている企業に就職が決まったことが書かれたメールが届いた。

私や上田学園の学生達が彼に出会ったのは、旅行の授業の一環として、伊藤先生が毎年ドイツとフランスで行われるテキスタルや小物雑貨の展示会に、商社関係の方々250名近くをお連れする旅行の、添乗員見習実習でヨーロッパに行った時、たくさん居た添乗員のアシスタントとして来ていた夜間大学3年に在学している学生だった。

出発前の打ち合わせで初めて紹介された彼は、「今回の仕事で僕は就職活動に必要な背広が買えるので嬉しいんです」とニコニコ話し、今風の苦労知らずの若者のような印象だったが、実際に行動をともにしてみると細くて頼りなげな優しい感じのする彼は、その見かけからは想像も出来ないほど苦労人であり、バリバリのアメリカ英語を話し、お客様のどんな注文にも難問にもユーモアで処理する、本当に頭の回転の良い楽しい学生だった。そしてお客様に対する言葉遣い、気の使い方には、思わず「参りました!」とお頭を下げたくなる程、一流。先生と慕ってくれることをいいことに、ずっとそばにいて色々学ばせて頂き、心の中で私の「接客の先生!」と呼ばせてもらっていた。

私は彼が大好きになった。そして仕事の合間に話してくれた彼の話に「頑張っている人間は、どんな環境にもめげず本当に頑張っているんだ」と、何とも嬉しい気持ちにさせてもらった。

彼は5歳頃、ご両親が離婚。母親の手一つで育てられたと言う。
いつの頃からか父親の居ない家庭に、自分はまともじゃないという思いがしていたという。

まともじゃない自分がちゃんと生きてくのにはどうしたらいいかと考えた彼が思いついたのが、人より何か一つ優れたものを持ちたい。それを武器にして生きていく。そして彼が選んだのが英語。英語を武器にして生きようと一生懸命英語の勉強をしたそうだ。

高校生になった彼は、なんとか英語で1年間留学出来ないかと考え、1年間留学させてくれるスカラシップを探し、その試験にチャレンジしたそうだ。しかしチャレンジしてもチャレンジしても何回も不合格になりメゲそうになる。そこで彼が考えたのが、「また落ちた!」ではなく「何回落ちたら試験に受かるかを試してみよう!」と、試験に落ちることを楽しむようにしながら英語の勉強を続けたそうだ。そんな彼を見ていた先生が「そんなにアメリカに行きたいなら」と他のスカラシップが取れるように推薦してくれ、彼は念願のアメリカ留学のチャンスを手にいれたそうだ。

現実のアメリカの生活は、黄色人種とはなかなか仲良くしてくれない白人の学生達。コミュニケーションギャップからくるホームステイ先とのトラブル。あこがれていたアメリカでの高校生活は、彼が想像していたのとは全く違った形で始まったそうだ。

苦労してやっと手にいれたアメリカ留学。夢に描いていたようにホームステイのホストファミリーを自分のアメリカでの本当の家族と考え、一生懸命甘える彼。しかし彼とあまり年齢の離れていないホストファミリーにとって、彼の甘えは重荷だったようだ。

言葉もままにならない彼とのコミュニケーションギャップ。ホストファミリーを悩ませ、ホストファミリーの家を出なければならなくなった彼。苦労して勝ち取ったアメリカ留学もたった3ヶ月で終わりそうになったそうだ。

あれだけ長い間苦労して手に入れたアメリカでの高校生活が、たったの3ヶ月で泡のように消えていく。「俺は何をしてるんだ!」と自分が本当に情けなく思った彼は、それまでの受身の生活をやめ、ホストファミリーになってくれる家を探したそうだ。そして、仲良くなって時々遊びに行っていた友人のご両親に藁をもつかむ気持ちで直訴したそうだ。「僕はお宅の息子さんと仲良しだし、お宅は大きい家なので僕を置いて下さい!」と。

新しいホストファミリーを探さなければならない理由やホストファミリーを引き受けてくれる家族がいない場合どうなるのか、17歳の彼は必死で話したそうだ。

唐突な申し出に驚きながらも彼の熱意に、その家族が残り9ヶ月間、アメリカでのホストファミリーとして彼を暖かく向かえてくれたそうだ。それを機に中々打ち解けてくれない白人の学生達にも、自分から率先して話し掛けるようにし、自分から飛び込んで行き、たくさんの友人を作ったそうだ。

