●学園長のひとり言
 
平成16年10月10日*

(毎週1回)

マイナス、マイナス、でもプラス

雨音をバックに音楽を聴きながら久しぶりのホームページ更新。前回の更新から一ヶ月近く経ち、本当に時間の経つのは早いという思いと、事あるごとに学生たちが足を止めることなく確実に変化をとげていることに気づかされ、嬉しいというよりも彼らに敬意を表したい気持ちでいっぱいだ。

このひと月、秋学期に向けての準備と日本語の先生トレーニング。中学生の英語。色々忙しくすごす中、母が熱射病でダウン。1年ぶりに献体から遺骨で帰って来た父の一周忌を兼ねた葬儀の準備も始る中での、母のダウン。

93歳という年齢に関係なくご近所の「草取りおばさん」を楽しんでいる母。「今年は日射病ではなく熱射病で亡くなる方が多いそうだから注意してね」と頼んでおいたが、熱射病と日射病の違いがなかなか理解出来ずに例の通り草取りをし、気分が悪くなったようだ。

それから体調が今ひとつシャッキリせず心配していたが、病院を拒絶する母を説得できず「生きているかな?」と心配しながら何時もより遅くまで寝ている母の寝息を聞きに行くのが毎朝の日課のようになっていた。そんなこんなしているうちに私のイタリア出張の日が近づき、母の病気を兄たちに内緒にしておけなくなったと同時に、母のめまいがひどくなった。

「子孝行する」、即ち私たち子供が学校を終え仕事につき一人の社会人として生き始めたころから、自分たちの大きな仕事の一つである「子育ては終わった」と考えた両親は、残りの人生、子供達に迷惑をかけないで終えることをモットーに生きて来た。母だけが残された現在も、それはしっかり母の生き方になっている。

兄夫婦達に迷惑かけたくないし、私の心配も分かるのでと頑固に病院を拒否していた母も「貴女がイタリアに行っている間だけ入院させてもらうわ」と、病院に行くことを承諾、病院へ。

入院のお願いをするまでもなく診察即入院になった母は、検査と同時に点滴と輸血。「ゆっくり俳句を作ってのんびりするから心配いらないわ」等としおらしく言っていた母も、二日もたつと「93歳らしくしたら?」と思わず言いたくなるほど元気になり、「こんな所にいたら本当の病気になってしまうから家に帰らせて!」と悲鳴を上げ出した。

「検査を全部終えるのが私が帰国すると同じくらいだから、それまで我慢して検査を受けていて」という私の説得にも「この年まで生きて来てどこか悪くなっているのは、当たり前。そんなことを心配していたら生きていられません」などと言いながら、「帰してくれなければ、私は病院を逃げ出します」と、本当にやりかねない迫力で見舞いに来た兄を説得。根負けした兄も「全責任を持ちますから帰宅させてください」と先生にお願いし、イタリアへ出発の朝、空港へ行こうとタクシーを待っていた私の前にニコニコと嬉しそうな母が帰宅して来た。

入院当日に「よくない病気の可能性がありますので」と言われていた私と長兄夫婦。体調を壊している次兄には心配させたくないので最後の診断が出るまで内緒にしておこうと話し合いながらも、どうやったら母らしい人生を母らしく最後まで燃焼してくれるのか。そのために子供の私たちは何をしたらいいのかずっと考えていた。最終検査結果は10月1日と言われ、母の帰宅を喜びながらも、内心ヒヤヒヤしながら私はそのまま空港へ直行。

イタリアには色々な土地から湧き出る水で病気を治すという湧水医学が盛んな国だ。すべて国営であり、湧水治療を受ける人たちは保険で治療が受けられるようになっている。

上田学園を運営して現代の若い人たちの嗜好の偏り、失敗を恐れる必要以上の恐怖心、新しいことを若者らしくチャレンジすることが出来ない等など。そんな彼らを見ていて「現代の食文化が彼らの色々なことに影響を与えているのではないのか?」という疑問を持つようになった私は「お茶の品種改良をやってみたいのでイギリスの大学でバイオテクノロジーの勉強をしたい」と卒業後の進路について相談に来たシーシーと話しているうちに、食べ物・飲み物が子供たちの人間形成にどんな影響を与えるのか改めて関心をもち、それがスローフード運動に興味を持つきっかけになり、学生たちに“食育”をしなければいけないのではと、真面目に考えるきっかけになった。そして何時ものようにその道のステキな方達と出会うきっかけになっている「上田学園で食の教育をして下さる素敵な誰かに会えないかな・・・・」と夢見るようになっていた。

