●学園長のひとり言

平成17年4月1日

 (毎週1回)

 

いろいろなことがありました

 

無事ナルチェリンの卒業式の日を迎えられた。いろいろな先生方やこの三年間でナルチェリンにかかわって下さった方達が集まって下さり、その光景に思わず90度お辞儀をしたくなったほど「感謝の気持ち」で胸が一杯になった。

性格の「可愛い男の子」という思いで過ごした三年間。怒るような状況になることはなかったが、しかしナルチェリンはよく叱られた。

高校と中学の教師をしているご両親の一人息子として可愛がられて成長し「小さい時は親を一度も困らせたことのないとても良い子供でした!」と親御さんに言われるほど問題のない本当に良い子供だったというナルチェリン。

大阪でも1・2と言われる受験高校を中退し「上田学園に」と親が納得しないまま半分強引に入学して来たときは、色の白い幼さがまだまだ残る100%“男の子”、それも優等生で大人のような理屈をこねまわす。

「俺、親爺のようには絶対なりたくない。このまま大阪にいたら親爺のようになっちゃうと思うし、大阪が嫌いになるし、大阪の友達も嫌いになっちゃうんじゃないかと思う。それに『みんなで東大に行こう!』なんて、俺の人生『東大しかないのかよ』と思うと、今の学校に行っていても何もならない。それでベンチャー企業に行くか、上田学園に入ろうか悩んで来ました」と言って入って来た。

東京に住むのはもちろん、一人で生活するのも初めて。ましてお料理などしたことがない彼。サラダを作ったけど「メッチャ不味かった」と、サラダは茹でて作ると勘違いし「ゆでサラダ」を作ったり、とろろスパゲッティーを作ったつもりが、とろろ芋と里芋を間違え、「里芋スパゲッティー」をつくって気持ち悪くなって「倒れた」とか。

毎日毎日楽しいハプニングに教室中が爆笑。そして数学の計算は凄いのに、5%の消費税が計算できなかったり、バスの往復運賃が計算できなかったり。でも一般の人があまり知らない難しいことは良く知っていて教えてくれたり。彼のアンバランスさにとまどったり、面白がったり。彼の周りには本当にいつも楽しい雰囲気が漂っていた。そんな彼が「俺、奴のそんなところが好きや!」と言ったときの既成概念の全くない、若者らしい潔癖さと、そのものズバリを公平に見抜く鋭い観察力には、無条件にいつも驚かされていた。

自分のやりたいことを優先して宿題が出来なかったり、“How to 本”を読んで、やったつもりになったり、彼の奇談珍談を数えあげたらきりがない。

ナルチェリン、またはチェリンの愛称もピッタリし、「変な奴」とお互いに言いながら不思議な友情が学生間に芽生え、また大阪の友人や先生たちから「成瀬くんは変わった、良くなった」と言われるようになった頃、彼はニ年目を終えようとしていた。

「自分の頭で考える人間でいたい」と、自分の意志で入学を決めたはずの上田学園。どの学生も多かれ少なかれ辿る一年目。

「自分で考えること」とはどういうことかに戸惑うと同時に、自分の学力と学歴の差に対する一般(先生)の評価や期待に戸惑い、自分をごまかし、自分が評価したいと思っている自分に見えるように、背伸びをすることに時間を費やす。しかしそれが上手く出来ないと思うと、忍者よろしく目晦ましの術である彼らの秘策、「不登校」を始める。即ち上田学園で言うところの「意味のない抵抗」に終始しだす。

ニ年目。
自分達が考えていた以上に先生達がその世界の“本者”で、あらゆることがしっかり見抜かれていることや、背伸びをせず自分のレベルで授業を受ければいいのだということが少しずつ理解出来、ありのままの自分を受け入れようと、抵抗をしながらも他人の言葉(先生たち)に耳を傾け出すと、実際の自分の実力を素直に認め、将来に向け彼らの“学び”が開始される。

早いうちに自分に気づき“学び”を始めた学生と、「背伸びさせても、この時期に卒業させて次のステップに行かせたい」と考えて卒業させた学生は、上田学園のニ年間を基礎に、全員が色々な苦労を乗り越え嬉々として自分の人生を歩んでいる。

が、親や教師たちの心配をよそに、意味のない抵抗を続けてニ年間が終わり卒業という名のもとに次の場所に移行していった学生は、移ってから自分の道をみつけるまでに結構な時間と労力とお金をかけている。しかし嫌々でも三年、四年と在籍した学生は、こちらの心配をよそに本人も気付かないうちに何かを身に付け、社会に出てから今までの遅れを取り戻そうとでもしているかのように、ものすごいテンポで進みたい方向に歩み始め出す。

やっと学び出した彼らを、これからだと思う彼らを、ここで卒業させていいのだろうか?今卒業させたら元の木阿弥になるかも知れないという心配がどの先生の間にも湧き上がったころ、ナルチェリンとバナナが卒業時期を迎えた。

