●学園長のひとり言  

平成16年7月22日*

(毎週火曜日)

急がば回れ!

「先生、焦るんです。一日も早く上田学園を卒業したいんです!」と藤ちゃが叫んだ。彼は将来ネットゲームで何かしたいと考えているようだ。また私もそれがいいと本気で思っている。

ネットゲームに熱中するばかりに、やるべきことをやらず、人生を駄目にしていく人が多いと聞く中で、生活に困窮してもネットゲームを広げようと悪戦苦闘している素敵な先輩達に出会ったという。その先輩達と一緒にいると、焦るのだという。上田学園なんかでじっとしていられないと思うのだろう。時間が足りないと思うのだろう。

ネットゲームは時間に関係なくやれるので、夜中中やっていることも多いようだ。その為か彼が学校を休む日は他の学生にも予測できる日なのだ。きっとその日にいいネット対戦があったり、前日の観戦のため睡眠不足で具合が悪くなるのだろう。

気持ちが焦って、一日でも早く卒業したいという彼に私は言った。「本当にやりたいなら、応援するよ!」と。

彼らの人生は彼らのものだ。彼らが彼らの時間をかけて、自分の選択したことの責任を負っていかなければならない。誰もその責任を肩代わりすることは出来ない。彼の人生の選択にたいする責任は彼にしかとれないと思うからだ。それだけに本当にやりたいことがあれば、私は100%の応援をしようと考えて実践しているつもりだ。

しかしどんなに焦っても、どんなにいい人たちと出会っても、それに答えられない人間であれば、いつしかいい人たちから遠のけられるだろう。そのとき自分に残ったものは、いい人たちが自分を置いて自分の横を通り過ぎて行ったという事実と、年齢に値する行動が要求される厳しい社会に一人置いていかれたという事実と、大きな挫折感だけだろう。

上田学園の生徒たちにはそうなって欲しいとは思わない。だからこそ、いい先輩達、尊敬できる人たちに出会えた藤ちゃがしなければいけないのは、出会えたことへの感謝と、目先の使いっぱしりで“仲間になれた”と勘違いし、満足する人生ではなく、先輩達よりずっと年下の彼だからこそ、素敵な先輩達のお知恵を拝借し、尊敬している先輩達が出来なかったネットゲームを商売に結びつけることを考え、その為に最低どんなことを身につけなければいけないか、何が自分には不足しているのかをしっかり分析し、そして将来先輩達と一緒に話ができるような力をつけるための基礎を、学園に在籍しているうちに身に付けてから次のステップに行って欲しいと考えているのだ。

一過性の人間にはなってもらいたくない。持続性のあるきちんとした仕事のできる能力と頭脳を持っているだけに「もったいない!」と思うのだ。焦って自分の人生を安売りしてはいけないと思うのだ。

世の中、焦らない人間はいない。将来何になるか質問されて「まあ、何とかなると思うんで・・・」と言いながらのんびりしていた人間が、同じような年齢の人たちや友人達が大学に行ったり就職したりすると、自分だけが何もしていないと焦りだし、落ち込む人間が多い。本当に焦らない人間なら“人は人”と、我関せずとばかりマイペースでいるだろう。

私にも藤ちゃのように焦った時期がある。藤ちゃが17歳であせっているのとは違い、のんびりしていた私は24歳のときに大いにあせった。

アメリカの新聞社に勤め、日本人のトップはグレート7というとき、入社して2年目ですでにグレート4でバリバリ仕事をさせてもらい、おまけに10歳年長の兄より給料がよく、傍目には何も問題がなく見えていた私だったが、内心は本当に焦っていた。

毎日毎日「世の中動いているのに自分は全く動いていない。これでいいんだろうか?」という思いで、通勤途中も、人と待ち合わせの合間でも、少しでも時間が取れると本をむさぼり読み、読売新聞社主催だったと思うが護国寺で行われていた色々な宗教家や、政治家や、作家や、お医者様などが講演をしてくれる「心の大学」などに参加したりと、アフター5は色々なお稽古事や勉強に時間を全部ついやしていた。そして“急がば回れ”。焦っているときこそ、悩んでいるときこそ、じっくり考え、じっくり学び、じっくり取り組んだ方がいい結果になるということを学んだ。

その後も何回も同じような状況になり、その度に愚かな私は昔と同じように焦り、そして気付かされた“急がば回れ”ということを。

未だにものすごく焦りを感じることがある。成チェリンはもう半年で卒業だ。これでいいのだろうか。ヒロポンはどうだろうか。もう少しテンポよく進ませても良いかもしれない。大はどうしようか。小さい小さいと思っていたが、もう普通なら高校2年生。今しか出来ないことをさせた方がいいのか、それとも自分で気付くまで時間をあげたほうがいいのだろうか。小高マンはどうしようか。語学のセンスが凄くいい。もっと日本語の授業をやらせ、早いうちに日本語の教師のアルバイトをさせ、社会で働くということがどんなものか体験させようか。それともチョッとスランプ状態に見えるので、もうすこしノンビリさせたほうがいいのだろうか。タッツーはもう26歳。絵の才能がこれだけあるのだから、彼の大苦手の他人と交流することをもっと厳しくやらせようか。上田学園の授業になかなかついていかれないと言い、焦っている荻原ちゃんは、もう少しゆったりと上田学園の授業についていけるように、すこし足をひっぱろうか、などなど。3年間の間になんとか前進できるようにしたいと、卒業していった学生が「焦らなくても大丈夫!」と証明してくれているのに、どこかで焦ってしまう。

ありがたい事に、焦っていると何か問題が起き、それが私に反省を促してくれる。そして気付かせてくれる、悩んだり、焦ったら、「急がば回れ!」と。

焦りは禁物というが、凡人は焦らずにはいられない。焦りながら、焦らないでいいように普段の行い、普段の生活を「きちんとしておけばいいだけなのに」と考えるのだが、それが出来ない。でも出来なくても、迷ったり焦ったりしたら原点に戻るようにつとめている、“急がば回れ”と。

私は上田学園の学生達に言いたい。焦れば焦るほど、毎日の生活をきちんとし、本当に飛び出して行くときのために力を蓄える手段として、「どうしてこんなつまらないことをやらなきゃならないんだよ!」と反発する気持ちと戦いながらコツコツ学び、本物の力を蓄えておいて欲しいと。それが本物の人や、本物のやりたいことに出会ったとき前進できるただ一つの方法だと思うから。

私の今の役目は、周りの変化も時間のたつのも気付かず、あらゆる事に“我関せず”とばかりにノー天気に過ごしている学生のお尻を叩いて気付かせながら、早く結果を出し楽しい時間をたくさん持ちたいと焦るあまり、時間もお金も知識も知恵も中途半端に無駄している学生達の“重石”になり、「ゆっくり進んでも大丈夫!」と励ましながら、一歩ずつ確実に前進させていくことだろう。

重石になるのは、この体重なので簡単だ。でもじっくり焦らず時間をかけて彼らと付き合い、私が何を言いたいのか私の真意を理解してもらうのは、本当に“自分との戦い”でしかない。それだけに、しっかり焦らず正面から問題と取り組んでいきたいと考えている。

 

 

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