●学園長のひとり言  

平成16年8月14日*

(毎週火曜日)

マニュアル、命!

ここ一・ニ週間、上田学園のホームページが更新されていない。学期末で忙しかったことも宿題に追われていることも、現在企業研修で新高輪プリンスホテルに朝から晩まで詰めていることもその理由だが、その中で黙々とオギちゃんがホームページを更新している。それも本当に上田学園の欠点をしっかり指摘しながら。   

彼のホームページを読むと、反省させられる。今の上田学園の問題をきちんと浮き彫りにしているからだ。

上田学園は設立された最初の数年間は生徒と私たちに大きなギャップがあり、そのギャップがどういうギャップでどんな理由からなのか理解出来なくて私を含むほとんどの先生が頭を痛めた。

登校拒否、不登校、引きこもり、自由人、自分を主張したい人間達、などなど。学校に行かない、または中退した理由は私たちなりに情報を集め、理解していたつもりだった。

親が確認していた不登校の理由でも、本人が希望していないのに担任から国立の中学へ行くように勧められて学校に行かれなくなったとか、小さいときから良い子で、勉強も出来、有名な進学塾の特組で頑張って勉強していたので勉強には全く問題がないはずなのに、私立中学に行き出してすぐに不登校になったことが理解できなかったが、多分先生の指導方法が合わなかったのだと思うとか。全員が全員、小さいときは面白くて自慢の娘や息子であり、親思いの良い子供で、成績も決して悪くなかったと。

そんな親御さんの話を裏付けるように、彼らは色々な言葉を駆使し、大人のような話し方で年齢に不釣合いと思えるようなしっかりした意見を言い、私たちも一生懸命一人の人間として真摯に彼らと付き合い、応対していった。しかし時間が経つに従い、「これはチョッと????」という問題がたくさん吹き出してきた。

学生達の問題は親や私たち大人たちが考えているような高度(?)な原因ではなく、単なる学力不足と、それに反比例するような“大人言葉”の氾濫。それも意味を十分理解しないまま使用していることが、問題を誤解させる原因になっているのだということが少しずつ分かってきた。

こんなことを勉強したい。こんな先生と話したい。こんな本を読んで皆で討論したい、こんなものを作りたい等など、どの授業も彼らと話し合いながら、授業が進められていったが、彼らの提案は短いと2・3日、長くても3ヶ月ももたなかった。それも提案した人間から学校に来なくなった。

イベントやパーティーは遅刻もせず、夜遅くまでの準備も楽しそうにやる彼らが、毎日の授業には遅刻をしてきたり、欠席したり、授業中急にギターを弾きだしたり、全く関係ない話をしたがったりした。

そんな彼らに戸惑いながら当初は「長い間学校に行っていないので、毎日決まった時間に何かをする癖がついていないのかもしれない」とか、「休んでも、学校に来れば楽しそうにしているので、それでいいのかもしれない」とか、「以前の彼らだったらすぐ辞めただろうに」と、何日か休んでも必ず戻って来る彼らと、来れば来ただけ顔つきが素敵になる事実と、彼らと本音で付き合う先生たちを“批判”はしても、“非難”や否定はぜず、むしろ尊敬し、慕っている事実とで「何かが違う!」という気持ちを何とか納得させながら、それでも「どうしたらいいだろうか?」と考える日が続いた。

新しい取り組み、新しい計画はことごとく短期間で崩れていったが、何とも説明しがたい学生達の魅力や、磨きかたによってはどんなにでも輝きだすだろうと思われる彼らの何かに魅せられていた私達は、一生のうちで今日しか味わえない18歳の今日を、何もせずただ寝ていることで時間をつぶしていることが勿体無くて、内心随分焦っていた。そして同じように先生達も「来ない」「やらない」の“癖”を何とか崩すような授業が出来ないかと、色々な取り組みをして下さっていた。

悩みながら考え、先生達とも話し合い、そして悩みながら改善出来ることは改善し、反省し、また悩みながら問題解決の糸口、“来ない”“やらない”の癖をなおそうとしていたある日「あれ?」と思う出来事が私たちの“悩み”を根底から解決してくれ、上田学園の授業を再度見直すきっかけを作ってくれた。

それは19歳になっていた学生の一人の一言「“4にち”って“四日”って言うんですか?」という質問が真顔でされたことから始まった。それもまるで“よんにち”が“四日”ということを、生まれて初めて聞いて驚いているとでもいうような表情で。

