●学園長のひとり言  

平成16年4月6日*

(毎週火曜日)

今日もバタバタ!

春学期開講まであと一週間。先学期の反省などを織り交ぜて先生方のお仕事のスケジュールにあわせて只今一生懸命時間割の調整をしているところだが、まだ20%位の調整が終わっていない。

先学期までは2年終了しても本人の希望があれば、条件付きではあったが3年目も在学することを許可していた。しかし上田学園は2年制の学校。長い間不登校をしていたり、引きこもっていた学生もいる。2年間で確実に卒業し、次のステップに前進して、色々なことを楽しんだ方が絶対に“ベター”と考えていた。

しかしここ数年、学生達の成長を見守っていた先生方から3年在籍したほうが学生にとってメリットが大きいのではないかという意見が出た。また実際のところ2年で卒業した学生より3年で卒業した学生の方が、卒業後がスムーズに確実に前進しており、そんなことを色々検討した結果3年制にすることにした。そしてオフィシャルな3年生が1人生まれる。

学生達がどんな人生を送ってもいいと私は考えている。しかし、どんな人生を送ろうともたった1回しか生きることの出来ない人生。自分の人生を終えるとき「俺は一生懸命生きたぜ、満足だったぜ!」と言って人生を終えて欲しいと願っている。そのためにも他人がどう思おうと自分の心に正直で、自分に羞じることのない人間でいて欲しいと願うと同時に、生きる糧として上田学園を卒業するとき例えば、「僕はこうゆう理由でこんな仕事についてみたいが、それをするには自分にはこんなところが不足しているので、こんな勉強が出来るこの学校で、こんなことを勉強したい」と自分の言葉で説明出来て学校を選択したり、「僕はこんな理由で、こんな仕事をしていきたいが、僕は実地で学ぶタイプなので、こんな会社でこんな人たちから叩かれて仕事をしたいので、こんな会社に自分を売り込んでみる」と言って例えどんなに拙くても、一生懸命自分で自分を売り込みにいける人間になって欲しいと考えている。

そのためにも、上田学園がしなければいけないことは何か、した方がいいことは何かを常に考え、反省し、“正しい”と思えることや、“役人立つ”と思えることは、出来るだけ授業に取り入れてきたつもりだ。

上田学園はありがたいことに、小回りの効く小さな学校なだけに、生徒たちと一緒に授業を作り上げていける学校だ。しかし、単に生徒たちが希望する生徒たちがやりたい授業だけをする学校にするつもりはない。何故なら上田学園の学生達はまだまだ「成熟」した学生達ではないし、考え方もまだまだ幼いところがあり、世の中そうそう自分の都合のよい“楽しいことだけ”をしていればいいほど、彼らには生活力も知識や教養もついていないからだ。

好きなこと、やりたいことだけをやるには、やれる条件即ち、やれるだけの生活力や知識や教養を身につけ、将来「好きなことだけ」をやっていけるようにしたらいいと思う。それには、今やらなければいけないことがたくさんあるのだ。例え嫌いなことでも、好きなことをするために今やらなければいけないことがたくさんあるのだ。それを無視して、生徒の希望だけにお答えしていては、本当の意味で好きなことが出来ない人間を育ててしまうことになる。

アメリカのある医大にはこんな大学があるという。

最初に全く何も教えず、病名だけをグループごとに告げ、それを調べさせ発表させる。それも発表する相手は同じ医大の教授にではあるが、専門外の教授にだそうだ。そして専門外の教授の質問に答え、疑問に答え、彼が納得できるように、理解できるように発表しなければいけないのだそうだ。

医大に入るような学生達はエリート中のエリート。自分1人で何でも出来ると勘違いした、自信満々の学生達。初めは1人で図書館などで調べているが、待ったなしに追っかけてくる“締切日”。次から次に出される宿題。寝るひまもないほど、あらゆる時間が宿題にとられ、私生活などは“皆無”と言っていいほど大変になってくると初めて、1人で出来ることの限界を知り、他の人たちと「共同で調べよう」、「協力しよう」という気持ちが自然に出て来て、他人に協力を要請するようになるそうだ。それもお互いの長所短所を認め合い、得意分野に振り分けて合理的に調べ合い、協力しあうようになるのだそうだ。

