●学園長のひとり言  

平成16年5月18日*

(毎週火曜日)

まだ and もう

フット考えるときがある「まだ時間がある」「まだ若い」と、「もう時間がない」「もう若くない」の境界線を。

先週の金曜日、珍しいお客様が上田学園を訪ねてくれた。彼とは私が高校生のころ、茶道の先生であり第二の“お母さん”である木村先生の淡月庵で、私の後輩弟子として出会った。

出会った当初、10歳くらい年長だった彼は警視庁の科学捜査技術研究所とかいうところで、犯人の遺留品から犯人を特定するための分析をしていた。そんな彼も7年前に警視庁を退職、その後嘱託として5年間仕事を続け、2年前に嘱託も辞め今は茶道の家元の所で時々御茶を楽しみ、2年前から中学時代から「習ってみたい」とあこがれていたピアノを月2回、先生についてレッスンを始め、ピアノを習い始めてから3回目のピアノの発表会に向け、猛特訓をしていると言う。

お茶のお稽古を続けているときは、同じ時間帯にお稽古に行っていたので毎週のように顔をあわせていたが、ここ数十年は先生や他のお弟子さん達を通して彼の話を聞くだけだったが、養老院に入られた先生を訪ねて下さったときには先生の近況を報告してくださるメールがコンスタントに入るようになり、メールでの交流が復活していた。そしてそのメールのやり取りの中で、私が「上田学園」をやっていることを知り、今回訪ねてくれたのだ。

彼は現在、趣味を中心の悠々自適の生活を楽しむ傍ら、“引きこもり”や“不登校”の子供達の“親の会”の事務局のボランティアでしているという。会員500名。月1回色々な会場で話し合いがもたれるそうだが、大きい会場は毎月200名の親御さんが集うそうだ。そしてそのメンバーのお子さん達の年齢は驚いたことに30代が圧倒的に多く、次に40代だそうだ。

彼の話を聞きながら、改めて考え込んでしまった「もう」と「まだ」の境界線と、時間の経つことの早さを。

上田学園は平成9年の10月に開校。「学校に行っているか行っていないかは問題ではない。人より遅れてスターとしたら自分の人生が終わるときに帳尻を合わせて人生を終えたらいい。人より5年スタートが遅れていたら、人より5年長生きして人生を終えたらいい」と言っていた。その考えは今でも変わらない。人にはその人の進むテンポがあり、そのテンポは、時として他人とは一緒にならないことがあると考えているからだ。

学校に行きたくなければ、行かなくてもいい。学校は自分のために行くところだから。でも外に出た方がいい。社会とかかわった方がいい。それは、誰の人生の中でも、“今という時間”は今しかないし、明日には“今”は絶対存在しないからだ。

15歳の時にできる感動と、30歳の時にできる感動とでは、同じ物に感動しても、同じ種類の感動ではないし、何かに感動したければ、社会と関わらなければ“感動”は絶対味わえない。感動するために体験したことが、経験という名前に成長し、自分の人生の大きな力になると思えるだけに、そのためにも社会、即ち他人の中に入ることで、社会と接点を持つべきだと考えている。まして、感動は人間として生まれてきた私達が味わえる人間だけの“特権”であり、生きているということへのプレゼントであり、応援歌だと思うからだ。

学校という場だけではなく、アルバイトでも仕事でもなんでもいい。社会即ち他人と接点を持ち、接点を持って始めて起こる悩み、考え、判断し、そして前進していく。その経験が大きな“知恵の元”になり、人生を豊かにしてくれ、そのおまけで、人生の後半が組み立てられていると考えるからだ。

茨城から色の白い丸坊主の、品のいい可愛い男の子が訪ねて来たことがある。彼は高校1年の前半位から学校に行っていないという。成績は決して悪くはなかったとも言っていた。本が好きなので一日中本を読み、ゲームをし、時々本を買いに東京に来るとも言っていた。何で上田学園を知ったのか話してくれたと思うが、それが何だったか思い出せない。

ちょっと年の離れた姉が一人いる二人姉弟だとも言っていた。「時間があるならゆっくりしていってね」と言う私の言葉に頷いて、1日中静かに学生たちの勉強する様子を見て「上田学園で勉強したいな」と言って帰って行った。それから2度くらい遊びに来たと思う。その後お母さんが「上田学園に入学すると、高校卒業資格か大検の資格がとれますか?」と訪ねてみえた。