学生以上に驚いたのは私だった。
本人、母親そして校長先生と4人で話し合って、本人のたっての希望で公立中学の2年生を預かってはいたが、原則的に上田学園の在校生は義務教育を終えた15歳以上の学生たちだ。中には高校入試や大学入試を通過して高校や大学に行き、それから何らかの理由で中退して入学して来た学生達もいたので、授業が進まないし、授業を休むのは基礎学力がないからではという疑問が先生達の間では出始めてはいたが、それが事実であり、おまけにその事実は私たちの予想をはるかに超えたものであり、そのことに気付かずにいた自分と、大人と子供の日本語が共通言語でないという事実。日本の義務教育はある程度基礎が入っているという計算のもとに積み上げられていているために、現実と教育現場の認識の差が不登校生を生む要因の一つになっているのだろうということに、驚かされたのだ。

私は少しは理解していたつもりの彼らを、もう一度ゼロから自分の目でしっかり見つめなおした。彼らの学力や知識。どういうときにどういう表情をし、どういう発言をし、どんな状況のときに学校を休んだり、遅刻をするかなども改めて見直してみた。そして見つけた。学校を休む理由を。遅刻する理由を。

私たちが想像していた彼らの不登校理由とは、小さいときから優等生で、学年が上がるに連れて暗記中心の授業、結果の分かる授業が易しすぎてつまらなくなったか、余りにも小さいときから勉強漬けになっていたので、金属疲労でくたびれ果ててしまったのだと。また自分の意見をちゃんと持っているために自分の意見や自分の考えをぶつけたくても、受験で授業時間を1分も削ることの出来ない先生方にとって、「授業を邪魔する生徒」ということで、教室に居ずらくなっていたのかと、勝手に考えていた。

また学生達も「もっと自分の意見を言ったり考えたりする授業がしたいんです」と言っていた。だから彼らを子ども扱いにせず、責任をとらせ、自分の意見もきちっと言わせ、考えさせ、なんでも生徒に率先してやらせれば、彼らの隠れていた才能や個性が伸ばされると信じて疑わなかった。

しかし現実の彼らは私たちの考えていたのとは180度違っていたのだ。勿論全員ではないが殆どが学生の問題は学力不足により、授業に追いついて行かれなくなったのが大きな原因になっていたのだ。おまけに分からないことを「分からないから教えて下さい」と言うことを“恥”と考え、自分の出来ないことを隠すために、学校に行かなくなったのだということも。

小学校の授業は、3年生頃から急に授業内容が難しくなる。そして4年生でぐんと難しくなる。その3年生と4年生をしっかり通り越せないとその後に大きな問題が出てくる。特に4年生の授業についていかれないと、何とかごまかして小学校を終えても、中学1年の3・4ヶ月頃から完全に授業からドロップアウトして、不登校のきっかけになるような出来事が起きる。

学生達と彼らの小さいころの話を聞いていて、正に不登校になる前兆が3・4年生と小学校6年生と中学1年生の2・3ヶ月目にすでに出てきていた事実を知らされた。ただ、その前兆や彼らの発するサインを教師も親も気がつかなかったか、知らない振りをしていただけだったようだ。

スイスの日本人学校補習校の主任をしていたとき、他の2人の主任の先生と無意識に1年生、4年生、中学1年生は、子供達が学んでいくうえでとても重要な時期と考え、それをしっかり理解して工夫して教える先生や優秀な先生を担任として配置して、短い時間で大きな成果をあげていた。

子供達が優秀だったこともあるが、チューリッヒから帰国する学生は週に3時間の国語と隔週1.5時間の算数でも、帰国してから帰国子女枠ではなく普通の受験生と同じに、程度の高い学校と言われる国公私立の学校に当たり前のように編入したり、入学したりして、在学中の成績も優秀だったと聞いている。そんな学生を預かった日本の学校の先生達が「少ない時間でそれだけの授業が何で出来るのですか?」とわざわざスイスまで訪ねてみえたり、転勤が終わり帰国した生徒の父親が、出張でスイスに来たついでにと訪ねてみえ、担任の先生からの伝言として質問されたほどだった。

彼らは不登校をしたいのではない。こんな授業がしたい。あんなことを学んでみたいと、本気で思って言っているのだが、自分たちがしたいことは、基礎学力がなければ出来ないことばかりだということに気付いていなかっただけなのだ。

表面はどうであれ、現在の自分を容認しているわけではない彼らではあるが、しかし現実、自分に自信の全く持てなくなっていた彼らの心のよりどころは「優等生だった」、「勉強が出来た」という過去の自分だけであり、その過去の自分でメンツを保ちながら、容認出来ない現在の自分から卒業できる方法として上田学園を選択したのだろう。