そんなとき、旅行の授業を担当している先生から「“湧き水医学を知るツアー”と“スローフード協会、食の祭典ツアー”の企画・コーディネータをしている方より飛行機やバスの手配をたのまれ、『近い将来参加者が多くなるのは確実なので、手伝って欲しい』とも言われたが、上田学園の学生たちにツアー添乗員アシスタントをさせたいと考えているけど」というお話を頂いた。

既に4年、旅行の授業の一環として毎年1月にパリとフランクフルトでの展示会へ少ないときでも200名、多いときは300数十名。大手商社の方から数名で経営している小さな会社の方々をたった1週間だがフランス語もドイツ語も英語も分からない学生たちが旅行の先生の指導のもとに、先生の会社の社員の方々の添乗員アシスタントとして研修をしている。

学生によっては生まれてはじめての海外であったりするが、5・6箇所のホテルに分散して泊っている200名以上のビジネスマン相手に「あのお客さんが明日一番の汽車でアムステルダムの支店に行きたいとおっしゃっているので、今日中にオランダまでの汽車のキップを買って来て!」とか、「美味しいレストランを探してきてお客様に教えてあげて!」とか、待ったナシの指示が先生から飛び、その度に学生たちは赤くなったり青くなったりしながら指示をこなし、一週間後には何年かけても出てこなかった一週間前の彼らとは違う彼らが、顔を覗かせ始める。

添乗員アシスタントの研修は、毎年必ず全員で体験出来る研修ではない。その年その年で、そのツアーに参加する商社の買い付け担当の方々の状況が変わるうえに、世界中の業者が一同に会する展示会だけに、ある年は参加者の移動が激しく、研修生である上田学園の学生たちに指示を与えている暇がないくらい担当の先生のスケジュールが過密になったり、ある年は研修生の為の部屋が全く確保出来なかったり、出来ても1・2名しかチャンスがなかったりする。

今回の「水」と「食」に関する研修旅行で研修出来れば、すべての学生に「添乗員のアシスタント研修」のチャンスが与えられるだろう。おまけにアシスタントとして展示会場や数箇所に別れて宿泊するホテルの間を早朝から夜遅くまで飛び回って一生懸命お客様のために動き回る彼らに感心したお客様から「よくやってくれました」と招待された夕食の席や、移動の間で交わされる会話の中から、日本での仕事について、外国での仕事について、織物業界や小物雑貨業界など等、お客さまから生の話が聞け、感動したり、関心したり、興味をもったりと、学生たちにとって大きな学びの場になっている。

そんな体験からも「水」と「食」のツアーのお手伝いをさせて頂けたら、食育の勉強を無意識に出来るという思いで「やらせてください!」と返事をしてしまったが、心のどこかで「先生の会社主催でない旅行の添乗員のアシスタントをさせてもらっていいのだろうか」という思いもしないではなかった。上田学園の授業は授業内容で先生を探すより、先生の人間的魅力に魅せられて先生でもない方々に上田学園の授業を持ってもらっているからだ。

私の経歴を聞き、学生たちのことを聞き、「一人でマネージメントするのが大変なので一緒に来てください」という企画・コーディネータの方からのご依頼もあり、私の中でも、彼女のことをしっかり理解してから学生たちをお預けしたいという思いもあり、学生たちが将来経験するだろう「イタリア食と水のツアー」の添乗員アシスタントになったつもりで出掛けて行ったが、心配していた予感が的中してしまった。

海外生活数十年。そのほかに年に何度となく海外に行っているが、今回の旅行ほどトラブルの多い旅行は経験したことがなかった。海外生活も含め色々な経験をしておいて本当によかったと思ったこともなかった。

