●学園長のひとり言 |
平成16年6月6日* (毎週火曜日) 喜べる人間になろう! 「ボランティアは何をなさっているんですか」と、日本中のフリースクールから100校選んでインタビューをして歩いているという方が、当然上田学園でも取り入れているだろうと、質問されたことがある。 何でもやらせたい、体験させたいと考えている上田学園だが、ボランティア活動を授業の一つとしては取り入れていない。 フリースクールの学生は社会から傷めつけられている弱者。弱者だから困っている方々の気持ちが「理解出来るだろう」。ボランティア活動をするのが「当たり前」と考えられていることに同意できないし、上田学園はフリースクールではあるが、決して“弱者の集団”ではない。むしろ反対かもしれないと思うほど、可能性のたくさんある学生達だと思っている。 実際問題としてボランティア活動を取り入れない一番の理由は、ボランティア活動という特別枠で、人のために何かをするという考えではなく、人間として生き、人間として生かされているということは、どれだけ色々な方々のお世話になっているかということであり、そのことを考えただけでも“当然のこと”“当たり前のこと”として、自分に出来ることで他の人のために何かをさせていただくのは、普通のことだと考えている。 ただ、その普通のことを当たり前にするということは、あまりにも当たり前すぎて、やらないでも何とも思われないし、自分でも気付かずにやらないでも済んでしまうのだ。 ボランティアは、開始したら最後までしなければこんなに不親切な行為はない。そんな不親切な、中途半端なボランティアならしないほうがいい。やるからには最後まで。それには単純作業を継続できる力が必要になる。それに、出来ることからさせていただくという気持ちがあれば、ボランティアという言葉で代表されるような“養老院の慰問”だとか、“介護のお手伝い”とか、空き缶やペットボトル収拾で“寄付”とかいうような、人が聞いて「偉いわね」「立派だわ」等と賞賛されることはないが、毎日の生活の中でボランティアが出来、継続できる。 自分に出来る小さなことからやる。それを実践して欲しい。小さなことを繰り返し実践することを大切にしないで、ボランティアとう行為を教科の一つとして取り入れても、その時間が終われば見向きもしなくなる。ボランティアは単なる一過性のものになってしまう。 ボランティアの大元は、人への思いやりだろう。それをきちんと理解出来ていれば、考える前に体が動いているようになる。上田学園の学生達にはそうなって欲しいと願っている。 上田学園は小さな学校だ。その小さな学校を構成する学生はたったの8名。その8名の学生達が話し合ったことがある、男女は同権かどうかを。そして彼らは声高に言った「勿論男女同権です!」と。その話し合いの後、皆で決めた。男女同権であるならば、掃除も洗濯も男だってするべきだから、今のうちからするようにしようと。そして納得の上で上田学園の掃除分担が決められたはずだ。その納得の上に、土曜日には普段出来ない掃除をしようと決めた。その決めたことを、後から入学した学生も継続してやっているのだが。 しかし、最近気が付いた。掃除をすることは現在の学生達にとって「メンドクサイ!」けれど、お当番だから仕方なくやっているだけということを。 その気持ちは理解出来る。でもなのだ。“当番”、だが“お当番”であり、たかが“掃除”、されど“お掃除”。 掃除をし、綺麗になった皆の場所で、気持ちよく宿題をしたり、話し合ったり、楽しい時間を過ごすことの出来る居心地のいい空間になっていることを喜べない。感謝もしていない。気持ちよく楽しい空間を共有するための“演出”の一つに掃除が入っていることにも気付いていない。 掃除をやらされている。草取りをやらされている。そんな気持ちが、一生懸命掃除している仲間のために座っていたイスを掃除がし易いように除けてあげたり、掃除が終わるのを待っている間に皆が使ったコップをチョッと洗って掃除の時間が早く終わるように、掃除を早く終わらせて自分のやりたい続きが出来るように協力しようという考えには、全く及ばないようようだ。 