●学園長のひとり言 |
平成16年4月21日* (毎週火曜日) お世話になりました! 「先生、今までお世話になっていたところから、今度新しくお世話になる所で仕事が始まるのに1週間の余裕がありますので、皆で会いたいんですが、食事でもしませんか?」ある卒業生からこんな電話が入った。彼は会社を辞めて、新しい会社に行くという。 彼は高校2年になるときに学校を中退。そして通信高校に通いだして半年でやめ18歳のときに上田学園に入学してきた。 ファッションセンスが良く、歌が上手く、世話好きで、礼儀正しい彼は、上田学園の授業は二の次だったが、上田学園の“兄貴”として弟や妹になる学生達に慕われ、彼らに何か問題が出来たり、何か困ることが出来ると飛んできて一生懸命皆の世話をしながら、彼らと楽しそうに、でもでも忙しそうに毎日友達付き合いに勤しんでいた。そして、もう一年上田学園に在籍させてもいいと言ってくれたご両親の言葉は耳に入らないかのように、時間に追われるように2年間を終え卒業していった。 私達は色々な意味で彼を心配したが、心配しながらも内心「時間はかかるかもしれないけれど、何とかなるのじゃないかな」と思えるものがあった。それは彼には幼友達も含めたくさんの素晴らしい友人達がおり、律儀な彼は人に可愛がられる特技があった。その上、家族の中の顔ではなく、世間に見せる彼の顔をしっかり把握し、理解し、「男の社会で男としてどう過ごさなければいけないか」を彼に明確に理解させることの出来る父親がおり、その父親を心から尊敬し少しでも父親に近づこうとする彼を見るにつけ、心配しながらでも「頑張って!」と上田学園から送り出すことが出来た。 卒業して行った彼は、上田学園卒業生のリーダーとして皆をまとめ、学園に在籍していたころと同じように毎日友人達と忙がしそうに交流しながら、でも仕事はきちんとし、学校に行かなかった分彼なりの方法で社会人としてステップアップしようと努力していった。 そして今、彼には結婚を意識する“保母さん”をしているガールフレンドがおり、「お互いの人生の責任を、お互いで取ろうと話し合っています。いつか連れて行きますから会って下さい」と言う。 彼が卒業してからもう4年の月日が経ち、結婚を視野に入れ始めた彼はもう26歳になり、近い将来できたら友人達と会社を立ち上げたいと夢の実現のために走り出そうとしているが、そんな彼も私の知っている何時もの彼らしく「今迄の会社を辞めて、次の会社に行くのですが…」という言葉ではなく、「お世話になっていたところから新しくお世話になるところ…」という言い方で彼の現在を説明していた。 「お世話になっていた」という言葉で自分の状況を謙虚に話す電話の向こうの彼の話に耳を傾けながら「さすがアマノッチ!」と、上田学園の学生だったころの彼を思い出しながら、嬉しくなった。 上田学園の学生達も含め、現代の人たちは人にあまり興味を持たず、人のお世話が出来ること、させていただけることの幸福よりも、なるべく人の世話などしなくてもいいように振る舞う。もししなければならないなら、「お金を貰える」とか、何か自分にとって得になるなら「やる!」と割り切っている。 自分の存在自体がどんなに人様から助けて頂いて実現しているかということには、目を向けたがらない。気が付いていても気付かない振りをする人が多い中、卒業生の彼はそれをしっかり理解し、言葉の端々できちんと表現する。彼が人様から可愛がられたり慕われたりする理由は、それなのだろう。 4月8日、卒業生の一人が沖縄に帰郷して行った。 2年前沖縄から東京の上田学園に入学した頃は、まるで外国にでも来たような状態だったのだろう。生まれて初めての一人住まい。自炊生活。