当時は今のように学生同士で大検の勉強を教え合うようなこともさせておらず、また簡単に大検の資格が取れるとも考えていないうえ、不登校する学生達は小さいときから試験のための勉強だけやらされ、勉強アレルギーと勉強が誰のためなにするものなのかが理解できていないから、色々な問題が起こるのだと思い込んでいた時期だったので「資格のための勉強をする学校ではなく、どんな学校に行こうかとか、どんな仕事につきたいとか、そんなことも含め、物の考え方、とらえ方、分析の仕方などを色々な授業を通して学ぶと同時に、生き方のサンプルになるような先生方を通して、自分の将来について考える学校なのです」とご説明すると、「本人がこの学校に来たがっているので、入学させてやりたいが父親は高校卒業資格の取れる普通の学校か、または大学に行かれる資格のとれる学校以外は『許可しない!』と言い張るので…」と、私の答えにがっかりして帰って行った。

それから1・2年後「何もしていません。本を読んだりゲームをしたり、時々予備校を探しに東京に出て来たりするだけです」と言って遊びに来たが、その後は、全く訪ねて来ることはなかった。

彼のことを時々思い出していた。学生達にも話していた「あの当時の上田学園の学生達が、就職したり、リクルートスーツに身を包んで就職活動をしていたり、海外の大学に進学したり、結婚を考えたりと、彼が出会った状況とは違うところで頑張っているけれど、彼は大学でも行ったのかしら?何をしているのかしら?」と。

その彼と思いがけず新宿のデパートでバッタリと出会った。
24歳になった彼の顔には、静かだがいかにも頭のよさそうな顔をしていた数年前の彼はどこかに消えてしまい、世の中に無関心で、何にも心を動かされることのない“若者真っ最中”には無縁の、退廃的で疲れたような表情の彼がそこにいた。そしてそんな彼に「元気?今は何をやっているの?」と挨拶代わりに無意識に声をかけた私に、「何もやっていません。相変わらず家で本読んだり、ゲームしたり…」と、静かに答える彼の答えを聞きながら、私が彼にかけた私の言葉に、私が嫌悪してしまった。

目の前に立っていた彼は、外には出歩いてはいるが、社会との接点は何も持たず、感激することも感動することも無縁の、自分の殻に完全な引きこもってしまっていることを無言のうちにも、語っていた。

時間が経つのは早い。「まだまだ時間があるんだから、ゆっくり考えたらいいんじゃない」と言ってあげることもある。またそう声をかけた方がいいと、カウンセラーという人たちのほとんどが言い、ほとんどの親もそう信じている。でも本当にそれでいいのだろうかと、迷ってしまう。

むやみにお尻をたたくつもりはない。でも、今という時間を大切に今を謳歌して欲しいと思うのは事実だ。まして30代、40代になっても引きこもっていなければならなかったり、「不登校です」などという言葉を引きずって欲しくないと思う。

年齢が上がればあがるほど、社会に適応するのは難しくなる。適応しなくても社会とちゃんと付き合っていける人間になるのは難しくなる。社会はまったなしで、その年齢に見合ったことを要求してくるからだ。そして残念なことに、どんなに素敵な素質をもっていても、社会に無関係に一人では生きていかれない。まして自分の中の、自分の作った社会や世界の中だけでは、生きていかれない。

上田学園の学生達には、「まだ」と「もう」を正しく上手に使い分けながら、社会とたくさん接点をもち、悩み、苦しみ、学びながら、その御褒美として、また一生懸命生きている者の“特権”として、山のような感動をたくさん味わって欲しいと願っている。

そのために私は今、改めて何をしなければいけないか、何をしたほうがいいのか、頭が痛いこと、考えなければいけないこと、反省しなければいけないこと、色々なことで心がつぶされそうになりながらでも、皆でワハハと大声で笑える材料と、たくさんの感動を山のように与えてくれる学生達に助けられながら、ない知恵をこれでもかこれでもかと絞り、今考えられる精一杯なことを、一生懸命考えている。本当に上田学園がしなければならないことは「何なのか?」を。

 

 

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