汗をかきかき掃除する仲間の横で掃除の邪魔になっているのにも気付かずコンピュータをし、「掃除終わった?」と外のベンチに寝っころがりながら大声で叫ぶ。その様子を見ていると、親がどんなに苦労して働いているかなど気の付き様もないと想像してしまうような光景だ。親が疲れて帰ってきて、一所懸命お料理を作っていても自分はテレビかゲームをしながら、「ご飯、まだかよ?」等と、文句だけ言っているような。 「男女同権」というのは簡単。「俺だって出るところに出ればちゃんと出来るんです」と言うことも簡単。でも普段からそれが出来ていないと、出るところに出てもなかなかやれない。人に対する思いやり、感謝。そんな当たり前の感情を当たり前に表現し、実践するのは意外とエネルギーがいる。そのエネルギーは毎日の繰り返しで、体が覚えるまでは消耗が激しく結構大変なことだ。でも体が覚えてくれると、頭で考えなくても自然に体がうごくようになる。自然に心を砕くようになる。 上田学園ではボランティア活動を教科の一つとして取り入れていない。ボランティアという教科をとりいれなくても、時間はかかるかもしれないが、上田学園の学生達一人一人の存在が、彼らに出会った人たちの心を癒してくれる素晴らしい人間に成長出来ると信じられるからだ。事実誰にも負けない魅力的な何かを持っていると思えるからだ。そのために、今しなければいけないこと。今身に付けなければいけないことを「強制」と思われてもやって欲しいと願っているし、やらせていくつもりだ。それをしなければ、いくら頭がよくても、いくら知識が増えても彼らのよさが外に出てこないし、それが外に出てこなければ、彼らの素晴らしさが埋もれてしまい、彼ら自身にとっても大きな損失だし、ひいては社会の損失になると考えるからだ。 上田学園の学生達には気付いて欲しい、自分達がしなければいけないことを。私たちは色々な人たちによって生かされていることを。私達はまだまだ発展途上人。誰にも、何もお礼が出来ないけれど、せめて私達を暖かく見守って下さる大家さん、ご近所の方々、そして命より大切に君達のことを考えて下さっている親や兄姉達に、ほんの少しでもいい、今出来ることで感謝の気持ちを表さなければいけないと思う。そして上田学園という場を共有している上田学園の仲間達にも自分達の出来ることで、自分達が仲間でいることを喜んでもらえるようにすること。貴方達の素晴らしさと、貴方達そのものにチョッとプラスアルファ-の思いやりで。 久しぶりに顔を出した大ちゃんがどう説明していいか分からないが何だか前よ大人っぽくなって現れた。その場にいた成チェリンやヒロポン、小高マンに「俺がカレー作るから」などと声をかける彼は以前と変わらないのだが・・・。この年齢の成長のすごさに改めて驚かされている。そろそろ現場復帰かな?いよいよ大ちゃん人生の第一歩の本番が始まるのかな?楽しみにしている。 成チェリンも大手企業の研究所にいるスエーデン人の客員研究員に日本語を教え始めた。毎週月曜日の研修日、彼は背広を着て颯爽と仕事に出かけていく。 「お世辞を言うつもりはありません。本当に上手で、堂々と教えている彼の姿に脱帽しました。学校で見ている彼とは全く違います。安心して見ていられますし、教え方の参考になるので、授業が終わった後も彼の授業を見せてもらって勉強させてもらいました」。こんな電話が他の日本語の先生から入るまで、研究所に送り出した一日目は、仕事も手につかずウロウロしてしまった。 若者らしい清潔さと、毎回日本語教師として少しずつ自信をつけていく彼に思わず頬が緩み、彼の背広姿や日本語教師としての仕事振りを、誰にでもご披露したくなるほどだ。 基礎学力があり、性格的にもバランスのいい藤チャは、授業も、宿題も、イベントも何でも率先して取り組むようになりメキメキ力をつけてきている。1年目とは比べものにならないほど上田学園の生活を楽しんでくれるようになった。そしてパット先生が「私の生徒達、どうしたの?」と嬉しい悲鳴をあげるほど、藤チャ、成チェリン、小高マンの3人で構成するパット先生の英語クラス。