上田学園は彼らが考える受験用の勉強はしないし、なんだか面白そうな勉強が出来、学校の成績(学力のないこと)には関係ない授業が出来て楽しいはずだと誤解して入学し、出だしは何をしても面白がってくれたが、本格的に授業が開始され、例えば声優の麻生先生の授業で朗読をしようとしても漢字が読めない。討論するための必要な資料が読みこなせない。当然意味も理解出来ていないので意味不明のことを言う。そして自分を主張したい彼らには、自分を主張する考えが持てない。だからと言って「分かるように説明して欲しい」とは絶対言わない。分かったふうを装う。そして何となくそのテーマが終わるまで学校を休むか、その授業の終わった頃学校に来て皆と騒ぐ。

上田学園の授業の殆どは、個々の学生のレベルで勉強できるものだ。自分のレベルで理解したことを自分の意見として発言すればいいし、分からないところは「わかりません!」と言って教えてもらえばいい。「分かりません」と声をあげることも学びなのだ。

一緒に勉強している他の学生がどんなに自分より出来ても、どんなに優れていても、彼らは自分のレベルを知ったり、学ぶテンポや自分に不足しているものが「何か」を知るための単なる“ものさし”であったり、「彼みたいに理解できるようになりたい」と目標にする相手であって、本当にしなければいけないのは、昨日の自分との比較であり、自分との戦いなのだ。

今日の自分は昨日の自分とどう違ったかを明日のために知り、それを応援団にして明日を一生懸命乗り切る。毎日は、何もしなくても確実に年をとっていき、社会人として年齢相応のことを要求されるように導かれていく。

上田学園の先生達は、どんな材料でも学生に合わせてレベルを上げたり下げたり出来るし、どんな質問にもきちんと答えてくれる。しかしどんなに工夫しても、学生達の望むところまで一緒に到達しようと努力しても、基礎基本が抜けているために積み上げが出来ないのだ。あるところまで行くと総崩れして、前進できなにのだ。

学生達に自分のレベルをきちんと理解させ、基礎学力の大切さを徹底的に話し出した。しかし何が不足し、何が出来ないか、それがどのレベルのことなのかを、内心しっかり自覚していた学生達にとって、それにスポットが当てられ、剥き出しにされ「小学校の授業からやり直し」ということを認めるのは、ある程度年齢がいっているだけに、難しいことだった。

私は何とか基礎学習を授業に取り入れたいと考えた。でも小学生や中学生ではない彼らに、基礎学習をやらせるのは大変なことも分かっていた。まして受験校として有名な学校に行っていた学生になればなるほど、それは全くもって上田学園の“横暴”としかとられないのも、分かっていた。

面識はなかったが、100マス計算で基礎学力がいかに大切かを言い始めていた陰山先生のことを偶然本で読み、すぐ出版社に電話をかけ、先生の電話番号を頂き連絡。早朝の新幹線に飛び乗って兵庫県にある山口小学校に先生をお訪ねした。

「電話をかけてくる人は沢山いるけど、会いたいと言って訪ねて見えたのは貴女が初めてです」と、駅まで迎えに来て下さった陰山先生から、上田学園にとって宝物になるような、そして私の意識をもう一度再確認させられるような先生のお話に、うきうきした嬉しい気持ちにさせられ、先生がお話下さる間中、上田学園にすぐ飛んで帰って、先生から教えていただいた“学生にとって美味しいもの”を全部すぐ実践したいという思いと、誰にも負けない、また真似のできないあの素敵な上田学園の学生たちのよさを失わず、基礎学力もつき、今の素晴らしい授業も継続できる方法はないかとずっと考えていた。

あれから数年。今上田学園の授業は一見前と同じように見えて、この授業は基礎学力をつけるため、ここは応用、ここは将来のためとか、色々考えて授業を組んでいる。そして学生達もいつしか学校は休むところではなく行くところだという当たり前の考えが支流をしめ、出来なくても一生懸命宿題にでもなんでも取り組むようにもなっている。そして本当に日一日と彼らの顔が変化をとげている。

そんな上田学園の学生達が変化を遂げる中、今一番気になり頭を痛めているのが荻ちゃんが指摘した、宿題でも課題でも切羽詰るまでやらないことと、何を学んでも、その授業が終わると完全に忘れてしまい、それを応用するという考えが全くないように見えることだ。

今の学生達は、言われたこと指示されたことはすぐ出来る。暗記も結構早い。でもノートを取ることは苦手。まとめるのも苦手。想像して考えること、学びを蓄積することも苦手。時間の使い方も下手で、「時間がないんです」とか「どうやっていいか良く分からないんです」とか言われるたびに、「どうして?」という思いで彼らを眺めてしまう。