他の日本人留学生が大学に行くときのための受験英語に固執する中、大学へは行かせてもらえないことの分かっていた彼は、生きる武器としての英語を習得するために、アメリカ人の真似をし、アメリカ人の考えを何とか理解しようと努力しながら“本当のアメリカ人”を目指したそうだ。

「本当のアメリカ人を目指すなんて、今から思うと可笑しいですよね。でもその時は必死でしたから」と、ちょっと恥ずかしそうに笑いながら話してくれた彼の顔は本当に輝いていた。

そして帰国。どうしても大学へいきたいと考えた彼は、働いて欲しいという母親に「一銭の援助もいらないから」と説得。本当に一銭の援助もなく東京に出て来て大学の夜間部に入学。昼はアパレルメーカーのショップで店員をし、学校が終わってから国際電話のオペレーター、そして土・日の3つの仕事をこなしながら、大学生活も何とか後1年を残すまでになったのだと、話してくれた。

彼の苦労は、彼の顔を全く曇らせることもなく、むしろ輝かせていた。一つの仕事ではどうしても食べていけない環境のため、寝るのも惜しんで働いていることも、彼を駄目にはしていなかった。むしろ、年齢より気の利く、仕事の出来る若者にしていた。

「先生、うちの母親ってすごいんですよ。狭い家、厳しい母親に叱られると叩かれると分かっていたので、パット家から逃げ出したんですが、母親はどこまでの追っかけてくるんですよ。あるとき、運動会の徒競走で一等になってメダルを貰ったら、『これは私があなたを追い掛け回したから、そのお陰で彼方の足が速くなったのだから』と僕からメダルを取り上げて、ちゃっかり自分の首にぶら下げているんですよ」と、楽しそうに小さいときのエピソードを話してくれた。

自分が生活するだけでもやっとだろうと思うのに、母親のことを気遣い、週に一回ファミリーレストランに行けるようになった母親が、行く度にもらうスタンプで、コップだとかお皿だとかを子供みたいに集めて楽しんでいると、そんな話も、嬉しそうにしてくれた。

「今時こんな生活があるの?」と思うほど苦労していることが想像できる環境の中、彼は自分の環境をうらむことも、世の中を斜めに見てすねることもなく、自分の出来ること、出来ないことをしっかり見極め、その中でどんな努力をしたらいいのか、一生懸命考え、実践していた。

そんな彼を「今時の若者は・・・・」と顔をしかめては何か一言いいたくなるご時世に「こんな若者もいるんだ。まだまだ捨てたものじゃない、日本の若者も」、そんな気持ちで彼の話を聞いていた。

洋服の並べ方、売り方、色々な提案を出し、実践する彼の行動力に、昼間働いているショップから卒業後は本社の企画部で働いてみないかというオファーをもらったが、海外で仕事をしたいので、海外にいかせてもらえそうな運送関係の会社を選ぼうと考えているという彼の意見に、私は余計なことだと思ったが、海外で生活したいと考えて仕事を選んでも、海外駐在員を減らしているこのご時世、海外に行けるかどうかは分からないこと。

ビザ取得に関連した問題は、その時その時の政治的な問題、経済的な問題が関わってくるので、一流企業でも社員のビザ取得に凄く苦労していること。いくらお金を積んでもビザがおりず弁護士を色々変えたり、有能な弁護士を数名頼んだりしても、取れないことがあること。

海外で仕事をしたり生活するとうことには、個人的な理由や個人的な努力ではどうしようもないものがあること。但し、チャンスにはいつでも乗れるよう準備はしておいたほうが良いと思うこと。

しかし海外で仕事が出来るか、出来ないかはその人の持った運ではないかと考えたくなるようなところがあるので、そんなことで仕事は選ばないほうがいいし、むしろやりたい事をやったらいいと思っていること。

力がついたら、自分で海外に行けるようになるし、企業がほっておかないと思う根拠をあげ、海外に行けるかどうかは計算外にしておいたらどうか等、自分の拙い経験等も織り交ぜて話をさせてもらった。

今彼は卒業に向けて頑張っていることだろう。4・50名集まった忘年会のお客様の中には「欠席します」と知らせて来た彼の顔は勿論なかった。しかし彼の顔を思い出しながら、上田学園の学生達も自分のテンポでいいから自分の置かれている環境に感謝し、遠回りしてもいいから、自分の行きたい道を探して努力してくれることを願わずにはいられなかった。

