●学園長のひとり言

平成16年9月9日*

(毎週1回)

上田学園、存在していいの?

「上田学園なんてくだらねえ!こんな学校で勉強したって何の役にもたたねえ!卒業生だったそう言っている」、暗い顔してブツクサ文句を学生が言う。自分で自分の顔にドロを塗っていることにも気づかずに。そんな彼を「やった!」という思いで私は見ている。

いい子を演じ続けていただろう学生が、格好よく振舞うことも必要ないと思ってくれるほど、地を剥き出しにして“格好の悪い男”を演じ、本音の不満が出てくるほど上田学園は彼にとってリラックス出来る場所になったのだろう。そんなリラックスして無防備な学生を見ていると、今まで「どうして?」と考えていた疑問が見えてくる。上田学園に入学するまでの過去がしっかり浮き彫りにされ、彼が持っている問題もくっきり見えてくる。

上田学園は感謝されるために設立した学校ではない。学生達が自分の人生を納得して生きていくために、例え彼らの人生にとって一秒の値打や価値しかなくても、その一秒を獲得してもらえたらいいと考えて作った学校だ。何故ならその一秒の集まりが、人生だからであり、その一秒をどう獲得できるかで、彼らが望んでいるだろう“納得出来る人生”が手に入れられるかどうかが決まると考えているからだ。

とは言っても、私も普通の人間だ。感謝されなくていいとは思っているが、でもやっぱり上田学園が彼らにとって有意義な学校であると信じていたいし、そう願っていることは事実だ。それと同時に、経験の少ない彼らに私達の言っていることを全部理解しなさいと言っても、ちょっと難しいだろうということも、よく分かっているつもりだ。

しかし学生たちより長く生き、この社会で人間をしている先輩として、伝えておいたほうがいいと思うことはやはりしっかり伝えておきたいと考えている。それが大人の役目であり、また「教育」を生業にしている人間としてやらねばならないことだと考えているからだ。

人間にはやりたいことと、やらなければいけないことに大きなギャップがある。そしてやりたいことをするために、どんなに大きなギャップがあっても、やらなければいけないことをやらないで、やりたいことを手に入れることは、現実的に無理だということだ。

好きなことをやっている人間を見て、彼らがその好きなことをするために陰でどれだけ努力しているかを本当に理解し、その人たちと同じように一生懸命努力できる人間は、そうたくさんはいない。しかし好きなことをやっている人たちを見習い、実践する努力をした人間は、そのたくさんいない人間の仲間として、ある程度自分の将来が見えてくるし、夢をかなえることが出来るチャンスをゲットできるだろう。

先日デジタルハリウッドというウエブ関係の勉強をする学校で、藤チャが夢中になっているネットゲームの世界大会に出場する日本代表を決める大会があった。

学生が夢中になるゲームを一度見てみたいと考えていた私は、大会会場が授業内容に興味があり、「学校経営者に会って見たい」という個人的な興味のある“デジタルハリウッド”とう専門学校だったために、ゲームも見られ、学校情報も同時に手に入れられるということで日曜日の午後、雨の中を差し入れのお菓子を買って“デジタルハリウッド”に出かけて行った。

専門学校と大学院があり、来年の4月から大学も開校される予定(只今申請中)のデジタルハリウッドのパンフレットを担当者からもらい、色々な質問に答えて頂いたあと、学校の受け付けと同じ一階にある大会会場に入り、ほんの少しゲームの世界の雰囲気に浸らせてもらった。

パチンコやマージャンで食べていくことが良いかどうかは別にして、パチンコやマージャンを生業にしている人がいるのとは違い、ネットゲームを生業にすることは、日本では難しいそうだ。ネットゲームのプロがいるのはアメリカと韓国だけだそうだ。

それだけに大会はネットゲームを広めたいと考え、一生懸命それに取り組んでいる方々にとって、ある意味“桧舞台”のような感があるのだろう。主催者やそれをサポートしている若者達の顔が輝いていた。そして彼らは一様に同じ雰囲気、想像とは全く違うなんとも説明できない良い雰囲気をかもし出していた。そんな中で藤チャは働いていた。

18歳にならない彼が、ゲーム大会のお手伝いをする。そのために授業を休まなければならなかったりする。それに関して親御さんがどんなにご心配したかよく分かる。それでも藤チャには、学校では体験できないことを大会を通して体験してもらいたいと、心底考えていた。

丁度大人として生きていかなければならない年齢に入る上田学園の学生たちの今は、世間一般の多くの若者のような体験抜きの知識の蓄積だけで、生活感のない言葉の羅列と、行動の伴わない予想から想像した恐怖心による“実践拒否症候群”の一員的なところがある。

そんな彼らを今の状況から脱出させ、表面的な知識だけで自分を押し通そうとし、自分以外の誰をも説得できずに困惑し、苛立つ彼らに、他人の中、人の輪の中で、本当の意味で他人を意識しながら、知識と行動を一つにしてしっかり歩く歩き方の訓練と、それを実践する勇気を持たせるために、色々な世界で活躍している人たちとの交流を増やし、その中から表面的な“あこがれ”や“嫌悪感”だけで彼らを判定するのではなく、相手をしっかり見る力。認める力。そして感じる力を育んでもらいたいと考えている。それも何かの形で実体験することを通して。

「成功するということは、大きな不安と大きな恐怖心に打ち勝ってはじめて手に入れられるものだ」という言葉がある。これはトップ企業といわれる会社の社長の言葉で、私の好きな言葉の一つだ。

