●学園長のひとり言  

平成16年5月26日*

(毎週火曜日)

楽しめる力

「もう絶対逃げちゃ駄目!自分で決めたのだから一日も早く仕事を決めて働くこと。一日も早く学校を見つけて通うこと。応援している!」私の差し出した手を、伏目がちに突っ立っていた彼は、小さな声で「ハイ、ハイ」と頷きながら握り返してきた。

5月の明るく柔らかい日差しの中を背を丸めて去って行く彼。「君は一人じゃない。ここにも君のことを心配している人間がいることを忘れないでね」と、さっき言った言葉をもう一度言って抱きしめてあげたいと思うほど、淋しさを全身で表している彼の後ろ姿に、「頑張れ!」という言葉を飲み込んで無言で見送った。

ここ2・3週間、私は本当に悩んだ。上田学園始まって以来の、入学早々退学する者が出たからだ。

私は転校も退学も仕方がないと考えている。本当にそれが学生にとって“ベスト”と判断できる根拠があれば、率先して次のところへ紹介したいとも思うし、紹介しないまでも、応援したいとも思っている。

しかし、上田学園の勉強が難しそうだと思って、メンドクサイと思って、上田学園を退学する口実として「他にやりたいことがある」という理由で退学を希望することは、退学理由のスケープゴードになる“次の所”にも失礼だし、やれば出来る可能性のたくさんある“自分”に対して「一番失礼なことをやっている」と思うので、全く同意するつもりは、ない。まして、色々な理由があって上田学園に入学してきたのだ。是非、何かを上田学園で手に入れてからステップアップする場所として、次の場所を選択して欲しいと願っている。

上田学園は学生達の“踏み台”になるべく設立された学校であり、そういう場所にしたくて、上田学園を設立したのだ。

ほんの少し手を出し、最後までやり遂げずに結論を出しても、それは正当な結論ではないと思えるし、そんな状況の中で出された結論は何の意味も持たないと思う。おまけに最後までやり遂げず“途中下車”ばかりを繰り返していては、時間だけが虚しく過ぎていき、面倒なことや、ちょっと大変だと思えることから逃げる癖だけが残ってしまうので、今を逃げないで欲しいと考えている。

「僕は不登でも引きこもりでもない」とか「授業が難しくてついていかれない」とか、色々な理由を並べて来ないことを選択するのは、本人の自由だ。しかし上田学園で学ぼうとする彼らは、趣味で勉強をする年齢では、ない。社会に出る準備として学ぶか、社会に出て、一社会人として一人で社会の中で生きていくために学ぶのであり、その「学び」を支える必要条件として「勉強」があるのだ。

学ぶということは、知らないことを知ることであり、出来ないから勉強する必要があるということに、大人でも気づいている人が本当に少ない。まして、好きなことを見つけるには、好きかどうか分かるまで続けてみないと“好きなこと”がみつけられないことも、本当に理解されていない。

自分の中で好きなことだけが出来れば、こんないい人生はない。でもその好きなことをするために、苦手なことや嫌なこともやっていかなければ、好きなことをすることは出来ない。それが皆が嫌う「勉強」なのだろう。そのことを理解しなければ、何歳になっても、社会人にはなれない。社会人として一人で食べていくための仕事を手に入れるのは、難しいことだろう。

社会人として生きることは、人と比較されることを意味している。確かに「人と比較する人生はさせません!」などという親も、またそういう学校もある。しかし、私にはそう言えない。何故なら、他人と比較されない人生はこの世の中には皆無だからだ。社会に出れば、比較されっぱなしだからだ。

比較される年齢。即ち社会人として比較される人生をどうやって生き抜くのか。どうやって自分をしっかり保つのか。そのためにどんな努力をしたらいいのか。自分の思ったとおりの評価がこないことなど、色々な挫折を体験させ、その挫折をどう乗り切るかを上田学園で体験させているのだ。

生きがいを見つけたいとか、楽しいことを見つけたいと言いながら、何の努力も、なんのリサーチも何の行動も起こさないで、どうしてそう簡単に結論を出せるのか。31歳の彼には上田学園で色々な“生き様”をしている先生方や、彼をそのまま受け入れていた学生達の中で、色々なことを学びながらもっともっと悩んで欲しいと考えていた。自分の人生設計をもう一度しっかり設計しなおして欲しいとも願っていた。安易な結論は出して欲しくないとも思っていた。でも彼の出した結論は上田学園の第一日目から探していた“彼のやめる理由”を探し出し、「母親も祖母も『嫌だったら辞めていい』と入学を決めたときに言っていましたので」と言い、どこか工場で仕事みつけ、お金を貯めて介護の学校に行くと言って辞めて行った。