彼らの英語の伸び様に目を見張るものがあり、パット先生はレベルをグングンあげようとしている。 成チェリンと共同生活は開始したヒロポン。相変わらず真面目に授業に取り組み、「三鷹事件」を検証している野原先生の授業のために図書館に本を借りに行ったりと、のんびりやっているように見えるヒロポンのテンポで、でも実際は目の回るように忙しくしている。それでも時間を見つけては相変わらずアニメを一生懸命見、上田学園“ご別宅”と呼ばれるほど学園から歩いて2・3分のところにある彼らの家に毎日にように訪れる(押しかける?)学生達とのお食事会(?)等など、色々な初体験をいっぱいし、時々目が回っている。「まるで初めてのお使いみたいね」と私に笑われるながら。 在学2年目の小高マン。しっかり学生達のハートをつかみ、のびのびと勉強をしている。発言も今までにないほどオリジナリティーがあり、その上、石原慎太郎ではないが「ノーと言える小高マン」が誕生。海外生活をしたければしても「大丈夫!」と保証書を出したくなるほど中身も外見も変身中。 新入生のタッツーは、同期生の佐々岡アニーが一週間も通わずに退学してしまい、相当心細そうにしていたが、彼にとって一番苦手かと心配した英語の授業。発音が驚くほど上手い。英語力も見ていてわかるほど上がってきている。おまけに、外国人に日本語を教える授業では、本当にビックリするほど教え方が上手だ。 メリハリの利いた教え方と、良く通るいい声ではっきりと教える。おまけに、ゲームタイプのオリジナル教材を作って、生徒を楽しませる。「株」の授業に至っては、何だか授業を遠くの方から眺めるような状態に見え心配したが、意外と一番楽しんでいるのではと思えるほど、株売買のシュミレーションゲームを個人的にやっているようで、現実的な質問を先生方にぶつけている。頭のいい彼のこと、将来「株で大儲け?」と思いたくなるほどだ。 入学して約2ヶ月。不器用で的確に自分を表現すること、人と共同で何かをすることが苦手な彼だが、よく頑張っている。そんな彼を皆がだんだん理解し始めている。 一日は24時間。一週間は168時間。世界中の誰にも同じ時間が過ぎて行く。誰にでも大切なその同じ時間が、上田学園の学生達の人生に大きな意味をなすだろうと思われる重要な時間になっている。 外から見たらどの学生も同じように見えるだろう。他の誰とも異なるところはないと思われるだろう。でも一秒一秒確実に成長をしているのが、上田学園の学生達だ。 彼らの頭のよさに敬服させられるときがあり、根本的な人間の質の高さに驚かされるときがある。それだけに、彼らには後天的に育てなければいけない人に対する思いやり、心遣い、感謝の気持ち。そして人のために何かをやらせて貰えることを喜べ、それを当たり前に出来る人間になって欲しいと心から願っている。それも、何気ない毎日の小さなことから。 今学期から教えていただくことになった先生方の授業も全部開始された。 ショーゴ先生の授業では、各自がオリジナルティーシャツのデザインを始めた。そこに上田学園のロゴをつけて、制服として着るようだ。デザインがよければ売ることも考えているようだ。そのうち上田学園の外壁や、ブラインドなども生徒のデザインになる可能性も出てきた。ショーゴ先生の在米10年間で発表された作品を見た大家さんが「わあ、素敵。私大好きです!」と感激してくださり、許可を下さったからだ。 株の授業も、実際に株を買わせてみようかという話が出ている。それも自分達で働いたお金で。そのために、色々法律的なことも授業の中で学んでいる。 今学期も色々な授業の中で、座学以外の色々な計画が立てられている。どの先生もどの先生もそのために心を砕き、考え、準備してくださっている。そんな先生に囲まれながら、今以上に優しい心遣いの出来る素敵な学生達が上田学園から育って行くだろうと、楽しみにしている。 先週23歳になる新しい学生が入学した。彼は大学入学早々中退。3年位宅配便の会社で働いていたという。彼もどんな学生に育って行くのか楽しみだ。 |