どんなに楽しそうに仕事をしている人たちでも、人の見ていないところで、どれだけ努力し、苦労し、色々な挫折を繰り返しながらも自分の将来を信じ、自分で自分を叱咤激励し、辛さや恐怖心と戦い、失敗から這い上がり、それを知恵として自分の味方につけ、毎日リベンジしながら生きていることか。

目の前で、今見ている活躍している大人たちや先輩達は、今自分が回避し、見ないようにしていることを全部やり、そのうえ好きなことをするために嫌いなこともきちんとこなしたその結果が、今の彼らなのだ。

例え今は「馬鹿みたい!」と思うようなことをやっている大人達や先輩達も、裏から彼らを見れば、彼らの行動が将来にたいする野心や、自分のやりたいことをするための一つの手段や方法であったりすることも多々ある。

上田学園は学生たちに出来る限り実践を通して学ぶことを勧めている。その一つの方法が仕事のような授業であり、その延長線上の端っこに宿題のようにアルバイトがある。

アルバイとをすることも勉強のうちと考えている学園にとって、アルバイトを探すところから勉強だと考えているのだが、実際問題アルバイトをやりたがらない学生。やりたくても年齢的に無理な学生。学校も一般社会と考えて学生に年齢制限をしていない上田学園では、学生の条件がそれぞれ異なり、自分でアルバイトを探させるという体験はなかなか出来なかったが、上田学園最初の企業研修をこの夏休みを利用して実施した。

企業研修をイベント会社にお願いしたのは、イベント会社であれば色々な会社の色々な仕事をする。その仕事を通して“仕事とは”とか“社員とは”“企業とは”などなど、一つ一つ言葉で教えられない表舞台だけではない、裏舞台をしっかり見て、彼らなりの人脈作りを含めて、そこから何かを学んで欲しいと考えたからだ。

「アルバイト代はいらない」という学校側の意向に反して、昼食付きの一日5,000円の交通費付きで研修させてもらった学生たちは、彼らなりに色々工夫をし、一生懸命働き、企業側から「よく働いてくれました。お客様から大変好評でした」という感謝の言葉と一緒に、無事研修を終えた。

たった11日間の研修で「意外と働くのが好きかもしれない」と思った学生。「子供は苦手だと思っていたけれど、面白かったです」という学生。感想はそれぞれだが、普通の仕事と同じように一生懸命働いた上田学園の学生達、次回もお仕事をさせて下さるというお話をもらった。彼らは気づかないうちに「契約期間、無遅刻無欠勤で、出来ても出来なくても一生懸命教えて頂きながらやる」という、働くうえで大切なことを一つ学んだようだ。

まだ在籍していたシーシーに、夏休みの課題としアルバイトをやらせたとき「上田学園を終えたら1・2年フリーターをしながら自分のやりたい仕事を探そうと考えていたけれど、フリーターはまずいですよ。いくらお金がもらえても、あの手の仕事の世界にどっぷりつかると、本当にヤバイデス!」と感想を述べ、その体験が卒業後のことを本気で考え始めるきっかけになったようだが、今回藤チャはどんな感想をゲーム大会に持ったのだろうか。どんな体験をしたのだろうか。きっと何かを感じ、学んだことだろう。藤チャに新たなチャンスがきたら、私はまた応援するつもりだ。

彼には素敵な人たちとの出会いから、今まで以上に、今まで見えなかったことをしっかり見て欲しい。見える力も育んで欲しい。素敵な彼らに、大会以外でも認められるように自分をしっかり磨いて欲しい。彼ならそれが出来る力があると思うから。

上田学園には色々な面白い学生たちが集まって来ている。一人一人をよく見ていると、楽しくて目が離せない。彼らの将来が信じられて「どんな成長を遂げて行くのかしら?」と考えると、色々想像して嬉しくなる。お邪魔にならないように遠くからずっと見ていたいとも願ってしまう。それだけに、上田学園の存在が今以上に意味のあるものにしたいと考えてしまう。また、そうあるべく努力もしているつもりだ。

しかし学生が心配するように、上田学園の授業は社会に出て役立たないかもしれない。役立つかもしれない。価値があるかもしれない。ないかもしれない。いくら「上田学園の授業は役立つからしっかり学んでね」と説得しても、実際にそうなるかならないかは、学生個々の受け取り方、感じ方、学びの深さ、理解の度合等で決まってしまう。他人の“判定”で、自分にとって役立つかどうかを保証することも出来なければ、保証もされない。

上田学園だけではない。あらゆることの証明は個々にしか出来ない。それだけに、相手をしっかり見る力や、認める力や、感じる力を育み、20人以上いる上田学園の先生方の中から、自分に必要と思われる知識や知恵は、どんな状況にあっても、きっちり頂いて帰るくらいの勇気と努力はして欲しい。それが出来るようになるだけでも上田学園の存在価値はあるし、本当に必要と思う人たちに出会ったとき、彼らから色々なことを学ばせてもらえる。相手からも必要とされる人間になれるだろう。

卒業生が仕事帰りにふらっと学園に寄ってくれた。仕事の話や彼女の話、そして他の卒業生の話などをした後で、会社をつくるために心配していることや悩んでいることを淡々と話した彼は、「本当は俺、今日ちょっと落ち込んじゃって、先生の顔を見に来たんです。来て良かったです。もう一回頑張ってやってみます!」と、元気になって帰って行った。

そんな彼を玄関まで見送りながら「上田学園をしていて良かった」と、思わず口に出かかった言葉を飲み込み、彼も私も「ガンバラナクチャ!」と、久しぶりに私のテーマソング「♪ガンバラナクチャ〜、ガンバラナクチャ〜♪」を、誰もいない教室に向かって歌いながら仕事に戻った私の心に、なんとも暖かいものが広がっていった。

         

 

 

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