義務教育の経験がゼロに近い状態で、お花の栽培農家だという親の仕事場を学校の代わりにし、そこで行われる仕事を授業の代わりにし、そこで働くパートの小母さんたちに助けられながら、自然豊かな環境の中で小学校4年から学校に行かなくなったというお兄さんやお姉さんをクラスメートとし、子供の遊びの一つのようにのびのびと“お花の栽培”を実践する中で、色々なことを学んできた彼には、カリキュラムがあり、彼を一人の“大人”の人間として接し、そのために彼の発する言葉を一つ一つ大切に扱おうと正面から向かい合う先生達や、個性豊かでマイペースで、でも時々我侭でなかなか自分の思う通りに反応してくれない他の学生達に戸惑い、悩み、苦しみ、そんな自分を必要以上に大きく見せようと頑張った2年間が過ぎ、やっと“ゼロ”に近い素直な自分が甦り、本当の意味で“学び”を始められる状態になった彼が、表にあらわれ始めていた。 3年目が出来た上田学園には残らず当初の予定通り2年で卒業と決め、「上田学園は自分にとってとても居心地が悪いところ」と素直な感想を自分のホームページに書き、それに対し「それ、おかしいんじゃないか?」という意見が成チェリンから投げかけられ、それに対し他の在校生から成チェリンが攻撃されたとホームページに書き、その記事を読んだ成チェリンの親から「お友達とけんかしているの?」と心配の電話が入ったり、書かれた本人にはお母さんから「傷ついたのじゃない、大丈夫?」と彼のことを心配する電話が入ったという。 上田学園のどの子供でも経験する、まるで“お煎茶”の最後の一滴の一番美味しい“しずく”のように、学生達は節目節目で魔法でもかけられたような変化をとげ美味しい味を出し始め、そして最後の“一滴”にあたる“その時”に大きく変化をし、この1滴のためにこの上田学園が存在していることを裏付けでもするかのように最高の味を出して、次のステップに行くための成長を開始するという、他の学生が通って来た同じ“公式”で、最後の最後で見事に変化をとげつつあった彼の様子に、内心「来た来た!」という思いで黙って、でもしっかり見ていた私には、成長し顔つきに変化が見え、それと同時に背伸びをし肩肘を張っていた肩の力が抜け出し、顔つきが穏やかになるにつけ、「ほんの少し自分が見えてきたのでは?」という思いと、本当の意味で“学び”はこれからなのに、これだけ素晴らしい先生が揃っている上田学園で勉強する時間がないことへの残念さと、色々なチャンスを彼のために下さった親御さんに「学園長」として感謝をしたい気持とでいっぱいになっていた。 「ステーキハウスで食事がしたいです」と言う彼の言葉で、丁度そこに居合わせたヒロポン、大、小高マンと皆で「最後の晩餐」ならぬ、最後の“ランチ”に行った後、上田学園に戻り「羽田行き」のバスの出発時間の数時間を彼と二人で過ごした。 「自分でも驚いているんですが、自分が本当に素直になり、今までだったら気になって仕方がなかったことも気にならなくなり、本当に気持が楽になったんです。沖縄に帰って今後どうするか、2・3ヶ月ゆっくり考えてみます。でも将来のことを考えるとあせる気持ちがいっぱいです」と話してくれる彼の気持がよく理解出来、彼の為に何か“ためになること”を言ってあげたいと考えながらも、何時もの通りの「自分に30%の力しかないなら、それを素直に認めて30%をおもいっきり一生懸命やっていると、自然に30%の力ではものたりなくなり、40%の力を持ちたくなる。その時はどんな努力も「努力している」と思わないですんなり出来るようになるから、地味かもしれないけれど、格好悪いと思うかも知れないけれど、30%しかない自分なら30%をしっかり地味にコツコツやっていたらいいと思う。30%しか力のない人間が100%あるように演じると、24時間、365日、その70%をどうやってごまかして辻褄を合わせようかとそればかり考えてしまうし、それはまるで自分で自分の首をしめるているように苦しくなるし、おまけにその苦しさを一生懸命訴えるその姿こそ、まわりから見ると「みっともない!」と思うし、「格好悪い!」とも思ってしまう。嘘を言っても平気でいる人もいるけれど、あなたのように心の綺麗な人間になればなるほど、誤魔化したり嘘をついたりしていることに対する罪悪感で、自分を必要以上にいじめてしまうから、それはゼッタイやらないでね」と。 