たくさんのお客様に囲まれ、楽しそうに歓談している上田学園の学生達の顔を一人一人見ながら「上田学園の生徒は幸福ですね。そんな授業が受けられるのですね。僕もチャンスがあったら上田学園で勉強したかったな」と言ってくれた彼の言葉を思い出し、「親や兄弟や先生や、色々な人に感謝しようね、本当に私達は幸わせ者なんだよ」と声に出して言いたくなった。

上田学園の学生達が毎年実習する旅行の添乗員のアシスタントの見習いは、色々な企業の色々な立場の方々が2つの国の展示会で買い付けをしたり、次の年の商品の流れをチェックしたりするために行くのではあるが、展示会の合間に現地の取引の方々との会食や、会議等、各人が色々な仕事を持っての参加のため、添乗員の方々は普通の旅行より忙しいようだ。

おまけに、世界中から業者が年に1度この展示会に向けて集まるため、ホテルも旅行会社1社に割り当てられる部屋数が限定され、必然的に5・6箇所のホテルに分散して泊まることを余儀なくされ、添乗員も旅行の間中この5・6箇所に分散して泊り、日に何回もこの5・6箇所のホテルと展示会場を行き来するのである。それにあわせ、上田学園の学生達も二人一組になって分散してホテルに泊り、添乗員のアシスタントのアシストをする。

決められた時間内に色々なことをしなければならないお客様達をお客様にする体験をしたことがない上田学園の学生達は、言葉も通じず、その場所も不慣れ。見るもの聞くもの初めてのことが多い状況の中、出来るか出来ないか等に関係なく、待ったなしで先生から「中央駅に行って明日一番のロンドン行きの切符1枚買ってきて」等と指示が飛ぶ。お客様からも色々な注文や質問が来る。

時間が山のようにあると何となく考えている彼らに、決められた時間内で行動することや、自分が出来ること出来ないことの確認と、出来ること出来ないことを見極めて、出来ないときは先生に相談し、出来ることは他の学生と相談してすぐ行動に移す。その決定を一瞬のうちにしなければならないという、一番彼らが苦手としていることをこの1週間で体験していく。このたった1週間の体験が、学生達のうえに今までとは違う流れを作り、彼らが大きく変化を遂げていく重要なきっかけになっている。

来年は1月13日から1週間の予定だが、その1週間で上田学園の生徒達はどんな人たちと出会い、どんなことを体験するのだろうか、とても楽しみにしているところだ。

「就職おめでどう!貴方なら絶対どんなところでも大丈夫だと思っていました。就職してからが人生の本番、頑張ってください。貴方のようにあらゆることを一つ一つ自分の手で獲得してきた人は、絶対人生の勝者になると信じています。卒業試験が終わったら、就職お祝いをさせて下さい。どこかで美味しい食事をしましょう。

貴方は一人で頑張って大変だったでしょうが、これからの日本の社会や世界の動きを考えたとき、貴方の大変な環境、貴方が一人で頑張らなければならなかった状況は、貴方が描いている、貴方が過ごしたい人生を手に入れるための贈り物だったかもしれませんね。明るくて働き者の今の貴方の土台を作ってくださったお母さんに「感謝!」ですね。

タッチは今年就職して頑張っております。彼はもう1年上田学園に残って勉強を続けたがったようですが、私はそれを全く認めず卒業させました。

彼は世の中から叩かれ育てて頂く方がいいと思える時期に丁度来ておりましたし、それに対応することが出来る力、負けずに伸びていけるだけの力を上田学園で身につけたと確信出来たからです。

今、彼は私が想像した以上に上田学園で学んだことをベースに、社会からもまれながら、毎日毎日素敵に成長しております。時間があったら是非彼に会って話してみてください。あんなにノホホンとして、貴方や他の添乗員の方々にご迷惑をおかけしていた彼の成長振りには驚かれると思います。そしてシーシー、チバナ、なるせにも是非会って下さい。思わず顔がほころんでしまうほど皆成長しています。きっと想像出来ないと思いますが、来年イギリスの農業大学に留学予定のシーシーに至っては、茶髪になっています。

本当に本当に嬉しいお知らせありがとうございました。貴方に学生達が大変お世話になり、何かお礼をしなければと思っていたのに、なんのお礼もしないうちに、すてきなクリスマスプレゼントを貴方から頂いてしまったような気持ちです。貴方に感謝とお祝いの言葉をお送りします『ありがとうございました!』そして『おめでとうございます!』と」

 

 

 

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