5月に下見に行って見て来たという研修コーディネータの方の説明と、実際に泊ったホテルやレストランは、似ても似つかない程大きな違いのある大変なものだった。

「皆でお金を倹約しよう!」「安宿体験をしよう!」等と言って、上田学園の学生たちがタイのバンコックで一泊五百円もしないホテルに泊ったことがあったが、そのときの安いホテルにクーラーが付いただけのようなミラノのホテル。

地元の有名な作家や画家たちに好まれ、最高の食事をさせてくれるという触れ込みのレストランは、上田学園の近くにある「イタ飯」と呼ばれ、手軽に学生たちでも入れるイタリアンレストランの方が美味しいと思えるほど、只のレストランだった。その上、タクシー7台に分乗してレストランに行くことになっていたが、一台目のタクシーは予定より20分遅れて到着。その後40分以上待たされても後のタクシーが来ない。コーディネータの方の古くからの友人のイタリア人がアシスタントとしてついたが、日本語も英語もわからず“役に立たない”以上に、問題を混乱させてお客様からヒンシュクをかっていた。

混乱は「湧き水医学研修ツアー」のメインイベントである湧き水医学研修会場までも続き、旅行参加者全員がコーディネータの方に翻弄され続けた。

大きな期待を持って参加していた研修ツアー参加者の顔が毎日のように暗くなって行く。それと比例するように、スムースに展開しない研修のためか飲酒量が増え、毎日のようにお酒の臭いをぷんぷんさせ、時には千鳥足になって朝食に出てくる研修コーディネータの彼女。職分侵害とは分かっていたが、かばうことの限界をとうに超えて持て余し状態だった彼女について、私は東京に電話。このツアーの飛行機とバスの手配をした旅行担当の先生に旅行の実状を説明、アドバイスをもらう。

今回の研修旅行の主催者の方々とも話し合い、旅行後半のスケジュールを私の独断で全部変更。それもコーディネータの彼女をなだめたり、時には無視したりしながら「研修旅行参加者全員が楽しんで帰国できるように」という主催者の方の強い願いを優先して。

バスなどの手配をお願いしていたJCPヨーロッパのローマ事務所に電話をし、相談に乗っていただきながらヨーロッパに住んでいた経験や、学生たちと手作り修学旅行をしていた経験などを盛り込んで現地で作り直したツアーで、予定になかったフィレンツェ経由で無事研修旅行を終え、帰国してきた。

空港まで心配して迎えにきていた先生への報告もそこそこに、はやる気持ちを「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせながら自宅へ。「ああよかった。お帰りなさい!」という母の声に答えるように、「元気だった?」と言いながら内心「生きていてくれた」と、ホットする。

4日からの秋学期に向けて最後の調整と、「イタリア旅行の報告書作成」の忙しい週が始まる。

タクシーを飛ばして登校した私を待っていたのは、私が日本を発った数日違いで2回目になる来年のタイツアーの下見に出かけて行った学生たちが、出発前の忙しい時間をさいて作ってくれた上田学園のパンフレット。決算のために税理士の先生に提出する学生たちの経理ノートと領収書。タイ下見ツアーの日程および宿泊予定のホテルなどを分かり易く記したメモ。それらがきちんと整理されて私の机の上に。

どれを見てもきちんとしている。20年間イタリアへの研修旅行を企画していると言っていたツアーコーディネータの方に、上田学園の学生たちの作ったツアーを体験してもらって、お客様に満足いただくということの意味を知ってもらいたいと本気で思ったほど、学生たちの準備、書類などがきちんとしていた。下見ツアーの書類でもそうなのだ。旅行会社に勤務したら、彼らのほうがいい仕事をするだろうと想像出来、嬉しくなる。

先生との打ち合わせなど等、1分も無駄にできない日が続く。そんな中、研修旅行を主催した主催者側の方から「上田さんがいなかったらツアーを途中でキャンセルして帰国していたでしょう。上田さんには感謝しています。これも私どもの力不足で・・・」などというお手紙を頂き、一番元凶の企画・ツアーコーディネータの彼女は全く何とも感じず、反省していない事実を知っているだけに、何だか切なくなる。手紙を読みながら、「仕事をする」という意味を学生たちにしっかり伝えなければと、つくづくと思う。

