●学園長のひとり言
 
平成16年12月2日*

(毎週1回)

 今の目標

大人になれない、また大人になることを拒否してしまったような19歳と29歳の無職の男の子による両親殺害という事件が、たて続けに起きた。

「学生時代はとてもおとなしくて、勉強が出来る良い子でした。親御さんもいい方達で、なかなか教育熱心で・・・・」と、この手の事件を起こした子供達についてのコメントが出されるたびに、定番通りの言葉が新聞やテレビで繰り返されている。

「長い人生ですから、親が子供を信じ、ゆっくり考える時間をあげることが肝心です」とか、「生活習慣をつけさせるためにも、お金を出してあげて、一人暮らしをさせることが自立の第一歩です」とか、色々なコメントが精神科の先生や教育評論家の先生から出され、それについて議論されたりした。そして毎日のように報道されていた事件も、いつのまにか次の事件にとって代わられ、「そういえば、そんな事件があったわね」等と言われて、この手の事件の定番通りの遠い過去の出来事のようになり、社会の誰もがそこから何の学習をすることもなく、記憶のどこかに置き忘れようとしている。同じような悲惨な事件が次ぎに起きるまで。

悲しくなる。

学習しない社会。学習しない大人達。同じようなことが自分の子供の上に起きてもおかしくないような状態の家族ほど、見て見ぬ振りをしたがる。我が家にはあんな事件は起きませんとでも言うように「いい所に就職するためにも、どんな大学でもいいですから出て欲しいんです」と、壊れたCDのように言い続ける。

目の前の大きな問題を解決しようともせずに「一応大学卒という名前さえあれば、今のコンプレックスがとれ自信がつき、いい所に就職できると思うのです」と、真顔で言い続ける。

何が本当に正しいのか、何を大人はしたらいいのか。学習しない大人達には本当にお手上げ状態だ。ただ分かるのは、昨日の今日でこんな事件を起こさなければ自己主張も自分の居場所も見つけることの出来ない子供が育ったわけではないということだ。

人間の体に例えたら椎間板ヘルニア状態の子供達。
色々な意味で重たく、でも重要な頭の部分に当る「社会」を次の世代まで支えなければいけない背骨役の大人達の間で、社会を支える辛さや苦労を和らげてくれる潤滑油になるために生まれてきた子供達のはずが、「君達が居てくれるからこそ、未来を楽しみ、今の苦労を楽しめる。感謝している」と言う言葉をかけることもなく、彼らの存在を当たり前とし、「社会は重いぞ!」と、重い社会を支える方法も、ましてや重みに耐える力をつける訓練もせず、ただただ「頑張れ、頑張れ!社会に負けるな」と激を飛ばし、重力をかけ、圧迫する。

それに耐えられなくなった子供達。正常な位置からはみ出して社会が正常に機能するために存在する神経を刺激し、激痛を与える。大人や親や社会を攻撃し、悲鳴を上げ「助けてくれ!」と信号を発する。だが子供の上にあぐらをかいて子供が社会に存在することを当り前に思い感謝を忘れた傲慢な大人達には、彼らの悲鳴やSOSのサインはキャッチできない、何かことが起こるまでは。

若さゆえの過ちだからと言って、何をやっても許されるわけではない。その許されない最たるものが、人を殺めたり、傷を負わすことだろう。やった本人が一生をかけて償っても、償いきれないほどの大罪だ。人間をやめさせられる可能性があるほどの。

「この年齢になっても、親のすねを齧り、勉強するでもなく、仕事をするでもなく、本当に困った若者達ですね。生きる目標がないのでしょう。人間目標がないのは困りものです」と誰かが言っていた。「そうなんですよね。今の若者には目標がないから、問題なんですよね」と、誰かが呼応する。

「目標…?生きる目標?」
目標を持つということは何なのだろうかと改めて考えてしまう。

「お金持ちになりたい」「世界を相手に生きていきたい」「平凡だけれど、幸福な生活をしたい」。人によって様々だが共通しているのは、その目標を達成するために努力をする必要があるということだ。