その結果、その医大の学生達は自分に何が出来て、何が出来ないことなのかを明確に認識するため、勉強もスムーズに進むそうだ。その結果、その医大を卒業した卒業生たちは、どの病院に配属されても先輩のお医者さん達から信頼され、例え新任であっても彼らだけで診療を任されるそうだ。

それは彼らが自分に出来ないことは何かをしっかり認識し、それを“恥”とせず、謙虚に他の医師の手を借り、助言を受け入れ、最善を尽くし、医者として適切な行動をとり、「俺は医者だ!」と、自分の知らないこと、分からないことを無視し、自分のプライドをただ保つことばかりに気を取られたり、功名心だけの対応は絶対しないからだそうだ。

また知識だけの医者ではなく、患者の気持ちを理解し、思いやりのある、血の通った暖かい気持ちで患者と接し、患者の立場に立った医療を行う医師を育てなければいけないという学校の理念で、医大在学中にアルバイトとして1時間「いくら」で雇われた俳優達が、何とか時間を引き伸ばすことで、たくさんお金を稼ごうと、「胸が苦しくて頭が痛くて・・・」と迫真の演技で患者になりきり、何時間でも医者のたまごの学生達を悩ませたり、ごねたりして困らせる。そんな患者さんたちに納得いくように病名を説明したり、説得したり、なぐさめたりしながら、いかに「患者の気持」を理解し、患者さんたちにどう対応したらいいかを徹底的に学ばせられるそうだ。

この医大のことを知ったのは、丁度上田学園を開校するときだった。嬉しかった。「上田学園もこんな学校にしたい!」「これぞ私が理想とする教育!」と、思わずこの記事が出ていた本を抱きしめてしまった。

上田学園も生徒の後からついて行く学校にしたかった。学生達は先生達の生き様を見ながら、でも学生達が後ろを振り向くといつもそこに先生方がいて、何でも疑問を持ち意見をぶつけ、生徒と先生が一緒に考え、そこから学生達はたくさんのことに気づき、自然に学んでいけるそんな学校に。だから、「教育はしないで先生方の生き様を見せて下さい。感じさせてください。考えさせてください。」と先生方にお願いした。医大の教授達のように。

勿論、上田学園の学生たちと医大の学生達とは違う。基礎学力も抱えている問題も。しかし、学ぶ姿勢も、勉強する姿勢も、共に自分の「知らない」という事実を認めることで「知る権利」を得、そして「学んでいく」「勉強していく」というプロセスになっていくことや、「教育はしない」の意味も、始めに私が考えたようにはならなかったが、開校して数年たった今、上田学園の学生達の抱えている問題が少しずつ見えるようになるにしたがい、当初の計画通り上田学園の学生達に合った方法で、各学生のレベルに合わせ、学生のずっと前方を歩いたり、学生の前に立ったり、生徒の横に立ったり、生徒の後ろに立ったり、学生とチョッと距離をあけて、学生の“後ろ姿”をきっちりとらえながら、学生の後ろからついて行けるようになってきた。

とはいえ、既存の学校教育を何らかの理由で拒否し、もっと自由に自分の意見を言い、もっと自分のやりたいことが出来る“場”を求めて入学してきたはずの学生達だが、実際の学生達の意見は、時として何も出来ない“自分”を正当化する単なる「屁理屈」に終始する手段であったり、「自分のやりたいこと」とは、時として「わがまま」のことも多く、おまけに「他人を自分にあわさせよう」と躍起になり、くたびれ果てて、やる気をなくしていることも多く、その現実と向かい合い、その問題を払拭するためにその事実を学生達に気づかせることに、多くの時間が費やされてしまうことも事実だ。

他人を見、他人の意見を聞きながら何かを感じさせ、考えさせる教育をするには、貧しくなって機能をあまりしなくなった「国語力」を改善させながら、「感じる」「考える」ということの実践サンプルをやって見せることで、「感じる」「考える」という“回路”を学生達の中に育み、自分のことには必要以上に「感じ」、「反応」し、「考え」、そして自分の問題を見ないようにし、色々な形で逃げ出すことを選択する彼らにストップをかけ、一般の社会人として、“人の間”で生活する上で必要なバランスのとれた大人の予備軍としての「感じる」「考える」「意見を言う」ということが何かを学ばせることが上田学園の第一歩で、それには上田学園の2年という時間は“十分”とはいえないのが現状であった。