私の帰国後、少し調子が悪くなっていた母の検査結果を聞きに行く。「まれにみる丈夫な方ですね。何かあったとしても93歳という年齢を考えると不思議なくらいお元気で、しっかりしていて。私の母もこんな生き方をして欲しいと思います」と、話して下さるお医者様の言葉に、緊張していた糸が音を立てて切れたと思えるほどホットして、思わず兄と顔を見合わせて笑ってしまう。その夜成ちぇりんから「無事タイの下見から今戻って来ました。全員お腹をこわしましたが元気です」という報告が入る。

喪主の母が出席できないまま内輪だけで父の葬儀を無事終えた次の日、スイスの日本人学校で1・2年生の担任として教えた学生が「久しぶりで両親のところに遊びにきました」と訪ねて来た。

親御さんの転勤先のドイツで生まれ、スイスで育ち、世界で一番いい大学と言われているスイスの工科大学の建築科を卒業。チューリッヒの建築事務所に勤めているという彼女は30歳になったという。

日本語を教えに行く準備のために学校に来ていた成チェリンと、彼の同居人のヒロポンを呼び出して4人でランチに。

学生たちが作ってくれた上田学園のパンフレットのキャッチコピーではないが、「走らなければ見えないものがある!」というキャッチコピーのとおり、今回の下見ツアーの体験が成チェリンとヒロポンをまたまた少し素敵に成長させてくれ、そんな二人が楽しそうに話すタイ下見ツアーの体験話を、小学校の1・2年生のときの面影が残る大きくて真っ黒な瞳のきれいな目で、ニコニコしながら聞き入る彼女を見ながら、時代も年齢も経験も背景もすべて全く違う彼らと係われていること、また係われたことに幸せさを感じ、「私は何て贅沢な人生を過ごさせてもらっているのだろう」と誰にでも感謝したくなる。

4日から秋学期が始まった。将来のことを決めるためにゲーム会社に“研修”という名目で一ヶ月間手伝いに行くことを許可した藤チャ。その間、授業を休まなければいけないことを他の学生たちに相談。授業別に決められた担当者が毎日責任を持って、授業に関するファックスを藤チャに送ることにしたようだ。大ちゃんも今回から授業に出ると、今のところ遅刻もしないで出てくる。またバンドで早退しなけばならないときのことを先生に相談している。ずっと心配していた二人の顔が少し違って見える。

考える前に行動している荻チャに刺激され、のんびり構えてじっくり考えてなかなか動かなかった上田学園の学生たちがよく動くようになっている。そして上田学園ただ一人の女子学生である新入生の渡チャンが、ずっと前から上田学園の学生でいたようなリラックスした様子の中で、他の学生たちとニコニコと楽しそうに話している。

そんな彼らを見ていると、上田先生が理想とする「学生が先生と話し合って作る授業」がもっと出来そうなそんな予感がする。事実、受身の授業ではない、指示待ち授業ではない、自分たちから率先して授業にかかわっていくような授業にしたいと、各授業をどうやったらリンクできるか、どうやったら自分たちがもっと理解できるようになるか、どうやったら自分たちがやりたい授業に授業内容を成長させられるか等、真剣に話し合っている。

この一ヶ月は本当にいろいろなことがあり、大変だった。しかし、その大変さが「教師」としてではなく、一人の人間として今までの越し方を何時もとは違った角度から振り返らせてくれ、反省させてくれ、年齢を重ねていくことの意味を改めて考えさせてくれた。そして学生たちも“待ち”の姿勢から“攻め”の姿勢になろうと動きを変えはじめた。まるで後から入学してくる学生達のための方向指示器の役目でもしそうな、学生たちの手で上田学園の基礎になるような土台作りが着々と進みはじめたことを実感する。

今学期も毎日を大切にしながら一生懸命働かせて頂こうと、改めて思う。そして学生たちを頼もしく思うと同時に、以前のような「時間が無駄に過ぎて行く」という思いより、時間が重なっていくことの素晴らしさを学生たちはしっかり実感させてくれている。それはまるでマイナスとマイナスがプラスになっていくことを事あるごとに感じる私の気持ちを、そのまま証明してくれてでもいるかのように。

 

 

 

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