新しいこともその場で燃えるが、すぐ忘れたり、飽きる。「何故?」という思いで、彼らを眺める。忘れっぽいなら何故メモをとらないのかとも思う。そして大切な部分で、他人にあまり興味がない。他人に興味がないから自分にも興味が持てない。どんなに楽しいことを体験してきてもこちらが質問するまで、全く話に出ないし、報告もない。他の学生からも質問されることがない。

つくづく考えてします。本当に教育の弊害どころか教育の公害に毒された一番の被害者が今の学生達だと。

ロンドン在住の佐藤先生ではないが、知らないことを学ぶ楽しさ。答えが出ないから勉強の必要があること等が全く教えられていないうえに、いかに早く正しい答えを出すかの“時間短縮競争”ばかりをさせられて、一人で勉強を続けるためにも、一人で学んでいくためにも大切な、学びの基礎、勉強の基礎の“勉強の仕方”“学び方”そして、それを応用する“応用の仕方”が教えられていないのだ。

7月の中頃から、私立中学1年生の英語の勉強をみている。テストで90点以下をとると学校から父母に“注意”が来るような受験校で、彼女の期末テストは30点に満たなかったという。

4・5日かけて私は彼女の英語の教科書を分析し、彼女に合う教え方を考え、そして担当の先生に「テストでいい点数をとるということは無視して、英語の勉強の仕方を中心に教えて欲しい」とお願いし、先生方はそれを実践した。

彼女が補習授業で行われたテストに90点近い点数をとってきたのは、私たちがホンの数回教えた後だった。そして英語が出来ないために萎縮し心を痛めていた彼女だったが「辞書がこんなに役立つとは知らなかった」と言いながら、どんなことに注意して英語の授業を受ければいいのかを理解し始めている。そして知らないことを知るたのしさに目をキラキラ輝かせている。

今の彼女の英語力は先生が驚くほどだろう。応用力も私たちの計算以上の成果をあげている。そして勉強以上に心を砕いた、痛めている彼女の心と自信喪失の復活は「無条件で可愛がってあげて欲しい」という私の言葉受け、彼女を指導するのではなく、彼女に寄り添って指導していく方法で導いている担当の先生方の方法が、上手に起動し始めている。そんな彼女に「中学1年生が100点など取らなくてもいいから。70点で抑えて他のことも沢山楽しんでね。お母さんのお手伝いもね」と言いつづけている私に、少し英語に自信が出来てきた彼女は「普通にしていて100点とれても、70点におさえなければいけないの?」と質問してきて、他の先生方と大笑いをしてしまった。

彼女の現実をみていても思った。上田学園の学生達がいかに勉強の仕方を学んでこなかったかを。「マニアル、命!」で試験の点数を上げるために「教師指導書」を片手に授業をすすめる先生の下で、自分で考え、工夫し、そして答えを見つけるという勉強方法が教えられることもなく、あらゆることがマニアル通りに計算されて、その中で点数をあげ“勉強の出来る生徒”と誤解され、誤解してきていたかを。

世界で一番勉強をさせられる学生は日本人であり、社会に出て学校で学んだことが世界一役に立たない国は日本であるとう世界的な統計が出て発表されていることを、どれだけの日本の先生達が知っているのだろうか。そんな先生達の教育を受けた学生達に上田学園がしなければいけないことは分かっているが、その方法で今悩んでいるのだ。

「マニアル、命!」無意識に叩き込まれたものを学生達の中から追い出し、自分で問題を見つけ解決し、その解決したことを土台にして次の問題を見つけ解決する力と、時間の使い方、友人との交流の仕方等などを体得させるためにも、前学期の反省も含めあらゆることをもう一度見直していくつもりだ、荻ちゃの忠告を感謝しながら。

8月、もうお盆。私の父も1年3ヶ月ぶりにこの世での最後の仕事の献体を終え、3日の日に母の元に遺骨で帰ってきた。そんな父を長兄が「お疲れ様でした」と、まるで元気な父の肩をポンポンと叩くように杏林大学の先生に抱かれた父の遺骨をなで、「いい親父だったな・・・」と呟いていた。そんな兄を見ながら私も「お父さんの子供として来世も生まれたい」と心の中で呟いた。そして父が私を山ほど可愛がってくれたように、私も上田学園の学生たちを大切に大切に育んでいきながら、学生達にたくさん利用される人間になりたいと、改めて願った。

 

 

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