1年目。授業の内容や先生方の生き様から何かを感じ、考えさせようとすると、彼らは何かは感じてくれるが、それに答えられないと分かると、答えられない自分を認めず他人を嫌悪し、他人に問題をなすりつけ、周りが納得してくれそうな手っ取り早い方法の「眠れない」「起きられない」「頭が痛い」「お腹が痛い」等という理由で問題から逃げ出す。そんな症状が出てくると「来た!ラッキー」と、しっかり彼らの前に立ちはだかる。

彼らの壁になり、なんとかこの壁を乗り越えさせて、何が本当に問題なのか、何が不足しているとこんな問題が起こるのか、等などを自分から考え、理解しなければと思ってくれるように、学生にとって「嫌なおばさん!」を実践する。

自分の出来ないこと、悪いところなどが、少し分かるようになったころは、上田学園の2年目を迎えるころだ。そうすると、自分の不足していることを補おうと出来ない授業でも、やれないことでも、何とか取り組もうと努力するようになる。それを通して自分の抱えている問題が少し見え始める。そしてやっと気持ちも穏やかになり、問題が起きても「何が何でも他人が悪い」と被害者意識200%だったのが、「僕も悪いんです」とか「僕も去年まではそうでした」とか「僕がもう少し思いやればよかったかと思います」とか言い始め、出来ないことを素直に「そこが全然理解できません」とか「どうしてもわからないんです」とか言うようになり、抵抗を時々しながらも、先生方の注意や話や講義等の全てのことを一度素直に聞いて、チョッと咀嚼してみてもいいかもしれないという変化を見せ始め、変わり出す。

2年近く、全く違う分野で素敵に生きている先生方からシャワーのように浴びていた色々なエッセンスが、彼らの心の変化を後押しする。

こうなって初めて授業らしい授業が出来るようになる。意見も他人の顔色に左右されない素直ないい意見が堰を切ったようにあふれだす。それと同じくらいから少しずつ叱られ上手になり、実のある叱られ方をするようになる。彼らの「伸び盛り」の時期に入るのだ。

今までは、この「伸び盛り」の入り口で上田学園を終了していた。その為に「伸び盛りの軌道」に乗るまでに時間がかかっていた。しかしこれからは、この「伸び盛り」に責任が重くなる“実践”をたくさん入れた授業を通して、一般の社会から叱られ叩かれ、社会に出ても“実のある叩かれ上手”になれるように実体験を重ねながら、今考えられる最善を尽くしつつ将来何になるかを考え、調べ、次のステップに飛び立つ準備をするのが、上田学園の3年目だと考えている。


あと一週間で学校が始まる。8日にはチーチーが沖縄へ帰郷する。そして11日にはシーシーがイギリスへ。2人のことを考えると淋しい。考えないようにしている。

「教師」とはどんな大変なときがあっても、学生達が成長する楽しい時代に立ち会うことが出来、おまけに大きな声で学生達とギャハハと笑っていられて幸福な生業だが、1年に1回来る「卒業」や「終了」は教師にとっては、普段があまりにも楽しいだけに、殊のほか淋しさを感じる時なのだが・・・。

かと言って、巣立っていってくれないと、困る。例えどんなに淋しくてもだ。今は彼らの未来を信じ、2人を元気に“御出して”(追い出して)、春学期を迎えるつもりだ。彼らの幸福と、新しい学生達には上田学園が「いいご縁」になることを願いながら、今日もバタバタやっている。

私の隣りでは「今年からちゃんと勉強するので、最後のゲームを思い切りしています!」とか言いながら、「先生、逃げるは英語でエスケープでいいんでしたっけ?」などと暢気に質問してくる大ちゃんのお相手をしたり、学校から歩いて2分くらいの所にナルチェリンと共同生活をするヒロポンが、まるで夜逃げか行商の小母さんのような格好で大きな荷物を背負って「荷物持ってきました!」と報告するのを聞いたり、「今から自動車教習所に勉強に行ってきます!」とアタフタと出かけて行くナルチェリンや、「僕も家探しに行ってきます!」と、タッチ兄弟と3人で住む家を探しに出かけて行くオダカマンを送り出したり、飛び込みの営業の方が美味しそうにお茶を飲んだりしている静かなはずの上田学園の春休み。何時もの通り上田学園は今日も忙しそうで賑やかだ。

 

 

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