澄んで綺麗な大きな目から、ポロポロとこぼれる涙を細い綺麗な指で拭い、拭い切れなくなると大きな手の平で拭う彼を見ながら、よくここまで素直に自分を成長させてくれたという思いと、こんなに素敵な彼を預からせていただいたのに、私達が出来ることのあまりの少なさに、自分の未熟さを思い「自分をもっともっと磨いていかなければ子供達に申し訳ない」という気持ちでいっぱいになっていた。そして、それぞれが自分の用事を終え沖縄に返る時間が迫って来た彼を吉祥時の“羽田行き”のバス停で見送るために集まって来た学生達と、今にも泣きそうな顔で窓の外の私達に一生懸命手を振ってくれる彼に「チーチーもう大丈夫、ゼッタイ貴方は大丈夫!今の貴方なら安心して送り出せる」という思いで見送った。 それから3日後「本当に行くんでしょうか?何だか嘘のようで家族中で『本当に行くのかしら?』と話し合っていたんですよ」と話すご家族と、運転免許証を手に大阪から戻ってきた成チェリンと皆で、イギリスの大学でバイオテクノロジーの勉強がしたいと言うシーシーの見送りのために、早朝の成田空港にいた。 家族と友人たちに見守られ、テンションの上がりっぱなしの彼の顔は、今迄以上に穏やかに真ん丸い大きな目と「こんなに眉毛が下がっていたっけ?」と改めて思うほど、穏やかな優しい顔をしていた。 彼は3年前に上田学園に入学した。入学したての彼は「多動児を預かったのかしら?」と思うほど落ち着かず、教室中をウロウロし、そして先生や友達から何か言われるたびに、攻撃的な反撃を試み、そのたびに私や先生達から注意を受けていた「誰もそんなこと言っていないのよ」と。 あれから3年。色々なことがあった。尊敬し、尊敬し、憧れ、そして何時も「うちの父さんが」とお父さんを連呼する彼は、その尊敬する父親の期待に答えられない自分をもてあまし、それでまた自分をいじめ、その苦しみから逃れるように一番大好きな一つ違いのお姉さんに対し「どんなに俺が努力しても国立大に行っている姉貴には勉強でもなんでもかなわない。そんな姉貴だけを親は可愛がっていた」と自分の“今”を正当化する理由としてその不満をお姉さんにぶつけ、お姉さんを苦しませ、その様子にまた自分を苦しめる。そして家族の中で一番彼を理解し、仕事もし、お料理も上手だと尊敬する母親に対し、自分の我侭をぶつける。それもナイフのようなシャープな言葉で。そしてそれに傷つく様子に、また自分を嫌悪する。そんな彼は上田学園に入ると少しずつ素直にお姉さんと対応するようになり、大学の近くで一人暮らしをしていたお姉さんと吉祥寺で待ち合わせてデートするようになり、デートの次の日は必ず嬉しそうに「昨日姉貴とスパゲッテイー屋に行きました。二人とも貧乏なので安い店でしたけれど、結構美味しかったです。そこで分かったんですがお互いに誤解していました。僕は姉貴だけが親から可愛がられていると思い、姉貴は僕だけが親から可愛がられていたと。本当にばかみたいです」と。 そんなことが度重なるたびに、彼は少しずつ穏やかになり、少しずつ子供の頃はこんな顔をしていたのではないかしらという優しい表情を時々見せるようになると同時に、彼の頭のよさと、なんでもよく知っている知識にびっくりすることが毎日のように増えていった。 海外研修や海外旅行も含め、あらゆる出来事が少しずつ彼を本来の彼だろうと思える彼にもどしてくれていった。そして彼は彼の趣味の「お茶」の勉強がイギリスでしてみたいと言い出したのは、2年生の終わりの卒業間際の頃だった。 イギリスの大学で勉強するのには、お金がかかる。例え留学の許可が親から出たとしても、留学を成功させるために、もう少し上田学園で勉強しながら留学する準備をしたいと考えた彼は、ぐずぐずと悩んでいた。そしてどんなことがあっても絶対学校を休まないこと。きちんと親に留学も含めて話をすることを条件に3年目の在籍を認めた。 3年目の彼は、約束通り本当に頑張った。そして3年目で初めて一日欠席した日、その授業の先生が「シーシーはきっと宿題が出来なくて休んだと思うので、皆で心配してあげて。彼は一日休むと、それをきっかけにずるずる休み始めるから」と。