子供の成績が優秀であることだけが「自分の勲章」のように思い、それを誇りにしていた親たち。そんな親たちから褒められ、おだてられ、賞賛されて勉強の出来る子供になっていた子供たち。何故勉強をすることが楽しいのかの本当の意味も、そのために努力も必要と教えられてこなかった子供たち。親の賞賛に答えられなくなったとき、自分を否定し、努力をすることを拒否する。

親を喜ばせることだけに視点を合わせて勉強していた子供にとって、動機はどうであれ、そのために一生懸命やり「優秀」と言われたことは、「君たち自身の努力の結果だ」ということに気づかされておらず、その上、自分のために努力をするという姿勢がまったく育っていない彼らにとって、ただ努力している姿は格好悪いと思っているのだろう。まして、努力には挫折がつきもので、その挫折から立ち直るのも「努力だ」と教えていないからだろう。

親は子供達に言う「勉強しなさい!」「いい学校に行きなさい!」「いい生活をしなさい!」「偉くなりなさい!」と。自分達が理想とする子供になるよう「子供のために」という名目で、親のエゴのためのレールを敷く。それも未来永劫、2本のレールがずっと続いてでもいるかのように錯覚させながら。

視野の狭い、また周りを見る力も育っていない幼いときは、2本のレールの上を二本足で安心して歩いている。まさかそのレールが自分の足幅の成長に合わせて太くならないということは知らずに。そしていつか気が付く。自分が安心して歩いていた足元のレールをよく見たら、自分の足幅より狭く、自分の足がレールから大きくはみ出ていて、自分で自分のバランスをとらないと簡単に落ちてしまうことを。

這い上がることも自分の頭で工夫をすることも学んでこなかった彼らにとって、例え10センチの高さの段差に落ちることでも、恐怖。まして落ちても簡単にレールにもどれることなどは、恐怖心でいっぱいの彼らには気付くはずも無い。

自分の子供は何歳になっても「幼い」と信じ、いつまでも自分が敷いたレールが一番ベストだと信じ、それに子供を乗せようと躍起になる大人達。そんな細いレールでは自分の足幅には狭すぎ、落ちそうだと逆らいながら、でも自分では自分のレールが敷けない上に、「もう大人だ!」と思いながら子供のときの習性通り、無意識に親の思いに沿おうとして「幼さ」を演じ続ける子供達。いつまでたっても自分が安心して戻れるレールは、親にしか与えてもらえないとでも思い込んでいるのか、逆らいながらも親から離れない。

学習をしない大人達。学習をされない子供達。目標を持つ以前の問題がそこに存在することを、全く気付いていない。

目標を持つのは楽しい。目標の実現に向け努力するのは楽しい。夢の実現だからだ。

上田学園の学生達にも目標を持って生きて欲しいと願っている。そのためにも、上田学園に在籍している間中、挫折をたくさん経験させたいと考えている。挫折から這い上がる色々な方法を出来る限りたくさん体験して欲しいと願っている。

目標を持つということは、夢をもつことだ。そのためにも与えすぎず、不足しすぎず各学生に合わせてほどよい抵抗と、程よいストレスを与えながら、毎日の目標を自分の頭を使って確実にクリアーさせ、大きな目標の夢を描けるように導いていきたいと考えている。それが今の上田学園の「今の目標」だ。

「上田学園の学生たち。未来に向かって羽ばたくために、それぞれがそれぞれのテンポと考えで、それぞれに苦労し、努力している君たちを心から誇りに思う。まだまだ苦労も続くし、努力も必要になる。見えない結果に恐怖心と戦わなければならないこともある。やりたいことが出来ず、いらいらすることもある。やりたかったことが本当は違っていたと分かり、がっかりすることもある。でもそんなことに負けないで欲しい。君たちを取り巻く君たちの親御さんたちや多くの人たちと一緒に、君たちの後ろで、君たちに本当に必要にされたときのよい見本になれるよう、力が発揮できるよう、親として、教師として、大人として、君たちに負けないよう努力をしながら見守っているから。君たちも安心して、大いにズッコケながら自分のテンポで前進し、自分のための未来がつくれるよう、努力を続けて欲しい。いつか自分で自分を褒めてあげられるように。そのときまで、ずっと応援しているから。」

 

 

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