「学ぶ」とか「勉強」とかいうと、「やらされている!」という思いと、自分に必要ではないことは「やりたくない!」と子供達は当然の権利のように拒絶するが、生きていくということは、単に年齢や環境などで学ぶ内容や勉強する目的が変わるだけで、生きて行くこと全ては「学び」と「勉強」の積み重であり、「学び」と「勉強」は生きている限り続いていくことを、子供達を取り巻く大人達が声を大にしてしっかり教えていかなければいけないと思う。

小高マンが5月19日の彼のホームページで言っていた。「何かを楽しむためには、それを楽しむのに十分な能力が必要なのだと思う」と。また「何かを楽しむには、それに見合った力が必要だ」とも。

本当に彼の言う通りだ。人間として生まれ、人間として生きるうえで大きな意味をもつ、「何かを楽しむ」という能力は、本当に楽しめるだけの力が必要なのだ。それも、それを楽しいと思える力、それを楽しく感じる力、それを楽しいと考えられる力が必要なのだ。

人の話を聞くのも、人の話が理解出来なければ楽しめない。自分の考えを述べるのも、自分に意見があり、それについて考えているからこそ、自分の考えを披露したとき、反論も含め、自分の考えに対する反応が楽しめるのだ。

自分のやりたいことを見つける力も、ものを見極めていく力と見極めるまで継続できる力がないとみつけられない。見つけることも楽しめない。生きることを楽しむ力も、生きているからこそ起こるあらゆる問題に対応できる、解決できる、または解決できないまでも、自分を納得させられる材料を見つけられる力がないと、楽しめない。働くことを楽しむために、働くことの意義や、理由や、価値が見いだせる力がないと、楽しめない。人と交わることを楽しむには、色々な人に訴えたい自分の考えや、聞いてみたいと思える他人に対する興味がなければ、楽しめない。

「楽しむ」「楽しめる」ということは、簡単なことでは、決してないのだ。
「楽しみ」は、誰にも与えられないことなのだと。自分でしか楽しみは感じられないのだ。楽しむ心は個人のことであり、感じる心も個人のことであり、人が強制できない領域なのだ。その個人の領域を支配できるのは、個人の力を大いに発揮するために最低必要な中学までの“基礎学力”と、それに裏打ちされた“応用力”ではないだろうか。それがあるから、楽しんだり、楽しめたりする力が蓄積されのだろう。

基礎学力。それはきっと楽しむために必要な最低の能力を育てる“陰の力”なのだろう。上田学園では今流行の“資格”だけを追いかけるのではなく、学歴だけを追いかけるのではなく、どんな環境の社会に出ても、自分でしっかり自分の人生を楽しめる人間になれるよう、サポートしていきたいと考えている。

上田学園の学生達は、私にとって自分の子供のようなものだ。でも学生達にとって私は他人の1人でしかない。いくら私が心から学生達のことを可愛いと思い、心配してもだ。そして、そんな他人の私でもこんなに心が痛くなってしまうのだ。実の親御さん達はどんなにお子さん達のことで、心を痛めているのかと思うと「子供達はなんて親不孝なのだろう」と思う反面、彼らがいてくれることで、こんなに一つのことに悩み考えさせてくれる彼らの存在の大きさに、驚かされてしまう。

今回のことで、私は本当に色々教えられた。そして考えさせられた。そして改めてまたまた気づかされた、“学校であって学校じゃない不思議な場所”の学生達の1人1人の素晴らしさを。

上田学園の先生方には、事あるごとに心から頭を下げたくなるほどだが、その先生方の人間性に触発され、先生方の考えに共鳴しているかのように学生達が無意識に作り上げている“上田学園の空間”。この空間で、彼らはどんな人たちをも、そのままで受け入れる。どれだけの人たちがそんな彼らに癒され、慰められ、社会に出ていける力を蓄えていることか。

退学していった彼も、もう2・3ヶ月上田学園の学生達の作るこの空間に身をおいてくれていたら、彼の心の中に冷たく横たわっている淋しさが全部溶けて、心が温泉に浸っているような心地になれたのにと残念でしかたがない。

彼は退学していったが、彼の居場所がなくなったわけではない。上田学園はいつでも、彼の居場所なのだ。例え上田学園の学生でなくなっても。そして、私は彼が応援団を必要としなくなるまで、しっかり応援団をしていこうと考えている。学生達が無意識に応援してくれている。そんな素敵な“私の応援団”に囲まれながら。

 

 

 

バックナンバーはこちらからどうぞ