そんな先生の心配を聞いたシーシーは「去年までの僕とは違います。もうずる休みしません。昨日は本当に宿題をした後、ちょっと寝てから行こうとしたら夜まで寝てしまったんです。すみません!」とペコットお辞儀をして、本当に一度もずる休みをすることはなかった。 「先生、本当に息子は英国の大学に行きたいのでしょうか。息子は本当に変わりました。だから今年大学に行かないようだったら、4年目も上田学園にお願いしたいのですが」というお電話をお母様から頂いたのは、卒業するほんの一ヶ月位前のときだった。 上田学園で彼が勉強することはもう全くないし、必要もないこと。本人は本当にイギリスの大学でバイオテクノロジーを勉強したがっていること。理数科系に強い彼なので、イギリスの担当者と話し合い、バイオテクノロジーに進学しようと、ほかの学部に進学しようと、理数科系ならどんな学問をしてもいいようにロンドン大学の理数科系のファンデーションコースに入学するため、4月から9月までは一応語学学校でIELTS(英国系の大学に入学するのに必要な英語のテスト)のテストの勉強をするように話し合ったことなどを説明。そして「約束が違うけれど・・・、ご両親に留学のことをちゃんと許可をもらったの?」という質問に、「許可はもらったけれど、余り上手に説明できなかったので・・・・」と頭をかいていたシーシー。 あれから4ヶ月、「勉強のことは何も心配していないけれど、優しい言葉遣いと、人のために率先して何でも喜んでやらせてもらってね。そうすればいいお友達に絶対出会うから」と話す私の言葉にうなずき、見送りに来た学園の友達達と「イギリスでまた会おう!」「俺達が行くまで絶対帰ってくるな!」等と嬉しそうに冗談を言い合いながらニコニコと握手をし、思いのほか長い列になっていた入国ゲートに向かった。 「私の弟は本当は素晴らしい人間なんです。頭も悪くないし。大学を受験したら問題なく合格はすると思います。でも絶対また学校に行かなくなると思います。今の弟には上田学園のようなところが必要なのです」とハンカチで何度も涙を拭きながら高校1年で不登校になった弟を心配し、心を痛め、何とかしてあげたいとの思いで探し当てた上田学園だと説明する清楚で小柄な、今では学生達の“憧れのお姉さん”の彼女がいなかったら、今のシーシーはいなかっただろう。 「こんなに並んでいるから、もう入国した方がいいかもしれないわね」という私の言葉に頷きながら、私の隣りに立っていたまるで妹ように見えるお姉さんの手をとって、じっと目を見詰めながら「ありがとう、ありがとう!」と連呼したシーシー。「ありがとう」の言葉に込められた彼の気持ちが理解できるようで思わず涙がこぼれてきた。 「元気でね」と、彼にすがるように手を差し出したお母さんの手を握り頷く彼に、それ以上言葉がかけられないように「お父さん、もう入っちゃうから」と、遠くの方から私達を見ていたお父様を呼ぶお母様の声に促されるように近づいてきたお父様の「頑張って、楽しんで!」という言葉に答えるように、お父様の手をしっかり両手で握り、言葉も無く何度も何度も丁寧にお辞儀をする彼に「ああ、本当にシーシーは上田学園を卒業してくれた」という思いと、「御家族の皆さま、本当にご苦労様でした!」という思いで、言葉を発することが出来なかった。 あれから10日。卒業して行った2人は元気でやっているようだ。そして上田学園には2人の新しい学生が入学し、また見学を希望する学生達を待ちながら春学期の授業が始まった。 「新しい学生、新しい先生達。新しい誓い。新しい目標。3年目の学生、2年目の学生そして新しい学期を向かえて、先学期とは違う今年の在校生に合わせた何かを教えたいと考えて、準備をしてくださっている先生方。この春学期、どんなことが起こり、どんなことを学び、そしてどんな言葉で今学期が締めくくれるのか、今から楽しみにしております。またこの春学期も宜しくお願い致します。」 今学期から“自分の怠け癖を直すこと”を目標に掲げた大ちゃんが、上田学園に入学して初めてノートを取っている、中国語の時間に。大ちゃん2年目の春。 |