教育は社会で生きるための「道具箱」と考え、道具の使い方を専門学校のように二年間で教え、そのニ年間で学んだ道具の使い方をもって自分の足でしっかり自分の未来に向けて歩んでいける学生を育てようと考えて開校したころには計算できなかった、一・二年という期間はほとんどの学生にとって“過去の垢落し期間”であるという事実。そしてやっとたどり着いた「生きるための道具の使い方」を学び終わらないうちに、卒業してしまうという事実。

「もうちょっと」というところで卒業させ、社会でウロウロさせたくないという思いと、同じ苦労をしても未来に繋がる苦労をして欲しいという願いから、今までのように自主的に残りたい学生を「残す」というやり方を変え、上田学園をニ年制から三年制に移行することを決定。

そして卒業予定だったナルチェリンとバナナに、どうして二年制から三年制の学校にするのかと、残って勉強をすることを勧める各自の理由を説明した。

バナナは残る理由も魅力も感じないということで卒業することになった。私達はそれも“あり”と考えた。何しろバナナは小学校も中学校も数週間も行かずにお父さんの経営する花の栽培農家で、栽培場を学校にし、ご両親やそこで働いている人たちを教師として育った学生だ。ニ年間もあれば三千万円もの収入があげられるとのこと。それだけの力があるのだろう。

事実上田学園で他の学生をリードして網戸の網を張ってくれたり、倉庫を壊してくれたり、コンピュータ用の机を作ってくれたりしたが、なかなかの腕前だ。父親の仕事の農業が継げるし、例え継がなくても、一人で何をしてでも生きていける。しかしナルチェリンは違う。

ナルチェリンは親の仕事を継ぐわけにもいかない。おまけに自分の野心を現実にする何かを持っているわけでは、ない。それだけに彼には彼の夢を現実に出来る力を持ってもらいたいと願ったのだ。おまけに、私達のいう「無駄な抵抗」も続いていた。たしかに、入学してきた当初とは随分変わり、素直になり本来のナルチェリンが姿を少しずつ表すようにはなっていたし、小さい頃の色々な心の動きや、「現実逃避」の事実も話し出していた。

学びのテンポは各自で違う。一般的に教育現場で問題になるような学歴と学力のアンバランスという問題を聞くにつけ、ドイツやスイスのように小学校一年生から落第があったほうがいいと考えているし、みんな一緒に仲良く一年毎に解っても解らなくても進級出来る事のほうが、おかしいと思わない社会に疑問を持っている。

その子にはその子供の理解のテンポがあり、それを悪く解釈するのではなく肯定し、彼らのテンポに合わせて学ばせることで、次の勉強に興味がもてるようになる。

「学び」とは「勉強」という、ある意味個人を無視して押し付けられてはじめて学べる力がもてるようになるという長い訓練期間が必要なものだけに、その長い訓練期間を維持するためにも、その子のテンポや理解度を丁寧に評価する必要があるのだと、考えている。

「落第」という言葉に翻弄され、親が考える世間体のために、子供までその世間体を気にし「無知」という現実に目をつぶり、本当の意味での子供の「プライド」まで傷つけることがないようにしなければならないと、考えている。

色々なことがあったが親御さんのご理解を頂き、ナルチェリンの上田学園での三年目が始った。

今までバナナが全部やってくれたことも、ナルチェリンが一人でやらなければならず、随分戸惑っていた。そして随分叱られたり注意されたりしたが、それだけ彼の学びの幅が広がり、理解力が増していたから出来たことだ。それと同時に「自分」という者を少し理解しだしていった。注意される意味も叱られる意味も認めたくはないが、理解しだしていった。

「疲れた、忙しい!」「忙しい、疲れた!」を連呼する中、彼の三年目が終わりに近づき、「俺、卒業したらフリーターをする」と言い出していた。それを聞きながら、彼の今後に対しどんなアドバイスが出来るか、各教科の先生達ともお話をしながら、探っていた。

ナルチェリンは頭がいい。ちょっとへそ曲がりで頑固だが、根本的なところで人間としての品位や魅力がある“いい男”だ。他人の話を素直に聞きさえすれば素晴らしい考えや、面白いアイディアも出す。絵は描けないが色彩に関してのセンスは抜群だ。それも普通の“お洒落さん”では考えもつかない何気ないけれども面白い組み合わせをして、その道のプロに近い方々をうならせる。

色々な角度から彼を見、いろいろ考えた。そして気がついた、彼は一番苦手なことで生きたほうが、成瀬のよさが光るのではないかと。

彼はコツコツ地味にすることが、苦手だ。しかし、その一見地味でコツコツまじめに取り組むことをやらせると、それが例え単純作業でも大変な作業でも、本人気づかぬうちに嬉々としてやっている。これは仕事をする上で大切なことだ。が、言い換えればフリーターでも、嬉々として続けてしまう懸念がある。

