●学園長のひとり言
 

平成17年3月3日

 (毎週1回)

時々先生、時々母親!

今晩から雪になるという天気予報だが、それが信じられないくらいいいお天気。

140センチにも満たない小さな母が、一生懸命背伸びしながらベランダの柵越しに手を振っている。「学生さんたちを大切にしてあげてね、大切なお子さんたちだからね!自動車に気をつけて!」大声で叫びながら視界から私の姿が見えなくなるまで手を振っている。

我が家の毎朝の儀式。

耳に残る母の声を聞きながらふっと思い出す、毎朝家族全員で玄関に出て大声で「行ってらっしゃい!」と父を見送っていたころのことを。そんな私たちに振り返り振り返り手を振ってくれていた父の姿を。

ずっとずっと昔のことだ。

何だか父に会いたくなる、もう会うことが出来ない父に。「♪がんばらなくちゃ、がんばらなくちゃ♪」私のテーマソングが自然に口をついてでる。

「母が危篤だと連絡が来ました。へたすると今日……、ちょっと失礼します。何かあったらご連絡します」と授業の途中で病院に向かった昨日の見上先生。ご兄弟がいない方だけに大変だろうと想像して、心が痛む。

心配しても仕方がない。何かお役に立つことがあったらすぐやらせていただこうと考えながら、学校に急ぐ。

学生たちは毎日遅くまで残って今学期最後の授業の課題を終わらせようと、頑張っている。その中には新学期の学生集めに役立つパンフレットやホームページの書き換えも入っている。決まった授業時間外にも先生の仕事のスケジュールの合間をみて、皆で学校に集まって作業をしているようだ。先生方には心から感謝。寝る暇もないような状態でも、学生たちのために時間外にも授業をやって下さる「成チェリンにとって最後の上田学園での授業になるから」と。それがまるで合言葉のように、どの先生も同じことを口をそろえて言う。

しっかり授業を受けていてもなかなか正確に先生の言わんとすることが伝わらなかったり、気づかされても「個性がなくなるから、俺流に!」とかで、しないでもいい遠回りをする学生たち。そのたびに注意される。個性とは、人と同じことをしていても光る何かを持っていることで、他の人と違うことをすることが個性ではないことを。そのためにも、最低限の基礎的なものは身につけなければ個性は出てこない。人のいうことを「素直に聞くほうがいい」と。

学生たちは毎日のように、変化ではなく進化している。それと比例するように私の立場もときには先生より母親のような立場になる。まるでお“茶漬のり”の宣伝のように「時々、先生、時々お母さん!」「お母さん、お母さん、時々先生!」

「言い訳ばかりしないで、人の言うことを聞いて真似してみたら?絶対何かが見えるから」「挨拶はちゃんとする。大声で!」「自分のことは後回しにして、先に人のことからやりなさい」「テーブルに肘をついて食事をしない。マナーは自分のためであり、人のため」等など。まるでお母さんのお小言。

家庭で出来る教育と学校で出来る教育は違う。家で見せる子供の顔と外で見せる子供の顔も、違う。それを理解して子供たちを導いていかなければならないし、感じさせていかなければならないし、考えさせていかなければならない。そのために親と学校の連携プレーが必要になる、それもそれぞれの立場をわきまえた。

親が学校を信用しなければ、子供も学校を信用しない。親が先生を信頼しなければ、子供も先生を信頼しない。家庭と学校。社会と学校。親と子。親と先生。先生と生徒。友達と友達。それぞれがまるで鏡のように相手の心を映し出す。

成チェリンが卒業するまで、あと3週間を残すだけ。「卒業後のことは、卒業後に考えよう。今やらなければいけないことだけを考えなさい!」と彼に言っている。

卒業後のことを心配し、今を充実させなければ卒業後のことがうまくいくとは思えない。普通(?)にステップアップしていくことを拒否して上田学園に来たのだから、最後までそれを貫いて欲しい。本当の意味で、今を明日につなげて行って欲しいと考えている。

例年の卒業生と同じように、最後の最後まで問題から逃げずに頑張った学生たちが最後の瞬間に必ず手に入れる「未来につながる脱皮」。頑固な成チェリンがその脱皮を始めている。

注意されたり、叱られたりする中で確実に少しずつ褒められ始めだしている。「いいね、いいね!表現がいいね」とか「面白い!この結果をもっと知りたい」などと、“実のある褒められ”であり、卒業後も確実に成長を続けるだろうと推測出来る「考え方」や「学び方」が身につきだしたことが、ほんの少しみてとれるようになった。

彼の変化が嬉しくなる。まるでお母さんにでもなったように。そして先生方に頭を下げたくなる、父母代表として。

彼の変化を体験しながら先生方も、残る学生のため新学期の授業計画を立て始めている。そして今年の学生たちは今までの授業を反省しながら新学期に学ばせて欲しいことをリストにして、先生に提出したりしている。

「4月からこんな授業内容にする予定です」と言いながら、新学期の授業内容の大まかな報告をしてくださる先生方に、教師として頭が下がる。小さい学校だから出来るのだろうが、一人一人の問題をきっちり見抜いて一人一人の目標をかかげながら、全体をどう導くかを考えてくれている。

時々母親。時々先生。時々経営者。毎日が忙しくすぎていく。最後の最後まで学生たちの一人一人がどう進歩し、どう次のステップを踏み出すのか、本当に楽しみだ。

「今日遅い!ご飯いらない!」今までしたこともない帰るコールをする学生。「お先に失礼します」ときちんと言って帰る学生。「その努力は多分しないと思います」と正直に自分の意見を言う学生。彼の上には絶対起こりえないと誰もが思っていた第二反抗期で無断欠席した学生。「なるべく腹をたてないようにして、将来のことをしっかり話してきます」と言う学生。当たり前のことが当たり前に起こり、母親役の冥利に尽きる嬉しい悲鳴を上げている。そして「ちょっと食事に行ってきます!」と出かけて行く学生の背中に「行ってらっしゃい!寒いから気をつけて!」と声をかけながら94歳の母を思い出す、時々先生、時々母親。「今どっちの役目かな?」と考えながら。

 

 

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