算数をするとケアレスミスや、自分で考えようとしないところがある。きっと「簡単だ!」と思うからだろう。数学力は結構あるので、それなりの分析もする。また分析することが好きだ、ちょっと説明力は足りないが。

そんなことなどを考えるうちに、「ナルチェリン、意外と経済の勉強をさせたらいいかもしれない?」と考えるようになっていた。それも最近の英語力の目覚しい進歩を考えると、海外の大学で。しかし本人には全くその気がない。働きたいのだという。

働くのも大賛成。いつかは絶対働き出さなければならないし、働きの中にも色々な学びがあり、そこから学ばされることも多いからだ。

彼は社会から叩かれた方がいいかもしれないとも考えた。社会で叩かれる時は「俺が好きだから、いいじゃん!」などとは言っていられなくなる。素直に人の意見を聞かなければ伸びないことも、理解するだろう。純粋培養して社会に出すつもりが全くない上田学園では、先生は勿論だが訪ねてみえるお客様も生徒達と交流出来るようにして、生徒達を“学校”という場に隔離してはいない。

授業を通していろいろな人と交流させたり、失敗させたりしながら這い上がって来る訓練をして来たつもりだが、それでもまだまだ打たれ強くは、ない。丁度今打たれ強くなるかならないかのボーダーにいる。ボーダーからちょっと打たれ強い方にいてくれれば、卒業生のタッチのように叩かれ叩かれ、頑張って前以上に自分の希望する仕事を自分の手で勝ち取っていけるようになるだろう。しかし今のナルチェは、まだ何となく言い訳をして簡単な方へ逃げ出すだろう。それは絶対して欲しくは、ない。

そんな時、株の授業を担当してくださっている現役の平野先生から「成瀬君は頭のいいお子さんだし、株の授業も好きだと言うし、証券アナリストの勉強を専門学校でしたらどうですか。証券会社や銀行などに勤めている人たちが、仕事の合間に勉強していますからなかなか難しいですが、彼だったら出来ますよ。分からないことがあったら僕も教えてあげられますし」と。

「証券アナリスト」、正確にどんな仕事をするのかも知らなかった。まして「証券アナリスト」の勉強をする専門学校があることもだ。ただ村上龍のホームページ「JMM」で、日本の経済についてのご意見を書かれている方達や、テレビの番組にゲスト出演をしたとき「教育」についてのテーマの前に、日本の経済の動向を話し合うゲストとして出演されていた方々を控え室で紹介して頂いたが、彼らは全員、現在か元かは別にして、銀行や証券会社や〜総研というところで勤務する方達だった。まさに平野先生から「そういう人たちに混じって、日本を動かすようないい仕事が出来るようになったらどうですか」というご提案だった。

それを聞いた全員の先生方が「それはいいな、彼にはピッタリと思える仕事だな」と。そして実際その世界にいたクリス先生にいたっては「彼が今『興味がある』と思えるのだったら、これからの日本を背負って立つ彼みたいに能力のある人間には面白い仕事だし、日本の経済にとって大切だよ。この世界はこれからが面白くなる世界だからね」と。

ナルチェリンは卒業後、どこに行くのか決めてはいない。卒業式に来て下さったお父様も「我が家は夫婦とも教師で、地道に真面目にコツコツ仕事をする家なので、株なんか・・・」と反対をなさっている。でもナルチェリンはきっと何かを見つけて大きく踏み出すだろう。三年前に会ったときのように、自分の人生のために努力を始めるだろう。

この世に生まれた誰にでも課せられていると思われる「人のために役立つ人間になる」という役目をしっかり果たすためにも、私達は彼を後ろから応援していこうと考えている。そして「俺は一生懸命生きたぜ、満足だったぜ!」と言える人生を送ってくれることを願っている。

ナルチェリン、卒業おめでとう!
大きく大きく羽ばたいて前進して下さい。
自分のことが分かりだした今だから、何も知らなかった二・三年前と違い、無意識のうちに将来に対する不安が出てきて、前進することに躊躇しているのだと思います。それは決して悪いことではありません。むしろいいことだとも思います。それが「前進するということだ」と理解してください。その不安を押しのけて生きていくことが、大人になるということだということも。ご両親はそうやって成瀬を支えてくださっていることを、忘れずに。

ガンバレ成瀬、いつまでもみんなで応援しています。そしてくたびれたらフッと後ろを振り返ってみてください。そこにいつも上田学園があり、先生や後輩が美味しいお菓子とコーヒーを準備して休息に来るナルチェリンを待っています、上田学園を卒業していった先輩達が時々戻って羽根を休めるように。

ナルチェリンの幸福を願っています。応援しています。そして私達も頑張ります。

上田学園一同

 

 

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